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直感は信じてもいい?こういう人と離れたらラクになれた。【体験談】

こんにちは、はるねずみです。

突然ですが、ちょっと想像してみてください。

あなたが心から信頼し、他の友達や恋人、家族にも相談できないようなことを相談するような相手がいるとします。

その人が明らかに「これ、私のことだよね…」とあなたが思ってしまうような内容のことをネット上に書いたり、他人に話しているのを知ったら、どう感じますか?

誰にも相談できないようなことを話すほど信頼し、助言を求めるほど尊敬もしている相手です。


おそらく最初のうちは、

「あの人がそんなことするはずがない」
「私の思い違いだろう」
「疑うなんて失礼だ」
「こういうのは私以外にも当てはまる人が沢山いる」
「一般的な話を書いてるだけだし、私が気にしすぎなんだ」

などと自分のモヤモヤや違和感を打ち消して、相手を信じ続けようと努力すると思います。


ただ、それが1回や2回でなく、何度も立て続いたとしたら、さすがに「気にしすぎ」と自分に言い聞かせることも難しくなってくると思います。

しかも、内容のみならず、タイミングもばっちり重なっていたとしたら、余計疑念は深まるでしょう。



友人のSNSを見て「これ、私のこと?」

例えば・・・

昨日、あなたがその人と話している最中につい感情的になってしまい、ネガティブな発言を連発してしまったとします。

そしてその翌日、その人がネット上(SNS等)で、

「ネガティブなことばかり口にする人の周りからは誰もいなくなる。感情的になる人は自分が人の目にどう映っているか想像できていない。」

と書いていたとします。

内容もそうですが、昨日の今日ではあまりにタイムリーすぎて、これは「私のことかもしれない…」とつい思ってしまうのではないでしょうか?


親身に話を聴いてくれるけど、裏では…


それでも自分にとって相手が大切な友人であればあるほど、相手を失いたくない、そんなことをするはずがないと信じたいという思いから、自分の中で打ち消すための理由を色々並べると思います。


(というか、こういうことをされて傷つかない人っているんでしょうか・・・?この時点であまり共感されない話かも、と思えてきました💦)


ただ、仮にあなたにとってこれが相当ショックなことだとして、いくら言い訳しようとしても疑いが晴れないとします。


本人に聞いてみた結果

そうなったら、今度は勇気を出して相手に聞いてみようとするのではないでしょうか?

私なら、

「勘違いだったらすごく申し訳ないんだけど、◎◎に書いてあった~~~って、私のことかな?嫌な思いをさせてしまったならごめんね。」

という風に切り出します。

あくまで自分の気にしすぎかもしれないということ、それを聞くことによって、悪意のなかった相手を無駄に傷つけてしまうことのないよう、先に謝ります。


相手の返事パターン①

もしかすると、この時点で相手から、

「実はそうなんだ。直接伝えるべきだと思ったんだけどそれができなくて…私の方こそごめんね。今度からはちゃんと言うね。」

と打ち明けてもらうことができ、お互いにモヤモヤを解消でき、今まで以上に距離を縮められることにも繋がるかもしれません。

なんでもかんでも不満を言い合えばいい、とは言いませんが、自分の心の中で留めておくことができないことを、我慢できずにネットに書いたり第三者に話してしまうくらいなら、直接伝える方が二人の関係性においてはよほど有意義なことだと思うんです。

(あくまで「二人のを関係を良好に維持したい」という前提であれば、ですが。)


相手の返事パターン②

逆に、相手が否定する場合はどうでしょうか?

「え、違うよ!もしあなたのことだったら直接言うか、とっくに距離置いてるよ。」

と言われたとします。

信頼している相手からこう言われた以上は、

「やっぱり自分の思い過ごしだったんだ」
「疑って悪いことをした」
「安心した」
「あまり気にしすぎないようにしよう」

と、ほんの少しでも自分が相手を疑ってしまったことを後悔し、申し訳ない気持ちになり、「気にしすぎだった」と考えを改めようとするでしょう。

何かあれば直接言ってくれるという相手の言葉を信じようと思うでしょうし、裏でコソコソするつもりはないという相手の姿勢に尊敬の念を抱くかもしれません。



が、しかし・・・

それでもなお、その後も立て続いて同様のことを目にしたら、どうしますか?

その都度、相手に確認するでしょうか?


実際、私は何度も相手に確認をしました。そしてその都度、相手はきっぱりと否定してくれました。

でも、それでも私のモヤモヤは晴れませんでした。

「そうは言っているけど、このタイミングでこの内容は明らかに私のことじゃ・・・」

と疑い続けてしまったり、百歩譲って私のことじゃないという言葉は信じるとしても、

「これまで何度もこういうやり取りをしているのだから、せめてそう疑ってしまうような書き方は極力しないでくれたらな…」

と、感じざるを得ませんでした。



SNSを使う上での配慮

SNSの使い方は人それぞれで、何を書くのも(誹謗中傷や非人道的なことでない限り)自由です。

ただ、使い方によってはいくらでも人を傷つける道具にもなりえます。

だから私は、TwitterでもnoteでもstandFMでも、自分の意図しない範囲で誰かを傷つけてしまうことのないよう、言葉選びは慎重にしています。


ネガティブなことを書く場合でも、あくまでその矢印は私自身に向いているのだとわかるように書くことを意識しています。

「自戒を込めて」という言葉を添えてみたり、それがもっとわかりやすいように、文章の最後の方には自分の課題と、そのためにどうしていくのかを具体的に書くようにしています。


自分のことを言っているつもりでも、そうした言葉がない場合、

「まさかこれ、私のこと・・・!?」

と思わせてしまうかもしれません。

そんなつもりがないのに、それで傷つけたり怒らせたり、「こんなことする人だったんだ」と思われてしまうのは不本意です。


例えば、自分に「遅刻癖」があるとして、それをどうにかしなければ!と日頃から思っているとします。

それなのに、今日また大遅刻をしてしまい、ものすごく後悔して落ち込んでいる、自分にたいして激しい怒りもわいているとき、

「遅刻するようなやつは人間失格だ。社会不適合者だ。」

と、SNSに書いたら、それを見た人の目にはどう映るでしょうか?


本人は猛省していて、二度と同じことを繰り返さないよう、自分に向けてあえてきつい言葉をかけているつもりです。ここに、自分以外の誰かを非難しようとか傷つけようという意図は微塵もありません。


だとしても、この人と同様に遅刻癖がなかなか治らない人が見た場合、

「ここまで言わなくてもいいのに」

とか、もしこの人の身近な人が見たとしたら、

「まさか私のこと?あの時のこと言ってるのかな…」

と、いくらでも自分に当てはめて受け取れてしまうんですよね。


正直、ここまで配慮する必要があるのかどうかはわかりません。だから、そうすべきだ!と主張したいわけではないです。


ただ、私はこんなふうに無意識に自分以外に矢印を向けてしまうこと、それによって人が離れていってしまうことにものすごく不安と恐怖を感じているんです。

だから、自分は決してそれをしたくない。

同時に、自分がそこまで徹底しているからこそ、つい他の人の言動を見て過敏になってしまうという側面があることも自覚しています。


「自分なら、こうはしない」
「なのにこうするということは、そういうことに違いない」

こんな風に自分の尺度で物事を判断してしまうのは私の欠点です。



強い関心=執着・洗脳

結局、私がそのモヤモヤにどう対処したかというと、その人のSNSを見ないようにしました。

どんなに相手の言葉を信じようとしても100%は難しい。気持ちは晴れないし、「また書かれたらどうしよう」と不安を抱えながらその人と接することにもなってしまう。

そうなってしまったら、今度はその人と関わること自体が苦痛にもなります。

その人のこと自体は嫌いじゃないし、信頼もしている。これからも困った時は相談もしたい。だからこそ、「相手を疑ってしまうくらいなら見ない方が良い」という答えに行きつきました。


その結果、良くも悪くも相手に対する関心は薄れていきました。


「どう思われているのか」を過剰に意識して接し、その答えを相手のSNSでの発言の中に探し、心は疲弊していました。それと同時に、その代償をも相手に求め、執着していたのだと気がつきました。

自分はこれほどまでに相手のことを気にしているのだから、自分にとって相手は大切な人に違いない。だから失ってはいけない。

多分そんな風に、自分自身を無意識に洗脳していたんでしょうね。

だから、「見ない」という方法を取ることで物理的に相手への関心を薄れさせ、自分の執着も手放すことができたんです。



離れてみてわかったこと

その後、相手と距離を置くようになりました。


相手のSNSは気が向いたら見る程度にし、基本的に視界に入れないようにしました。

それでも、その”ときどき”見たときにやっぱり「自分のことかも!?」と思うような文が見えると胸がチクッとしました。

その繰り返しで、見る頻度は一日数回から一回へ、そして数日に一回から一週間に一回へ・・・という風に、どんどん減っていきました。


そうしているうちに、相手からも距離を置かれていることに気が付きました。

相手から連絡が来ること自体なくなったのはもちろん、SNSのフォローも外されていました。


それに気づいたとき、改めて、

「やっぱりあれは私のことを書いていたんだろうな」

と、腑に落ちました。


この時にはもうさほど傷つくこともなくなり、むしろすっきりとモヤモヤが晴れたようでした。


フォローを外されたのに気づいたのは、フォロー一覧のページに相手の投稿が見えたからなのですが、なんとたまたま目に入った一投稿がまさに、

「あ、多分これも私のことだ」

とピンと来たので、「もういっか」と、そのとき私もフォローを外しました。



まとめ

この経験から、私は「自分の直感はあながち間違っていないのかもしれないな」と思いました。

HSP(繊細さん)と呼ばれる方は特に、人から「気にしすぎ」と言われる経験があると思います。ただ、一概に「考えすぎ」「思い過ごし」とも限らないのではないでしょうか。


その人の表情やしぐさ、言葉の癖、声のトーンや速さなど、言語・非言語問わずあらゆる情報から、相手をよく観察し、その裏にある本心を見抜くのが得意な人。

老若男女問わず、仕事や学校生活を通して沢山の人と接してきた経験がある人。

そういう人だからこそ、パッと見ただけでなんとなく相手の人となりが分かったり、言葉の裏に隠された気持ちを読み取れたりもしますよね。


「誰かを傷つけるかも」なんていつも気にしていたら、疲れるのは当然です。SNSもそんな風に使っていたら楽しめないというのもわかります。実際、私も自分で自分の首絞めちゃうことも多いです。笑

だから、「どこまで他人に配慮するべきか」は人によって解釈は様々だと思うし、あくまで私個人の意見です。


色々脱線しながら話してしまいましたが、私はこういう人から離れて、楽になりました。


「私にはこう言ってくれているけど、それならどうしてこんなことするんだろう?」

と、相手の言動一つ一つに「なぜ?」「どうして?」と理由を求めたり、疑念を持ち続けるのはすごくしんどいです。


たとえ、一対一で話せば相手の言い分がよく理解できる、尊敬できると好意を持てるとしても、理解できない部分の割合が大きくなってくると付き合い続けることが負担になります。


それまで良くしてくれていた人と距離を置く、離れる、ということに罪悪感を覚える人も多いと思います。私もそうでした。

ただ、心をすり減らしてまで離れずにいる必要はないと思います。


当たり前のことですが、自分と全くおんなじ人間はいないし、100%すべてに共感できる人なんていないです。


それでも、自分の「ここだけは譲れない」という大切にしたい価値観とあまりにも反する場合は、その直感や違和感を信じて離れてみてもいいのかもしれません。


最後までお読みいただきありがとうございました!

私の体験から得た考えが、同じように人付き合いで悩んでいる人のヒントになれば…と思い、記事にしてみました。

自分を大切にして、そのぶん人も大切にできるコミュニケーションがベストですよね。これからもまだまだ模索していきます…!

それではまた次回の記事でお会いしましょう(*´ω`)ノ

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