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毒親育ち、カウンセリングに行ってみた。【体験談】

こんにちは!はるねずみです。

この間、33歳にして生まれて初めて”カウンセリング”なるものを受けに行ってきました。

家族、友達、恋愛、転職・・・人生の分岐点ではたくさん悩みました。

両親が離婚・再婚を繰り返す家庭で孤立し、自分自身も人との価値観の違いで苦しむことが多く、それを理解されない寂しさ(自分の思いこみも多い)も抱え続けてきました。

親から愛されない自分が、血のつながりのない他人から愛されるなんてことを信じるのは難しく、人間関係でつまずくことがとにかく多かったです…!(現在進行形(;'∀'))

ただ、それでも、いわゆる心療内科や精神科、メンタルクリニックに行ったことは一度もありませんでした。

「自分はまだそこまでじゃない」
「本当に我慢できなくなったら行こう」
「お金がもったいない」
「行ったら行ったで通い続けなきゃいけなくなる」

などなど、行ってみたい気持ちはあるものの、カウンセリング料金やその後の通院期間、治療による変化、そもそも行く必要性があるかどうかなど、知らないが故の不透明な部分が多く、「行けば何かが解決する」という期待を持てなかったんですよね・・・。


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そんな私ですが、今回は藁にもすがる思いでカウンセリングを受けてきました。

私と同じような悩み・カウンセリングへの懐疑的なイメージを持っている方に、少しでも参考になればと思い、行ってみた感想を記しておこうと思います。

なお、今の予定では今後何回か通い続ける予定なので、この「毒親育ち、カウンセリングに行ってみた。」の記事はシリーズ化し、カウンセリングのたびに記録していこうかなとも考えています。


カウンセリングに行く前

真剣に相談するのが怖い

幸いなことに、完全に孤立することは無かったけど、周りの人と自分の価値観のズレを感じることが多く、人に悩みを真剣に打ち明けることが難しかったので、どちらかというと一人で考え抜いて答えを出すことが多かったです。

そもそも、自分の考えを曲げない頑固な性格だったというのもその理由ではあるのですが・・・

心をひらいて、恥ずかしいことも自分の未熟なことも、全て正直に打ち明ける、という勇気もありませんでした。

真剣にそんなことをして、もし適当にあしらわれたら?笑われたら?ドン引きされてしまったら?

周りの人を本当の意味で信頼できていないせいで、まだわからない相手の反応まで先読みして、怖がっていたんです。


つまずく理由は人間関係

18歳で親元を離れ、大学入学とともに一人暮らしをし、大学卒業後は転職を繰り返しながら4社で正社員として働きました。

そして2020年11月末に会社員を辞め、その後宅録ナレーターとしての在宅ワーク、今年春からは掛け持ちで派遣の仕事を始め、今に至ります。

上記の会社を退職した理由のほとんどは、職場の人間関係でした。

誰にでもいい顔をしてしまう性格で、期待されることが嬉しくて頼みごとを断ることができず、誰かの悪口をコソコソと言い合う空気にも耐えられず、妬み・足の引っ張り合いに怯え、怒りの感情をあらわにする人がそばにいるだけで常に緊張して心がすり減っていくのを感じていました。

一番最後に働いていた会社でも、やはりそうした緊張感やストレスを感じていて、働きながら涙が止まらなくなり、物音に過敏になって、胃薬を手放せなくなり、退職直前の頃は仕事中に鼻血が出たこともありました。

帰宅すれば、当時同棲していた夫に何時間も話を聞いてもらい、号泣する日々で、「病院に行ってみない?」と言われもしました。

仕事のストレスで心療内科に行ってみたという知人の話も聞いたことがあり、「本当に手遅れになる前に、気楽に行ってみるといいよ」とアドバイスをもらいましたが、結局行かないまま、会社を辞めました。


「病は気から」

今回、「カウンセリングに行ってみたい」と言い出したのは私自身です。

どうあがいても、自分の中で解決策を見出すことができず、もしかするとそもそも自分の生い立ちやトラウマ的な何かが関係しているのではないかと思い、専門家の手を借りてみたいと思ったんです。


よく「病は気から」と言いますが、私は今まで少しくらい体調が悪くても、熱を計るとか病院に行くということはしない方でした。

(ただの風邪の場合は自然治癒。インフルエンザやひどい胃痛、腎盂炎になったときは流石に病院へ行きましたが…)

身体も心も、診断されて何らかの「病名」がついたら、もう「その気」になってしまうと思っていたからです。そういう決定打がないかぎり、自分は健康だと思えます。


特に「心」に関しては、たとえ何か問題があるとわかったとしても、身体の病気と違って、治すのがかなり難しいイメージがありました。

というか、果たしてどういう状態になれば「治った」と断言できるのかもわかりませんよね・・・

普通に生きているように見える人たちでも、やっぱりどこか欠けている部分はあります。満たされない思いを抱えて生きている人もいっぱいいます。

だから、そういう意味で「完全に健康な心」を持つ人なんているのかな?とさえ思ってしまいます。


本気で向き合うタイミングとは

自分の悩みの大きい小さいや、心の状態を、他人と比べても意味がない。でもそれなら、じゃあどういう観点で「自分の心に(治すべき)異常がある」と言えるのか?

アドラー心理学をわかりやすく説いた『嫌われる勇気』という本があります。(私は恥ずかしながらまだ読破できていないのですが)

その中に、こんな言葉がありました。

あなたは「あなた」であっていいのです。しかし、(中略)もしも幸せを実感できずにいるのであれば、「このまま」でいいはずがない。立ち止まることなく、一歩踏み出さないといけません。

『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健


自分が悩みと本気で向き合うタイミング、変わるべき理由は、ここにあるんだと思いました。

「足りていない私」でも、幸せを実感できているのなら、そのまま無理に何かを変えようとしなくていいはずです。

私は幸せを感じる一方で、自分の力ではどうにもできない辛さも感じていました。しかも、それは私だけでなく、そばにいる人をも傷つけてしまう問題でした。

だから、それを「このまま」にしておいていいはずがないと思ったんです。

それで私は、自らカウンセリングを受けたいと夫に打ち明けました。


カウンセリングに行った後

総合的に「行ってみて良かったな」と思いました。良かった点・悪かった点、また今の正直な気持ちについてお話します。

良かった点・期待すること

先生は40~50代くらいの男性でしたが、口調も優しく物腰柔らかな方でした。言葉を一つ一つ丁寧に選んでくれているのがこちらにも伝わりました。

また、私が質問に答えるためにしどろもどろになりながら話すのも、途中で口を挟んだりせず、終わるまで静かに耳を傾けてくれて、変に焦らずリラックスして話ができました。自分でも把握しきれないほど複雑な家族関係の話もしたのですが、メモも沢山取ってくれていました。

「話を遮られたり、被せられたりしないか」
「一方的に上から目線で意見を押し付けられないか」
「面倒くさそうな態度を出されないか」

など、私が心配していたようなことは一切ありませんでした。

話を一通り聞いてくれた後、先生の分析と今後の治療方針に関する説明がありました。

私の自分にたいする解釈は概ねはずれていなかったようですが、全体的に私の意見を否定せず、より深く分析してくれました。

これまで、身近な人に相談しても、私の悩みは「考えすぎ」によるもので、「親を愛せない」「家族が好きじゃない」などと言おうものなら、それは成熟していない人間のわがままのように受け取られることが多かったです。

今回、心理学の専門家であるカウンセラーの先生に聞いてもらって、全てが自分の思いこみだったわけじゃないのだと思えて、ほっとしました。

何より、それが仕事だとはいえ、こんなにも真剣に話を聞いて、優しい言葉で包み込んでもらうことができるんだ・・・と、何よりもそれが嬉しかったです。

説明しながら、過去の嫌な記憶を思い出したためなのか、話を聞いてもらえる安心感や嬉しさからなのか、無自覚だった自分の問題を知って受けたショックからなのか。

ないまぜになって、何が何だかわからなくなかったけど、涙がボロボロこぼれていました。(鼻水もw)

限られた時間の中で説明するには、つとめて冷静かつ淡々と客観的に話さなければならず、説明している間はずっと緊張していたのですが、先生の話を聞くころになると、張りつめていた糸がすっとほどけ、同時に感情が溢れたみたいでした。

初めて会った人の前で突然泣くなんて、自分でも驚いたし恥ずかしかったけど、今までにない体験に期待も高まりました。


悪かった点・漠然とした不安

初回のカウンセリングは70分の枠でしたが、カウンセリングシートへの記入や支払いの時間を含めても、60分あったかどうかで、思ったより話せる時間がありませんでした。

今回は質問事項にバーッと答えることができたものの、これから先具体的な治療に移ったとき、もしも感情が爆発して涙が止まらなくなったりしたら・・・

何も話せないまま終了時間が来てしまったらどうしよう、というのが心配です。(ここは自分でなんとかふんばるっきゃない)

また、これは自分でも自覚していた部分ではありますが、私が「家族」そのものに対して強い嫌悪感を抱いている、という説明を受けました。

ただその一方で、今抱えている悩みに直結する問題として、私が「父性」を強く求めているという話もありました。

これまでずっと、頭の中では「母」のことでいっぱいだったはずなのに、それを聞いた途端、急激に胸がザワザワしました。もしかしたらそうなのかもしれない・・・と。

というより、ある意味それは自然なことなのかもと思いました。

両親の離婚は私が小学校2年生の頃。その後は実父と会うことがほぼ無い状態でした。義父ができても、それは私の求める「父親像」とはかけ離れていました。

ないものを欲しがるのは、当たり前のこと。

だから、先生の話も腑に落ちました。

最近、私が「異性のどんなところに惹かれるか」について一人で考えたりもしたんですが、そのときふと思いついたのが、

私の知らないことを教えてくれる・面白いことを共有してくれる人

です。

自分が知らないことを知っている=自分より経験が豊富
教えてくれる=自分より相手の立場が上
共有してくれる=親しみをもって接してくれる

とも言えます。

だから、これも「父性」を無意識に求めているということなのかもしれない。内心そんな考えもあったので、より先生の説明に納得できました。

自分を客観的に捉えられた一方で、漠然とした不安もこみ上げてきました。

それは、私がいくら望んでも、自分が渇望し続けた「父性」「父親」は二度と手に入らないと思うからです。


逃したものの中にのみ幸せを探せば
幸せは永遠に手に入らず、
持てるものの中に幸せを探せば
幸せはいつだってそこにある。

『+1cm LOVE たった1cmの差があなたの愛をがらりと変える』キム・ウンジュ


私は、この言葉を思い浮かべました。

つまり、失ったものや、元々持っていないものを欲しがり続けていれば、手の内にある大切なものを見失い、幸せからは遠ざかってしまう。

私が決して手に入らないものを望むかぎり、私は幸せになれないのではないか?と思いました。

この「父性」や「家族」について、今後の治療を通して自分がどう折り合いをつけられるようになるか。

それにかかっているのかもしれません。



これからのこと

カウンセリングを受け続けることについて、少し迷いました。

一番ネックなのはやっぱり費用です。

1回70分で7千円・・・決して安くない。しかも、数回で終わるとも思えない。ただ、それでも当面は通ってみようということになりました。夫と話し合い、背中を押してくれました。

次回から、早速具体的な治療が始まるみたいです。

治療方法は「EDMR」というものだと説明がありました。

EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対して、エビデンスのある心理療法です。

引用元:日本EDMR学会

調べてみると、エピソード記憶を頭に浮かべながら眼球を動かす・・・みたいな方法らしいです(;'∀')どきどき・・・

今後定期的に通うことになると思うので、随時感想を記事にしていきます。(次からは、もうちょいさらっと書ければいいな…!)


さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました!

メンタル面のことは、本当は書くべきかどうか少し迷いました。

こういう話がいやだな・・・という人の気持ちも理解できるし、宅録ナレーターとして顔出しかつネットで活動している者としても信用を失うリスクがあるとも思ったからです。

ただ、やっぱり隠し続けることはつらく、限界もあり、それならいっそ、問題解決のために前向きな姿勢を見せる方がいいんじゃ?と、視点を変えてみました。

賛否両論あるとは思うのですが、自分の立場や肩書にこだわらず、自分のしたいこと(「自分でよかった」と思えるような生き方)ができれば、と思っています。

未体験のことだらけで期待も不安もありますが、自分の問題解決はもちろん、この記事が「カウンセリング」を受けるか迷っている人の参考にもなれば幸いです!(まさに実験台・・・?笑)

それでは、また次回の記事でお会いしましょう!(*´ω`)ノ

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