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小学校からはじまった貧乏暮らし


今日は、小学校からはじまった貧困生活の様子を書きます。




働けない父と母


お金のことで両親が喧嘩するようになり、母は何度か働きに出ましたが、

働きに出ると蕁麻疹が出て、仕事が続きませんでした。


母は運転免許がなく、私たちのアパートの周りには、働ける場所が極端に少なかったため、最終的に専業主婦に戻りました。


父の状況は、当時は詳しくわからなかったのですが、

大人になってから知ったのは、父は実家の植木屋で働いていて

季節によって全く仕事がない月があり、色々苦労していたようです。

(父は相当な苦労人ですが、それは別の機会に書きます)



両親の喧嘩が激しくなって、私が小学4年生すぎくらいから、

父が段々家に帰って来なくなりました。



その後から大変な日々を送ることになるのですが


母だけは

その後も私達が大人になるまで、たった1日も家を空けることなく

パートナーをつくることもなく、子どもを施設に預けることもなく

私たちと居続けるのでした。



特に思春期の私の反抗は、壮絶でした。(それも後に書きます)


しかし

”母は私達を捨てなかった”


この事実が、自分が社会に出て自立した生活を送る上で

大きな影響をもたらしたことの一つです。




お金がないと、学校生活はどうなる?


お金がないと、学校生活は大変です。

給食費、月謝、クラスの積み立て、ノートや文房具、運動会の白い靴下や白い靴、工作や調理実習の準備、絵の具セット、リコーダー、裁縫セット、習字セット等々

とにかくお金がかかります。



”周りの友達のように、習い事や塾に通えないのがさみしい”

という悩みをもてたら幸せだ!というくらい、

生活に余裕がなくて

そのもっと手前でつまずき続けていました。



2歳ずつ離れた子どもが3人学校に通っていたので、

ピンチは、それはもう毎月のように訪れました。



ズル休みしてやり過ごすときもあれば、支払いの封筒を持っていくことが遅れていることを先生に何と言おうか、と心が痛みます。



だけど、そういった学校にかかるお金以上に、毎日の食べ物や日用品に困っていたので、とにかく毎日毎日悩みだらけで、生きることが大変だった。


例えば、ガスが止まってお風呂に入れないときは、私はクラスメイトに「臭い」と言われたくなくて、学校を休んでいましたが、妹は、水で身体を洗って学校に行ったりしていました。(わたしにその根性はなかった)



両親の喧嘩は見たくないし

忘れものをすると先生に怒られるし

先生から「明日持って来てください」と言われても困るしで

どうしようもない毎日。



なんで誰も助けてくれないんだろう



どうにもできない自分が


心底嫌になる・・・



学校のみんなと、同じ生活がしたい。


流行りの服や漫画の話をしたり

勉強やイベントに夢中になったり

家族とおでかけした話とか

同じように過ごしたい。




それができない。



それができなくても、明日はまたやってくる。


明日が来たら、学校に行かなくちゃいけない。






疲れたよ






特に恐ろしかったのは・・・ダントツで家賃の取立て


子どもながらに怖かったのは、大家さんの家賃取り立てです。

何度も電話や訪問が来て、それでもうちの家族が家賃を払えないので、大家さんの優しい口調が、日に日に恐ろしい口調に変わっていきます。


「いつ払えるんですか?!」

「何ヶ月滞納してると思ってるの???」

「いい加減出てってもらいますよ!!!!」


鬼の形相ってこのことだなという表情で、感情的につめられます。(相当滞納してました)


そのうち母が玄関に出られなくなり、私も玄関に出られなくなり、

幼稚園から小学校低学年くらいだった妹や弟が、たった1人で玄関に出るようになります。



「お母さん部屋にいるんでしょう?!!」

「隠したってわかるんですよ、声がしたんだから」(母は部屋で隠れてる)





それでも弟は


「お母さんいません」




いつ何回大家さんが来ても、それだけを言い続けていました。

「嘘つくな!!!!」



「お母さんはいません!!」



(自分の記憶に残っていて、今も昨日のことのように思い出される)



今も残って、自分に影響している感情


わたしは

”自分が人に怒られること””他人が怒られているのを見ていること”が

苦手です。


怒られる = 怖いもの


”お金”の拘りもあり、プライベートだけでなく、職場でも、利益にシビアで(会社、お客さん、従業員など関わる人全て)職場の人達を萎えさせるほどに追求したくなります。




ただ、人生には

”お金がないことは嫌だ” ”人に怒られるのが怖い”

よりも、もっとしんどいものがある。




お金がないから明日の学校どうしよう、より

先生や大家さんに怒られるのが怖い、より

それ以上に辛いこと。


それは、昨日のことのようにいつでも思い出せる

水風呂に入る妹が「痛い」と言い、母が「ごめんね」と悲しそうにする姿や

弟が「お母さんいません」と言い続けて、大家さんに怒られる姿。


他にも沢山ありました。




”それらを、いつも黙って見ている自分”




黙って見ていることしかできない自分に対する嫌悪感。




”大切な人が傷ついているのに、自分は、何もできない”




無力感に打ちのめされた

あの日々が勝手に自分の中に灼きついていて、

今も、何かあるたびに疼き出す。



目の前で、守りたいものが傷ついているときに

自分の奥底から

”無力は嫌だ”と、強い何かが湧き上がってくる。



今は大分コントロールできるようにはなったけど

かなり激しい感情です。

(アドラー心理学とか色々学びました)




何かあるたびに、あの頃の日々が戻ってきて

過去の自分が語りかけているのかもしれない。


「お前は、どうして黙ってるの?」

「また、なにもできないのか。」

「大切な人を守れなかったら、何が幸せで生きてるの?」

「もういい加減にしてくれよ!!」



この自分は、一生変わることはできないのかもしれない。




子どもの頃の自分は、

そんな大人になると想像することもなく


ただただ目の前で起こるすさまじい光景を

毎日見ているだけ。


今日を乗り越えられるかどうか

明日は、何が起きるんだろうか?


それしか考えてなかったかもしれない。

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