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私の年末年始の【焦燥感】【希死念慮】の原因は。

こんにちは。

春野太陽です。

ふたつ前の記事で、

私の年末の焦燥感と希死念慮について書いた部分がありました。

私「毎年の年末に焦燥感と希死念慮が現れるんです。すごく苦しくなる。これからまた12月に入るので、これからの自分が怖くて。なんでなのかわからないし解決したいです。」

カウンセラー「毎年同じ時期に同じような負の感情にとらわれるというのは、おそらく過去のその時期に苦痛がより多かったからではないでしょうか。それがトラウマ反応を起こしていると仮定できます。今までの年末年始、嫌な記憶が残っている出来事ありましたか。」

そんな言葉から自分が振り返った今までの年末年始。

今日はその部分を掘り下げて

なぜ私が年末年始に苦しくなるのか。

私の過去の年末年始の暮らしがどうだったのか

書き残したいと思います。


まずは私の両親の説明を軽くしなければなりませんね。

【父親】
貧乏家庭で育つが勤勉で国立大へ。
お袋を殴る親父を見て育ったそう。
お袋は、彼が20歳そこそこの時に亡くなる。
結婚して出産した際に、ぜんぜん連絡も取り合ってなかった親父が突然出産祝い金を持って「俺も面倒みてくれないか」って家に押しかけられてきたらしく、「もうくるな。」と絶縁。
(父親談)

→だから私は生まれて一度も父方の祖父母と会ったことがない。(祖父は未だ90何歳で生きてるらしい。毒祖父の寿命しぶとい)

【母親】
中国の東北地方出身。エリート家系の三姉妹次女。学歴は中国一の大学で首席。
日本人と結婚したのち日本に帰化。
春野家みんなで中国の祖父母の家に遊びに行ったのは記憶でも3回くらい。(?)ほとんど交流なし。彼女自身あまり中国の実家に帰りたくなさそうだった。親との確執あり?(母親が日本に来る前のことを語ることは全くなく、情報がない)

→だから私は母方の祖父母とも数回しか会ってないしもう記憶ない。会えても中国語喋れんしなぁ。(すでに祖父母共に死去)


日本の親戚についても、【妻が夫と仲悪い→妻は夫の親戚とも関わりたくない→父親も夫婦仲悪すぎて親戚に合わせる顔がなくなる→夫婦で親戚の家に行かない=子供を親戚に合わせる機会がない】てな感じでした。

→数年おきに親戚と顔を合わせることがあったが、誰が誰だかわからない。父親がお歳暮とか渡しに行く時に顔を見るくらい。



それが私の両親と私の簡単な家族事情です。

つまり私は、父方の祖父母とも母方の祖父母とも日本の親戚とも会うことがなく生きてきた人生。そして夫婦仲は悪く毒親で機能不全家族。


そんな家庭生活だと、とくに年末年始に

一般家庭との違いが如実に現れるのです。

場面①気まずくて息苦しかった大晦日

祖父母や親戚が一同に会することはない。

叔父(父親の弟)だけ家に上がってくれる。

夫婦間・親子間では会話は一言もない。

叔父も会話のない家族の中で1人気まずそうに居間にたたずむ。

紅白歌合戦を流しながら天ぷらやお蕎麦を食べるが、会話はなし。

たまに飛び交う言葉はすべて叔父に対して。

叔父に気を遣うように、みんなポツポツと

「この歌手すごいね」
「天ぷらおかわりありますけどどうですか?」
「いっぱいご飯あるからどんどん食べな」

などと呟く。それがより一層気まずさを増す。

全員が、恵方巻きを食べるときのように

テレビに対して同じ角度を一点集中しており、

紅白歌合戦の4時間ほどの時間、

ずっと誰とも顔を合わせず視聴し、終わる。

毎年、この時間、しんどすぎて苦しかった。

部屋の重たい空気とテレビのおめでたい感とのギャップやばすぎ。

形式だけ「家族団欒」。中身は「家族摩擦」。

※(この報告をしたときに「精神科に来る人には家族団欒できない人もいるんですから、家族団欒できるだけあなたはマシです」って言ってきた医師。まじファック。みんな一点方向見て無言で集まっててどこが「団欒」なのか。患者の言葉をちゃんと聴いてましたか?想像力働かせましたか?他人とつらさの比較なんぞするものじゃないですよね。)


場面②同級生の家族との違いを感じる冬休み明け

冬休み明けの小学生たちは

「俺お年玉全部で2万だった〜!!(ドヤ)」

「うちはジジババが2万ずつくれて親が1万くれたから全部で5万もゲット〜!!(ドヤ)」

「まだ親からしかもらってないけど、来週親戚の〇〇県に行くんだよね〜!親戚みんないるからめっちゃお金もらえるんだよ!!(ドヤ)」

みたいなお年玉自慢があるあるでした。

そんな同級生の祖父母交流や高額なお年玉を聞いて

私は心の内、すごく自分だけ異質でフワフワした気持ちでした。

『普通の家庭ってジジババによく会うものなのか』

『まともな家庭の親(祖父母)はこんな風に優しいのか』

『親戚みんなが祖父母の家に集まるのかぁ』

『お年玉ってみんなそんなに万単位でたまるの?私は母親から2千円もらうだけだ。』


自分が普通の家庭と違うのを

すごく分かってしまう時期で、

なんだか言葉にできない複雑さを

今も感じます。

こうやって言語化すると、

あからさまに違いがわかって、

改めてほんっとうに複雑だわ。


場面③大学受験シーズンに親が精神虐待

ここからは、祖父母や親戚付き合いの話とは離れます。

大学受験って、11月ごろから推薦など始まり

1月にはセンター試験、そこから本入試。

まさに年末年始の時期になります。

第一子の私の受験。親も受験に対して未知数。

共に両親の学歴は高くプライドも高い。

「あの子は東北大学か京都大学で迷ってるんだって〜。」
「あそこの子は東大受けるって決めたらしいよ。」

と母親の知り合いの子と私の偏差値と比較し私を煽る母親。(優秀な母の周りの知り合いは優秀な子ばかりでビビる。これも類友現象?いや、バカな子の家庭と仲良くしない性格が理由だろうな。肩書きで人を選ぶ母親でしたから。)


「俺の時代はこうだったんだよ。」
「俺は貧乏でも苦労して立派に〇〇大に受かったんだ。俺の言うことは正しいんだよ。」

と40年も前の自分の受験のことしか話さない

苦労人を強調する役立たずアドバイスな父親。


「娘自身の希望する進路に進めますように」

みたいな娘を尊重し応援する感情は

まったく親から感じ取れませんでしたねぇ。



年末年始の受験で、自慢話や苦労話や嫌気のさす一言をぶちこんでいく両親に振り回されて

それの打撃を受けた私の記憶は新しいです。


場面④毒母の死の前後の慌ただしさ

最後の最後は、私の毒母の死についてです。

母親は、2016年3月に、【余命3ヶ月】

【急性骨髄性白血病】であることが

発覚しました。私の大学入学式の直前でした。

そこから2年8ヶ月の闘病を経て

2019年1月に息を引き取りました。

結果的に年をまたいで1月に死んだ母。

もともと医師は「今の状態だと年は越せないかもしれません。いつでも看取れるように待機していてください。」と11月の時点で告知していました。

父親は母親のICUに住み込み夜は病院近くのホテルに滞在する生活。

私にとっては大学3年の後期。就活前の大事な単位取得時期。

学生課を回って事情を説明し「もしも母の看取りで後期試験を受けられなかったら」と聞きに回ったり、

1月末提出期限のレポート課題を11月中に提出したり、

とにかくいつ何が起きても対応できるよう

自分の大学の事柄は全て備えを万端にし、

出来ることはこなしておこうと必死でした。

そして1月に亡くなってからも

母の身の回りの整理や葬儀、

中国側の知り合いからの世話焼き※1

などなどに振り回されて怒涛の年末年始でした。



病気が発覚した時には
『白血病で余命三ヶ月か。くそババアやっと死んでくれるんか。』と本心で思いつつも

『子が親にそんなこと思っちゃいけないはず』
と心を抑圧して見舞いを続けた2年8ヶ月。

大学と地元を往復しながら、
学業と毒親の見舞いを同時にしながら、
その最中に精神疾患発症もしながら、
めんどくさい人たちも相手にしながら、
本当に自分、よく頑張ってきたと思います。



以上、過去の私の年末年始つらかったエピソードでした。

これを振り返ると、

改めて「年末年始の焦燥感・希死念慮」に

納得がいきます。



場面①人が集まらず家族全員無言の大晦日
場面②同級生のお年玉や祖父母が羨ましい

からは、【満たされない心】【孤独感疎外感】
【普通とかけ離れた自分の家庭】【希死念慮】
の感覚。


場面③忙しい大学受験シーズンの親の無神経
場面④母の死の瀬戸際と大学での課題のせわしなさ

からは、【焦燥感】【なんとかしないと】【休む間もない】の感覚。



365日毎日居心地の悪い家庭でしたが、


特に大打撃を受けやすく印象に残るイベントごとが


私の場合、年末年始のタイミングだったという訳です。


単発的に起こる不安感情だと思ってましたが

実は20数年前の出来事から繋がっていて

それが今になっても法則的に私の身体に現れてたんですね。



カウンセラーさんのサポートのおかげで

ようやく年末の焦燥感と希死念慮の原因がわかって

昨年の年末は無事に乗り切れましたよ。


今年の年末にはどんな症状が出るのか?

はたまたもう出ないのか?


要注意で自分を観察して

必要ならきちんとサポートを受けて

今年の年末も生活していこうと思っています。






2023.06.30(Fri)
春野太陽


(※1中国側の知り合いからの世話焼き 

夫婦親子仲良くないことを知った母の大学の同級生たち(在日中国人)が病院の待合室とかで「子供はちゃんと親に感謝するのが礼儀でしょ。いつまでも怒ってるんじゃない。」だの「中国の文化を理解しなかった夫が悪い」だの「子供たちもちゃんと中国の文化を知りなさい」だの「お母さんは優秀な人で大学ではみんなの憧れの的だったのよ〜。そんな立派な人の娘になれて良かったわねぇ」みたいなのを立て続けに。

私は、『今までの春野家のことをなんにも知らないくせに、母が死んだ時にだけ初めて私と関わったみたいな人たちがなんでうちらを説教するん?現場を見てない人に現場の文句言う資格ないから。あの苦しみはお前らにはわからねぇよ。』

『中国の文化を理解しない夫が悪い?なんで責任が片方なんだよ。そうじゃなくて夫婦でお互い歩み寄るのが大事だろ。てか日本に自ら望んで来たのが母親なんだから、どっちかと言えば母親の方が郷に入れば郷に従えだろ。』

『中国の文化を知らなかった私たち子供にも責任があると??私にだって日中ハーフとしてのアイデンティティがあって中国の文化くらい知ってますから。言っときますけど、じゃあ中国では成績が下がったら殴るのが文化なんですか?夫婦喧嘩したら包丁向けるのが文化なんですか?
そういう相手の気持ち考えないで押し付けがましくて自己中心的でマナーとかルール守らないところが中国人の性格ですよね。はいはい存じてますよ〜。(皮肉of皮肉)』

『あんなに家で包丁振り回した残酷な母親が、学生時代はみんなの憧れの的だったって?どんなにあなた達にとって憧れでも私にとったら毒親であることに変わりはないんです。娘で良かったねぇなんてあんたの考え押し付けないで。学生時代の美談で家庭の母の悪事を揉み消そうとしないでください。こっちはそんな憧れの的になるような人格の母親の姿を想像できなくて困惑だわ』

って感じでかなり母親の大学の同級生の中国人たちは母の死の前後、しばらくまとわりついてていろいろ諭してきて私にとってしんどかったです。後にも先にも会ったのはあの時期だけ。その度にやんややんや言ってくる。あいつらは母の見舞いに来たのでもこれを機に家族付き合いを始めるつもりでもなく、遺族の私たちに喧嘩を売りにきたんか????????)

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