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関西の絵の具に染まらないで帰っていたら私は。

恋人よ ぼくは旅立つ
東へと向かう列車で

木綿のハンカチーフ歌詞より

そうやって、都会へ旅立った彼、彼女が、田舎へ戻る確率っていったいどのくらいなんだろうと思うときがある。

いいえ あなた 私は欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に染まらないで帰って 
染まらないで帰って

木綿のハンカチーフ歌詞より

この歌の彼も、結局彼女のもとへは帰らなかった。
涙をぬぐうためのハンカチーフが届いたかの行方はわからないけれど
彼が都会の絵の具に染まったことは事実で、それを待っていた彼女の心情を考えると、切なく、悲しく、、、名曲だと思ってよく私はこの歌を聴いている。

私自身も、九州の小さな田舎で生まれ育って、高校を卒業するまではその町を一度も出ることなく育った。
そして大学進学のときに、東へと向かう列車で、関東まではいかなくとも、関西という土地、いわゆる都会にはじめて上陸した。

そこは夢のような世界だった。
人々が寝静まる時間帯になっても、街の明かりはこうこうと光輝いていて
遊ぶ場所にも困らなくて
しんと静まりかえることなんてなく、ずっとそこにはたくさんの人の気配があって
雨の日を知らせてくれる虫やカエルたちの合唱が聞こえてくるなんてこともなくてもう、毎日が刺激に溢れた生活だった。

私はその土地ではじめて、「関西人」というカテゴリに属する類の人たちに出会った。衝撃だった。
もちろん、お笑いが流行っていた全盛期を幼少期に過ごしてきた私は、テレビでずっと、関西弁をしゃべっている面白い人たちを見る機会はあったけれど、生にしてみると威力がはんぱじゃなかった。

最初は、大学のキャンパスやサークルで出会った関西弁でしゃべる人たちの何気ない会話が、とても怖くてちょっと物怖じしてしまうことはあったけれど、仲良くなってみると、全然怖いなんてことはなくて、むしろ、なんでこんなに笑いながら私は毎日を過ごしているんだろうと不思議に思うくらい、私が出会った「関西人」たちは面白くて、面白くて、一緒にいて楽しかった。

もちろん、私がここで書く「関西人」にはかなりの脚色がついているのでご容赦を。なぜなら、九州のド田舎で育ってきて、一度も関西弁をしゃべる人たちに遭遇したことがなかった私からすると、彼らのインパクトはすさまじいものだったから。

彼らの話にはいつも必ずといっていいほど「オチ」があった。
はじまりは、一見何も起こらないなんでもない日常のエピソードかと思ったら、最後には必ず、予想をくつがえす、あるいは、逆に鉄板だよね、と言われる「オチ」がついてきた。
相手との距離によって、その相手との温度を合わせた「オチ」のつけ方に私は何度、お腹がよじれるほど笑わせられたのだろうか。

そして、彼らの話にはいつも必ずといっていいほど「モリ」があった。
「え、それは絶対盛って話してるでしょ。」「それはちょっと無理があるんじゃない。」そんな事実を盛りに盛って話すことに、彼らは罪悪感を感じない。
「だって、普通に話したら面白くないじゃん。」そう言って、彼らは自分の周りに起こった何でもないエピソードを、笑いを交えることを追求して、盛りに盛って、面白おかしく変化させながら、話をする。
その嘘かほんとかよくわからないけれど、とにかくただ面白い話に、私は何度、お腹がよじれるほど笑わせられたのだろうか。

「そりゃ、こんな土地で育った人たちが出てるテレビはおもしろくなるわ。」そう妙に上から目線に納得して、とにかく私は、「関西人」というカテゴリに属する彼らに一時期心から憧れた。

だって、こんなに毎日を笑って過ごすことができるなんて、なんて幸せなことだろう。私だって、この笑いのセンスを身に着けたい。

そう思い立った私は大学時代、一時期とにかくお笑いを見続けていたときがあった。そう、研究対象として。
いろいろコンテンツはあったけれど、特に見ていたのは「人志松本のすべらない話」だ。相方という存在も、コントに使う装具も、ロケに行くような真新しい景色も、何も武器を持たない中で、芸人さんたちが、個人のトークに特化して笑いをとるという構成の中に、何か自分が笑いのセンスを磨けるヒントがある気がして、私はとにかく彼らのトークを研究した。

「どういった入りをしているか。」「どうやってオチにもっていっているか。」「どこを脚色して面白さを際立たせているか。」とにかく自分なりに分析して自分のトークの中に吸収していった。

そしていつの日か、関西人の友だちに
「○○ちゃん、関西人じゃないのに、関西人みたいな話し方するね。面白い!」

そうやって言われたときの喜びたるや 
もう何にも代えられないほどのうれしさがあった。

そうやって私は大学卒業までの4年間を関西の土地で過ごした。たくさんの笑いに触れて、自分なりに勉強して、あふれんばかりの笑いを自分に吸収して、私はすくすくと成長し、関西の絵の具にどっぷりと染まった。


そして、いろいろあって、ここ数年前に、九州の田舎に帰りたったのだが、そこで私はとてつもない弊害にぶちあたった。

20代も後半。それなりに結婚みたいなものも意識するようになって、九州に帰ってきて、九州の男性と何度かデートしたことがある。会っていろいろと身の上話をするのだが、いつも思ってしまう。

「あぁ面白くない。」と。

すべての男性がそういうわけではないと思っているし、ものすごく偏見に満ちていると思うし、怒りを覚える人もいるかと思うので申し訳ないが、どうしても私はよくその感想に陥ってしまった。

話しながら、心の中で、「え、オチは?」「え、それだけ?」みたいな突っ込みをしながら、精一杯の作り笑いを私は浮かべている。
自分に笑いのセンスがあるとは別に思っていないのだけれど、失敗してもいいから、ちょっと笑いの要素入れようや?私だっていろいろ引き出しあけとるやん?みたいなことを頭の中でぐるぐると考えてしまう。

女性は年齢を重ねるごとに男性への理想が1つずつ増えていくというが、このことかと私は思った。関西の絵の具に染まった私は、「面白い人」「笑いのセンスがある人」「自分と笑いの温度が合う人」みたいな理想がいつのまにか1つ条件に加わっていることに気づいた。

恐るべし。「関西人」の面白さたるやである。
そして、私は完全に関西の絵の具に染まってしまった。そう思った。

あぁ、もしも、関西の絵の具に染まらないで帰っていたら私は、今頃素敵なパートナーと一緒に暮らすことができていたのだろうか。

もちろんそれだけが理由でないことはわかっているが、そんなことを時たまに思ってしまう私にとって、関西という土地に足を踏み入れたことは、人生の大きな分岐点だったのかもしれない。

「笑い」の力は偉大だ。
まるで退屈な毎日に、楽しさと充実感をもたらしてくれる。
まるで眠れない、つらくて不安な夜を吹き飛ばして、何度も乗り越えさせてくれた。

そんな「笑い」をたくさん教えてくれた関西の人たちとその土地に巡り会えたことに、心から私は感謝している。




















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