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フォレストリップ‼︎  日本全国、いちおしの森を集めました Part④

以前公開した「フォレストリップ‼︎」の記事が好評だったので、今回はその第2弾を書かせていただきました。

まず最初に、この記事でご紹介している森歩きスポットの”選定基準”についてちょっとお話させていただきたいと思います。

訪れる価値がある森って、どんなところ?


日本は、国土の約7割が森林で覆われた、世界有数の森林大国。人口密度が高いのにも関わらず、国土に広大な森が内包されている、という例は地球広しといえど日本だけです。日本の森は、”国を代表する観光地”として、世界中からビジターを集められるポテンシャルを秘めていると思うのです。

しかし、海外の人から見ると、日本はやっぱり”文化の国”という印象が強い。インバウンドの目的地として人気なのは、歴史的建造物か、美味しい日本料理が食べられる店、アニメの聖地の3つでしょう。これはこれで素晴らしい観光資源なのですが、せっかく良質な自然が国土に点在しているのです。「今回の旅では日本の森を巡るのさ」という外国人観光客がもっと増えてもいいのではないでしょうか。

この記事は、日本の森の価値を国内外の観光客にもっと知ってほしいな、という意図で書いています。そんなわけで、今回ご紹介する森歩きスポットの選定基準は以下の2つ。

①科学的、文化的、美学的に価値の高い森
②手軽に行きやすい森

①の条件に合致するような「価値が高い森」には、その場所でしか感じることができない「ストーリー」が隠されています。

例えば、原生的な自然が良質な状態で保存されている森では、普通の二次林・雑木林では感じ得ない、生々しい生態系に触れることができます。そういった複雑怪奇な生態系の内部には、興味深いエピソードがたくさん転がっているのです。
”乗り換え”を繰り返しながら、森を縦横無尽に駆け回る種子、近隣の大木を”暗殺”する樹木、林内の大木を”インフラ”のように使いこなす野生動物…。挙げればキリがありません。

そして、原生的な森で展開される森林景観は、例外なく美しい。林立する大木、緑が爆発する下層植生、多くの生き物を育む腐朽木…。目に入る景色のひとつひとつが生き生きと輝いていて、鑑賞者を非日常の世界観へ送り込んでくれます。

森の歴史・生態系が織りなす数多のストーリーが、複雑な伏線を張り、魅惑的な森林景観を描いて目の前に降りてくる。その瞬間に立ち会った瞬間、森という空間の深々しさ、神秘さを実感するのです…。森歩きを楽しむことで、「科学と感性の交差点」に立つことができるのです。この体験そのものを、観光資源として活かすことができたら、どんなに楽しいだろうか…、というのが僕の個人的な意見。


↑奈良県春日山原始林の奥深くに生えていた、ウラジロガシの大木。これほどのスケールの巨木が見られる森は、もう殆ど残っていない

上記のような知的な感動が得られる森こそが、「訪れる価値がある森」だと思います。しかし、そういった良質な森というのは多くの場合とんでもない僻地に位置しています。過酷なアクセスが強いられる場所を”観光資源”とするのは無理がある…。それで、②の「手軽に行ける」という条件を付け足しました。ここでの「手軽に行ける」の定義は、①狭路や未舗装路の運転をしなくてもたどり着けて、③駐車場からすぐ林内までアクセスできる、②日帰りでも十分満足できる、の3つとします。

↑「行きやすい原生林」の代表格、春日山。別の記事で詳しくご紹介しております。

森特有の神秘性、深々しさを残しつつも、アクセスや森歩きにおいて困難を感じないスポット。今回ご紹介するのは、そんな「お手軽森歩きスポット」に留めます。あと、①②両方を満たすポイントとして、日本三大美林も挙げられますが、こちらは別の記事で紹介しているので、今回は外します。むむむ、なんか自分で自分の首を絞めている気がしてきたぞ…。

それでは、出発〜。

※フォレストリップ その①はこちら↓

その②はこちら↓


5 オンネトー(北海道)


北海道東部の阿寒摩周国立公園は、日本国内で最も原始的な自然環境が残された地域として有名です。9万haを超える広大な園域には、3つのカルデラ湖(阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖)、そして数多の火山(雌阿寒岳、雄阿寒岳など)が点在し、ダイナミックな地形を作り出しています。ここまで広大な領域が原始性を保ったまま、という例は日本では稀で、手塚治虫の名作漫画「火の鳥・生命編」でも主人公の隠れ家として描かれました。

阿寒摩周をはじめとする道東地域は、日本の国土の北東の端っこ。北太平洋、オホーツク海など、極地に向かう海と接しているためか、同地の気候は大陸型で、非常に冷涼です(温量指数は45以下)。

↑オンネトー西側の高台から望む、雌阿寒岳(めあかんたけ)。
この景色、数百年前から変わってないんだろうなあ。

日本離れした極端な気候の影響で出来上がったのが、針葉樹の巨木林。開拓時代以前の道東は、エゾマツ、アカエゾマツ、トドマツの針葉樹に、ミズナラ、シナノキ等の大木が混じった、原生的な針広混交林で覆われていたと言われています。

「日本の東の果て」という立地のせいか、江戸時代半ば以前、道東の大原始林の奥深くに和人が入り込む機会は殆どありませんでした。居住していたのは、ほぼアイヌ民族だけ。それゆえ、同地の広大な針広混交林は、数百年に渡ってその原始性を維持し続けることになります…。
しかし、明治時代になるとこの状況は一変。道東は”北の国防”の最前線となり、開拓が推し進められました。その結果、根釧の平野部の原生林はたちまち牧場へと様変わりし、いまでは150年前の大原始林の痕跡なんて跡形も残っていない場所が殆どです。

↑現在の道東の航空写真。オホーツク地方との境目の脊梁山脈(阿寒摩周国立公園の園域)には森が残っているが、根釧台地上は殆ど開拓され尽くしており、格子状区画が宇宙からでもわかる。
(TomTomの地図データを使用)
↑根室市の春国岱(しゅんくにたい)。風蓮湖の干潟に形成された砂州の上にアカエゾマツの原生林が残されている。さすがに砂州までは開拓が及ばなかったのだろう。狭いながらも深いこの森は、数百年以上にわたって人の干渉を受けなかった。キタキツネ、ヒグマなどが暮らす野生動物のサンクチュアリとなっている。

そんな中、今日でも原生的な森が残されているのが阿寒摩周国立公園。火山地帯の凹凸をのっぺりと覆う広大な森の内部には、開拓時代以前の大原始林に充満していたであろう、深々しい空気が今なお保存されているのです。そういう良質な森林景観が、いくつもの湖沼を包み込み、なんとも趣深い風景を創り上げる…。これこそ、阿寒摩周エリアのいちばんの魅力だと思います。そして、この魅力を体感するのにピッタリなのが、国立公園西部の小さな湖・オンネトーの湖畔の遊歩道なのです。

↑湖面が凍結した、4月末のオンネトー。

オンネトーは、雌阿寒岳の西麓に位置する小さな湖。オンネトーという、なんとも情趣ある地名は、もちろんアイヌ語由来で、「年老いた沼」を意味します。幹線道路から外れたところに位置しているためか、阿寒湖・屈斜路湖と違って大規模な観光開発が行われていません。それゆえ、原生林に湖、という洗練された自然美を楽しむことができます。

↑アカエゾマツの天然林

オンネトー遊歩道のハイライトは、湖東岸に広がるアカエゾマツ純林。樹齢250年、樹高30mのアカエゾマツの大木が群生し、「巨木の回廊」を作り上げています。
アカエゾマツは、他の樹種と比べて競争力が弱いため、泥流地帯、湿地、痩せ地など、一般的に樹木の生育には不向きな土地に敢えて進出し、純林(単一の樹種のみで構成された森)を形成します。雌阿寒岳は活火山であり、山の周辺には火山噴出物の堆積地(つまり痩せ地)が点在しています。そんな過酷な環境下で、アカエゾマツが一人勝ちで勢力を広げ、数百年かけて深い森を創り上げたのです。


↑アカエゾマツの大木。彼は江戸時代中期に発芽した計算になる


↑アカエゾマツの葉。

アカエゾマツ純林内の空気は、なんとも独特です。樹高30m以上の針葉樹の巨木が、そこかしこで幹を直立させ、森の天井を持ち上げてる…。北海道の初春特有の柔らかな日差しは、アカエゾマツの濃緑な枝葉に絡め取られて消えてしまい、林床には暗がりが溜まります。残雪期の北海道を旅行していると嫌でも感じる雪の白みも、この森の中では随分薄まっています…。


↑アカエゾマツの純林その②。本州では、針葉樹林は風雪が厳しい亜高山帯で成立するため、どうしても「天然針葉樹の大木林」を見ることは難しくなってしまう。この光景は、北海道の森ならでは。

森の暗さ、そして整然とした林内景観が、なんとも言えぬ厳かな雰囲気を演出しています。お世辞にも居心地が良いとは言えませんが、原始の森ならではの風格を感じる…。開拓時代以前の北海道は、全域がこんな森で覆われていたんだろうなあ〜。たまにはこんな森歩きも、イイ。

北海道の脊梁山脈には、阿寒エリア以外にも、十勝岳、大雪山など、数多の火山が聳えています。三浦綾子の小説「泥流地帯」で描かれている通り、噴火は開拓民にとって最大の脅威だったのですが、アカエゾマツにとっては全くの逆。火山噴出物の堆積が生まれることによって、自分の棲家が増えるのですから…。開拓時代以前、道内の火山の麓には、上記の経緯で出来上がったアカエゾマツの純林がそこかしこに広がっていたそうですが、今ではその多くが姿を消しています。
オンネトーで見られるようなアカエゾマツの森は、北海道の原風景と言えるでしょう。


↑オンネトー湖畔の森。岸ギリギリまで原生林が広がる。

アカエゾマツの森を抜けると、ほどなくしてオンネトーの岸辺に到達。原生林を歩き続けると、湖にたどり着く…。こんな贅沢なハイキングを楽しめる場所が、日本に存在していたとは。

日本の湖は、たいてい湖畔が開発されているため、森から岸辺に抜けようとすると道路やら別荘やらを通過することになり、一気に興醒めしてしまいます。
一方オンネトーでは、巨木の回廊と湖が直接繋がっていて、その合間に”森景色”を掻き乱すモノは一切ありません。それゆえ、右に湖面、左に深々しい針葉樹の巨木林…という澱みのない森林景観を堪能することができるのです。


↑エゾマツの球果。リスに齧られたあとだったけれど。
ゴールデンカムイに出てきた「リスのエビフライ」。

岸辺ギリギリまで針葉樹の密林がせり出している風景…。とても日本国内とは思えません。

広大な無人地帯に、ポツンと現れる湖。その周囲には、原始そのままの空気を湛えた針葉樹林…。アラスカやカナダのウィルダネスさながらの、純度の高い自然に、興奮を覚えずにはいられません…。今度は夏行ってみたいな。


↑オンネトー西岸には、シナノキ、エゾマツを基調とする森が広がる。この植生タイプが、道東の「極相林」。このあたりの森は、火山噴出物ではなく、ちゃんとした肥沃な土壌の上に形成されているのである。東岸のアカエゾマツ林も、いつかはこのような極相林に推移してゆく。樹齢250年の大木林が、まだ「遷移初期の若い森」に分類されるあたり、北の森の時間軸の壮大さが垣間見える。


↑倒木更新のために、切り株の上に乗っかるエゾマツの苗木たち。かわいい。

<オンネトー>
所在地  北海道足寄町
車でのアクセス
・札幌方面からの場合、道東道・足寄ICから50km、1時間。国道241号から北海道道949号に入り、駐車場へとアクセスする。
・釧路方面からの場合、市内から国道240号を北上し、阿寒湖温泉・足寄峠を通過してオンネトーへと入る
公共交通機関でのアクセス ー
駐車場 あり。無料。森を見るのであれば、雌阿寒温泉に停め、そこを起点にハイキングするのがオススメ。
遊歩道の整備度 運動靴で可。ただし、初春・晩秋の積雪期はスノーブーツが必要
遊歩道の体力度 東岸のアカエゾマツ純林コースは平坦で歩きやすい。西岸の極相林を歩くコースには急な登り坂がある。雌阿寒温泉駐車場から湖畔をぐるっと回ってまた戻ってくるルートは、一周6km弱。ゆっくり見るには半日ほどかかる
冬季の立ち入り 道道949号は、国道交点〜雌阿寒温泉駐車場までは冬季も通行可能。森の入り口の駐車場も利用可能。ただし、それより奥の遊歩道に行くにはスノーシューが必要。
その他
・驚くことに、かつてオンネトーにはグッピー、ナイルピラティアなどの熱帯魚が生息していた。もちろん昭和60年代に持ち込まれた外来種。2019年に根絶。
・阿寒摩周国立公園周辺の国道は、道が広く走りやすいが、鹿の飛び出しがとてつもなく多い。特に釧路方面へ向かう国道240号はヤバいので注意。

さてさて、お次はぐっと離れて西日本へ。

6 伯耆大山(鳥取県)


むかしむかし、出雲の国が出来たばかりの頃のこと。
同地を治めていた八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神様が、「出雲の国は狭すぎる。どこかから土地を引っ張って出雲にくっつけ、国を広くしよう」と思いついた。そこで、新羅(朝鮮半島)の余った土地に縄を繋ぎ、日本海を越えた出雲まで手繰り寄せることにした。伯耆大山には、縄を繋ぎとめる杭が刺され、そこを起点に新羅から土地が引っ張られた。
そうして出来上がったのが、現在の島根半島。縄はそのまま弓ヶ浜(現在の鳥取県米子市〜境港市にかけての弧状の海岸線)になった…。

上に書いたのは、有名な「国引き神話」。”神々の故郷”として知られる出雲国には、数多の神話が伝わりますが、その中でも特に有名な話の一つです。


↑霧にけぶる大山山頂付近の峰々。

鳥取県西部に聳える、伯耆大山(ほうきだいせん)の雄大な姿を遠望すると、なるほど、この神話が本当の話であるかのように思えてきます…。

大山は中国地方の最高峰(標高1729m)で、西日本では数少ない独立峰。日本海から一気に迫り上がる優美な山容は、古来から多くの人々を惹きつけてきました。「海の向こう側の土地を縄で引っ張る」という、突飛な空想に現実味を帯びさせてしまう…。それほどの貫禄とロマンが、端正な山体に詰まっているのです。

上記のような美学的価値を秘めた大山は、古来から「神山」として神聖視されてきました。北麓の「大山寺」は、西暦700年代の開祖。それから明治時代に至るまでの約1200年間、一般人が大山の山域に立ち入ることは堅く禁じられていました。山全体が寺の”聖域”と見做されており、登山・伐採なんてもってのほかだったのです。


↑大山夏山登山道のブナ林。

結果として、大山全体が”鎮守の森”のような形で保全されることになり、その中腹には今なお原生的な森が広がっています…。現在では、昭和初期に敷設された登山道が大山寺〜山頂まで通じており、ある程度の体力があれば誰でも大山の頂を踏めるようになっています。その登山道を使って、深い深い原生林に潜り込む…というのが僕にとっての大山登山の醍醐味。では、クライムオン。


↑大山のブナ。ブナらしいスリムな樹形に思わずうっとり。

標高約800mの大山寺登山口から5号目までは、原生的なブナ林が広がります。

大山近辺は、西日本屈指の豪雪地帯。日本海に向かってあけっぴろげに裾を広げる大山の山体は、湿った季節風をダイレクトに受け止めてしまいます。この地形が、冬場に莫大な降雪をもたらし、それが広大なブナ林を作り出すのです(ブナは積雪が多いところを好む樹種)。


↑ミネカエデ(上)とヒメアオキ(下)。典型的な日本海型ブナ林の下層植生。

上記のような気候的・地理的な事情のせいか、大山のブナ林の植生は東北地方(青森、秋田、山形界隈)の森に酷似しています。林冠をブナが覆って、低木層にオオカメノキ、ツノハシバミ、ミネカエデ、エゾユズリハ、ヒメアオキ…なんてのは、白神山地や八甲田の森でよく見かける森林組成。神戸から東北とは逆方向に250km以上行ったところで、こんなにも東北らしい森林景観が拝める、というのが面白い。日本海の季節風と独特な地形が織りなす、巧妙な”地理的トリック”が、森の景色を思わぬ場所に転送してしまうのです。


↑葉を揉むといい匂いがする、タムシバ。寒冷地では低木に、暖地では高木に成長する。
大山では低木を見かけた


↑ブナの大木のあいだをぬう、登山道。

大山のブナの大木たちが見せてくれる、色気ある樹姿が素晴らしいのは言うまでもありません。ブナの大木そのもののルックスについては、今まで何回も書いてきたので、ここでは省き、”大山のブナ林ならではの魅力”にフォーカスしたいと思います。

大山のブナ林の”森としての価値”は、その「奥行き」に集約されると思います


↑ブナの大木その②。むむむ、言及しないといいつつも、ついつい語りたくなってしまう、この色気…。さすがは樹木界のアイドル。誘惑がハンパない。

大山中腹一帯は、「西日本最大のブナ林が広がる土地」として、ブナファンのあいだで有名。実際、大山のブナ林の内部に潜ると、そのスケールに圧倒されます。
ブナの大木があたり一面に林立し、森の内部に樹々の色気が充填されてゆく…。無数の大木のからだが、幾重にも折り重なり、山の斜面一帯を覆い隠しています。樹々の枝葉・幹が、林内の視程を格段に下げているため、森の奥に何があるかなど、知る由もありません。ブナ林特有の温和な雰囲気と、奥深い森の幽玄さが入り混じり、なんともミステリアスな雰囲気が醸成されています。

大山のブナ林には、恐怖を感じるほどの奥行きがあるのです。「深い森」とはまさにこのこと。西日本で、この規模感を体感できるブナ林は非常に貴重です。


↑どこまでもブナの大木が林立する。視界一面、ブナの大木で覆われてしまい、森の奥が全く見通せない。

東北・信越と違って、西日本の山々の地形はさほど険しくないので、拡大造林の手が山の隅々まで行き渡る傾向があります。それゆえ、関西や中国地方には、原生的なブナ林が広範囲にわたって残存している場所は殆ど無いのです。
林野庁のサイト上の「ブナ原生林」という言葉に惹かれ、いざ現地に行くと、猫の額ほどのブナ天然林が、周囲の植林地に圧迫されるようにして細々と「存続」していた…なんていうケースもしばしば。


↑大山のブナの大木その③。こういう、ゴツゴツした感じの個体も好き

かつては、西日本日本海側の深山にも広大なブナ林が広がっていた筈なのですが、今ではその多くが植林地によって分断され、パイの切れ端のように散逸しているのが実情。そういう歴史的背景を知った後に大山のブナ林をみると、やっぱり感激してしまう。森の「奥行き」を感じられる、というのはとてつもなく贅沢なことなのです…。(大山のブナ林のさらなる魅力については、記事の最後の基本データ「その他」欄にも書いております。もしご興味があればそちらもご覧ください)


↑5合目(標高約1300m)まで登りつめると、周囲の植生は落葉広葉樹の低木林に変化し、景色が開ける。這化したミズナラやブナ、ツノハシバミ、ヤナギ(バッコヤナギかキツネヤナギ?)が斜面を覆う光景は、青森県の岩木山でも見た記憶が……。いわゆる「偽高山帯(ぎこうざんたい)」。冬季の積雪が多い日本海側の山岳で成立する局所的な植生帯。大山の冬の気候がいかに厳しいかがわかる。

さらにさらに、大山の魅力はブナ林だけではありません。山頂付近では、イチイ科の針葉樹・キャラボク(Taxus cuspidata var. nana)が特殊な植生景観を作っており、植物マニアのあいだで密かな注目(?)を集めています。


↑大山のキャラボクの群落。暴風雪が吹き付ける厳しい環境にさらされているためか、樹高は低い。


↑キャラボクの葉。やはり母種のイチイに似ている。

キャラボクは、北日本で庭木としてよく用いられるイチイ(Taxus cuspidata)の変種で、分布域は日本海側の山岳地帯(鳥海山〜中国地方)。割とレアな樹種で、まとまった規模の群落が見られる場所は限られています。
大山山頂のキャラボク群落は日本最大規模で、その総面積は8haに及びます。ここまで大規模なキャラボク群落は珍しいため、同地は国指定天然記念物にも指定されています。

↑キャラボクの実。イチイと同じく、可食で甘い果皮に、猛毒の種子が包まれた構造。
くれぐれも、種子を噛み砕かないように…。

他の樹種との競争を徹底的に避けたいのか、キャラボクは極端に厳しい環境を好みます。具体的には、①暴風雪が激しく、②貧栄養の裸地が広がる場所がお好き。毎年3m以上の積雪がある上(①に合致)、山体の崩落が多い(②に合致)大山頂上は彼らにとって絶好の住処なのです。


↑幹を這わせるキャラボクたち。

よくよく考えると、ハイマツ以外の常緑低木が、広大な群落を作っている場所って、日本ではここだけな気がする。日本の常緑低木のほとんどは、森の林床にうずくまるようにして生育する(ヒサカキ、シキミ、ハイノキ類など)ため、その樹種単体で群落を作るなんて例は稀です。
大山のキャラボク群落に、どこか日本離れした開放的な空気が流れているのは、こういった植生学的な事情のせいなのかな、と思ったり。イングランドの荒野(ヒース)に成立するエリカの群落は、こんな感じなのかな?と勝手に妄想してしまいました。(行ったことないけど)


↑広大な山腹を覆うキャラボク群落。

端麗な山容をもって、1300年以上にわたって人々の信仰を集め続けてきた霊峰・伯耆大山。山そのものが持つ現実離れした存在感が、人間の森林改変に対するストッパーとなり、貴重な植生が存続したのです。

「山の美貌」「信仰の歴史」「植生」の3つが、結果的にうまく作用し合い、美しい森林景観を作り上げている……。この”心地よい三角関係”こそ、大山の誇るべきところだと思います。登山の最中の森歩きを通して、これを感じていただけると嬉しいです。

<大山(夏山登山道)>
所在地 鳥取県大山町
車でのアクセス  登山口は北西麓の大山寺。大山寺までは、米子道・溝口ICから20分、または山陰道・大山ICから20分
公共交通機関でのアクセス JR米子駅•JR大山口駅からバスが出ている
駐車場 夏山登山道から徒歩10分足らずの県営大山駐車場は、スキー場営業期間外は無料。詳しくは鳥取県のホームページへ
遊歩道の整備度 登山口〜山頂まで、概ね良好に整備されている。ただし、6合目よりも先に、一部高度感を感じる箇所あり。
遊歩道の体力度 登山口〜山頂まで、急登が続く。登山慣れしていない人はしんどいかも。登山靴必須。日帰りは十分可能。
冬季の立ち入り 高度な雪山登攀の技術を要するため、ほとんど不可
その他
・大山のブナ林は、「ブナの純度が高い」ことも特徴。一般的に、西日本のブナ林(特に太平洋側)は比較的積雪が少ないところに成立するため、ブナ以外の樹種(ヤマグルマ、ツガ、リョウブなど)も多数紛れ込んでくる。それゆえ、「ブナ林」という名前がついている場所でも、ブナ純林の清涼な空気感は味わえない場所も多い。しかし、大山は極端に積雪が多いため、ブナ以外の高木が進出しづらい。結果的にブナの純林が出来上がる。雪により他の樹種の生育が阻まれ、ブナ一強の森が出来上がる…なんてのはやはり東北で起こる現象。西日本とは思えないほどの、ハイクオリティなブナ林をお楽しみあれ。
・昭和後期の登山ブームの際、大山では登山に関するオーバーツーリズムが深刻化し、山頂付近で”踏み荒らし”が多発。キャラボクをはじめとする貴重な植物群落が消滅の危機に追いやられた。現在では木道が整備されたり、再緑化が行われたりと、さまざまな対策が行われているため、草本植物の生育状況は大幅に改善されている。しかし、キャラボクは非常に成長が遅いため、昭和後期の群落破壊からはいまだに立ち直れていない、とされている。


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