人から「利用」されること【対人関係の悩み】
こんばんは、はるねずみです!
今日は、対人関係の悩みについて話します。
あなたを大切にしない人を大切にする必要はない
突然ですが、以前Twitterでこんな言葉を見かけました。
(厳密には、ツイートに何かの本の1ページを撮った写真が添付されたものでした。)
この言葉を読んでハッとしました。
私の悩みの根本的な原因がここにあるんだ、と思ったからです。
私はこれまでの人生の大半は、人間関係で悩み続け、疲弊してきました。
その理由は、
敬意を払ってくれない人にも、敬意を払ってきたから。
私を嫌いな人のことも、好きになろうとしてきたから。
私を大切にしない人を、大切にしなきゃいけないと思ってきたから。
これだったんだと、この言葉を読んで腑に落ちました。
つまり、全部逆のことをしていたんですよね。
言葉だけを聞いて、そして他人事だと思えば、「そんなの当たり前じゃん」と思ってしまいそうです。
だけどきっと、これがすごく難しいと感じる人が、私以外にも世の中にはたくさんいるんだろうと思います。
私はこのツイートを見かけてから、スマホのロック画面をその写真にしています。いつも意識しなければ忘れてしまいそうだと思ったからです。
人間関係の掟
子どものころから、学校では「みんな仲良く」と教えられてきました。
先生からの教えだけでなく、クラスや部活動など、同年代の子供の間でも、人間関係における暗黙のルールみたいなものを学んでいきました。
そしてそれはどちらかというと、陰口などネガティブな情報から「やってはいけないこと」として。
たとえば、
みたいな・・・
いざ挙げてみようとすると難しいですが、とにかく、そういうことを聞くたびに、自分に向けて言われたかどうかは関係なく、「そうならないように気を付けないと」と怯えていました。
人から好かれたい。
そのためには、誰にでも優しくしなければならない。
いつの間にか、人間関係で「~であるべき」「~すべき」思考がどんどん強化されていきました。
「いい人」の方が怖い
人と接していて、その人が優しくて、非の打ち所がない「いい人」であればあるほど、私は不安になります。
さらに、その人が私に対して親切だったり好意的だったりすると余計に色々勘ぐってしまいます。
まだそこまで親しくない間柄なら、「私のどこが好きなの?」なんて聞きはしませんが・・・
笑顔で話を聞いてくれたり、親切にしてもらったりするとどうしても、「嬉しい」という気持ちより先に「無理させて申し訳ない」と罪悪感ばかり募ってしまいます。
なぜならその人にとって、私の話を聞くことや一緒にいることに、何の価値もないだろう・・・と思ってしまうからです。
ただただ、私のわがままに付き合わせてしまっている。
その人は優しいから、本音も言えずに気を遣ってくれているんだ、と。
私は「無償の愛」「絆」「熱い友情」みたいなものが、現実にはなかなか信じられませんでした。今も正直よくわかりません。
人の善意の裏には、必ず何か目的があって、メリットがあるから親切にするものだ、とどうしても思わずにいられません。
そんな下心もなく、ただ単に「好きだから」「大切だから」「そうしたいからそうする」みたいなふわっとしたものよりも、分かりやすいからだと思います。
だから結局、「この人素敵だな」「すごくいい人だな」と思っても、そういう人と一緒にいると不安になってしまうんですよね。
逆にそうでない人、つまり何らかの目的や下心で私を利用しようとする人にたいしては、たとえそれを感じ取っていたとしても、その達成手段としての「優しさ」に納得はできます。
その人を信用できるかというよりも、そのときそこにある言葉や態度を理解できる、というのでしょうか・・・
(そういう目的があるんだから、おかしくないよね。少なくとも、私に「気を遣っている」わけじゃない。)
と思えるので、こちらも罪悪感を抱かなくて済むんです。つまりギブアンドテイク?
それでも結局は、そういう人と一緒にいても何も残らないし、利用されたり傷つけられて関係ごと終わってしまうのがオチなんですけどね。
それでも、理想とする関係や居心地より、良くも悪くも自分が慣れ親しんでいる方を選んでしまうのかもしれません・・・
一人が嫌なわけじゃない
学生の頃は、一人でいるのが寂しい、という時期もあったと思います。
それでも年齢とともに一人で行動することが当たり前になっていったので、どちらかというと慣れっこでした。
今も、一人でいることは苦ではありません。
むしろ、友達付き合いを長く続ける自信がないので、友達がいない方が気が楽だ、と思っている節もあります。
特に今は学生時代のように、
みたいな場面もありませんからね。
こういうのがあると、普段から話をする相手や、いざという時に仲間に入れてもらえるようにしておく必要がありますから。
それでもときどき、
と心の中で思ったりします。
一緒に映画を観に行ったり、アニメ、小説の感想を話し合ったり、洋服を見て回ったり、気になるカフェを巡ったり、ボードゲームで遊んだり、麻雀で対戦したり、カラオケしたり、一緒になにかを創作したり・・・
笑いのツボや感性が似ていたり、食べ物や服の好みが似ていたり、考えに共感できたり、そのどれか一つでも当てはまる人が身近にいたらいいなと思います。
どれも全部一人で完結できることですが・・・
ヒトカラも一人牛丼もできるし、一人で何時間も歩くのも平気です。
それでも、ああだよねこうだよねって言い合えたら、一人でするより二倍も三倍も楽しさが膨らむ気がします。
だから、「寂しいから」というか「もっと楽しみたいから」友達が欲しい、と今は思っています。
二回り年上の友達
実は先日、職場(10月末まで勤務していたコールセンター)の年上の女性とLINEの交換をしました。
「交換しましょう」と申し出たのは私の方です。
A子さんとの馴れ初め(?)
その方は、同時期に入社したいわゆる「同期」の方で、歳が二回りほど上の、どちらかというと母親に近い年齢の方でした。
(ここではその方をA子さんとします。)
コールセンターの座席は日替わりで、出勤するたびに隣り合わせになる方がバラバラでした。
それでも入社時期の近い方同士の座席が近くなるよう配置されていたらしく、10人ちょっと入った同期の方が契約更新のタイミングで辞めていくにつれて、A子さんと隣の席になる確率は上がっていきました。
年齢も結構離れているし、成人したお子さんもいるA子さんとは、ライフスタイルも趣味も何もかもが違いました。
それでも「話してみないとわからないことも多いから」「せっかく隣同士だから」と、話しかけてみるようにしました。
そして「ネイル」のことをきっかけに、A子さんとよく話をする仲になりました。(以前別の記事でお話ししたことがあります。)
私がそこにいない感
A子さんは、よくご自分の家族やペットの話をしてくれました。
色々詳しく教えてくれたので、会ったこともないお子さんたちのことも、まるで自分の身内かのように親近感がわいていました。
A子さんも私にいつも声をかけてくれていましたが、私自身のことはあまり話していなかったように思います。どちらかというと私は聴き手でした。
人の話を聞くのも好きですが、「ほんわかマシンガンラジオ」なんて名前のチャンネルを作ったくらい、私も自分の話を聞いてもらうのが大好きです。
でも、それ以上に「相手が喜んでくれること」のほうが大事だと思っているので、自分の話ができなくても「まぁいっか」と納得していました。
ただ、最後の方はそれがだんだんしんどくなってきたんですよね。
とうとう、
なんて、憂鬱になるくらいまでになってしまいました。
A子さんはけっして悪い人ではありません。
むしろ、飾ることなく気さくで、話していて楽しい方です。それに、私の知らない「結婚生活」「子育て」「派遣会社」のことなど、教えてくれましたし、私もそれをいつも興味津々で聞いていました。
だけど、二人で話していてもいつも心のどこかで「私がそこに存在していない感」を感じていました。
話の中心になるのはA子さん自身のこと、家族のこと、ペットのこと、仕事のこと、あるいはそこにいない第三者のことでした。
そういう話を聞いていればいるほど、
と、ちょっと寂しくなりました。
実際そうだったのかどうかは想像の域を出ませんが・・・
少なくとも、私が自ら徹底して「聴き手」に回っていたんだから、これはなるべくしてなったことであり、私に原因があります。
別れが寂しい・・・?
それでも、私がその職場を10月末で辞めると伝えたあとは、会うたびに別れを惜しんでくれていました。
担当業務の関係で、A子さんとは10月以降座席が離れていたのですが、お昼休憩以外の小休憩のときにも、わざわざ私の座席に寄って話しかけてくれました。
小休憩は15分しかなく、お手洗いや休憩室への移動時間等考えると、かなり貴重な時間にもかかわらず、です。
だから私はその気持ちが嬉しくて、話しかけてくれたA子さんの手を思わず握ってしまいました。(普段ボディタッチみたいなことは自分からは女性相手でもほぼしないのですが・・・)
そして、その後はA子さんが話しかけてくれたときには、肩や腕にポンッと触れていました。
A子さんに親しみを感じていたし、それを言葉以外の形でも表現したいと思ったんです。(最初はA子さんが嫌がっていないかとハラハラしましたが、大丈夫そうだとわかると平気になりました。←)
最終出勤日まで、A子さんとシフトが被るのがあと2回、くらいのタイミングで、確かLINE交換を申し出ました。
それはお昼休憩がA子さんと少しだけ被っていた日で、仕事に戻る前にA子さんが私の席に寄ってくれたときでした。
「これだけ色々話もしたのに、連絡先を交換しないのは逆に変かな?」
と、これまでたびたび思っていました。
それでも、過去にA子さんが、
のような発言をしていたこともあり、職場の人にはあまり深入りしてほしくないのかも、とか、あくまで仕事の愚痴を話す程度の浅い付き合いを望んでいるんだろうと、私なりに距離感をはかっていたのです。
そんなA子さんが、私の最終出勤日までの数日間、小休憩やお昼休憩の時にわざわざ話しかけにきてくれたりと、別れを惜しむ言葉をかけてくれていたので、何となく会話の微妙な間(ま)ができたとき、それを埋めるように、
と勇気を出して切り出したところ、あっさりOKをもらえたのでした。
(少しは嫌な顔されるかな、と思っていたのでかなり意外でした。)
LINEでもやっぱり…
その後、A子さんはほとんど出勤のたびにLINEをくれていました。
その内容は仕事の話がメインでした。
A子さんは長文をいっぺんに打ち込むというよりも、2,3文ごとにブロックを分けて連投するスタイルでした。
こんな感じで・・・
(これ、私が描きました!ワンちゃん可愛くないですか?☺笑)
LINEに限らず、職場で面と向かっての会話でも、仕事の愚痴は割合多めでした。
特にA子さんは、週5日のフルタイム勤務ということもあり、私が受けていないスキルアップ研修を受け、別の部署へ移動したことで、業務の難易度が上がり忙しくもなっていました。
私は経験していない業務ながら、話を聞くだけでも大変な気持ちは伝わってきました。
単に「処理が多くて大変だ」「覚えることが多い」といったものばかりでなく、A子さん以外の人のミスや、コミュニケーション不足により生じた行き違いの後処理など、理不尽なこともあるようで、そういった話を聞いていました。
そう思えば、愚痴をこぼされるというのもあながち悪くないものかもしれません。
私は、
と、A子さんの気持ちをできるだけ否定しないように、言葉を選んで返信していました。
仕事の愚痴以外にも、私が直接話をしたことのない方も含め、第三者の人の話題もチラホラ出ていました。
中には、「それはあまり他人に言わない方がいいんじゃ・・・」と思うことや、「A子さんって、意外と人の細かいところを見ているんだなぁ…」と感じることもあり、少し不安にもなりました。
A子さんの連投スタイルに合わせて、私も各ブロックの話題ごとに連投スタイルで返信をしました。
返信をすればすぐ既読がつき、ほぼリアルタイムでスマホを置く時間がないような感じでした。
それでもA子さんが寝る時間を考えると、返信をあまり後回しにしてしまうのも悪いと思い、できるだけ話したいことが寝るまでに話し切れるようにと、すぐに返していました。
(そのやりとりが0時近くまで続いた日もありました。)
ただ、実はそれができたのも、LINE交換後、たったの2回くらいでした。
とうとうやってしまった
10月31日、最終出勤日、私はA子さんと、その他3人の方に「ハロウィン」と「今までありがとうございました。」の意味を込めて、お菓子の詰め合わせをお渡ししました。
A子さんとはその日、お昼休憩と小休憩で会話をしていて、
とA子さんに言われていたので、私もまたそのときに改めて挨拶をしようと思っていました。
ただ、最終出勤は私以外にも数人いて、IDカードや資料入れのBOX、貴重品入れのクリアバッグなど、借りていたものを返却したり、個人ロッカーの清掃などもあり、皆揃って管理者の方の案内に従って、一緒に退勤する流れになりました。
それもあったので、A子さんに声をかけるタイミングをすっかり逃してしまった私。
ただ、それでもA子さんが待っていてくれている可能性も考えて、地下鉄に乗る前にA子さんにLINEをしました。
内容は、最後に挨拶できなかったお詫びと、これまでのお礼などです。
もしかしたらこれを見たA子さんが、「まだいるよ!」と連絡をくれるかもしれない、と思って。
少し待っても返事がなかったので、それ以上駅にいるのも職場の人に見られた少し気まずいし、帰ることにしました。
すると、帰宅後にA子さんから返信がきて、残業していて挨拶ができなかったこと、一緒に帰りたかった、これからもよろしく、といった内容が、長文のメッセージで綴られていました。
しかもその中には、「寂しい」「泣きそう」という言葉もあり、別れを惜しんでくれていたのは本心だったんだ、と私も嬉しくなり、その言葉を読んでジーンとしました。
夕飯を食べた後も何通かやりとりをしていたのですが、次第に話題はいつもの感じになっていき・・・
気が付いたら私はソファに横になったまま寝落ちしていました。
それも、確か21時とか、それくらいの時間でした。
この日はじめて、寝落ちによる「未読スルー」をしてしまい、次の日起きてからも、申し訳なさというか気まずさから、LINEを開くことができず、
と思いながらも、やはりメッセージを開くことすらできないまま一日が終わってしまいました。
そしてその翌日11月2日、この日は新しい職場への初出勤日でした。
朝、いつもより少し早めに起きて洗面所で身支度をしていると、そこへA子さんからLINEが来ました。
通知を見ると、
「A子さんがスタンプを送信しました。」
A子さんは、LINEの最初に「お疲れ様~✋」のようなスタンプを送ってきたこともあったので、このあとに何か続けてメッセージが来るのかな?と思い、とりあえずそのまま開かず放置していました。
けれど、その後待っていても何も返事がありませんでした。
そこで私は、
と思い、地下鉄の中でA子さんのLINEを開いて、前日夜のメッセージを読んでから、返信しました。
月曜日は寝落ちしてしまい、休日だった火曜日も疲れが抜けずにダラダラしていて返事ができなかったことを謝り、今日から頑張ってきます!A子さんも良い休日を、という内容を。
その後、A子さんから返信が来ていました。
けれど、実は今、この文章を書いている時点でメッセージを開いておらず、未読スルーの状態が続いています・・・。
この状態が長引くほど、返信しづらくなるのは明白なのに、どうしてもその気が起きず、ただただ罪悪感や焦りが募ってばかりいます。
夫にも相談したのですが、
などなど、色々と意見してくれました。
たしかに、ごもっともだと思います。
職場が同じで無くなった以上、約束さえしなければもう会うこともよほどの確率でなければ無いでしょう。
だからたとえ、私がこのまま連絡を絶ったり、はたまたブロックしたとしても、別に何の後腐れもないかもしれません。
でも、少しでも「親しみ」「優しさ」を感じた相手にたいして、それをすることがすごく申し訳なく感じます。
まぁ、実際すでにそれ(未読スルー)をやってしまっているのですが・・・
大切にすべき人とは?
ここで、冒頭の話に戻ります。
A子さんは私に、敬意を払ってくれていたのか?
A子さんは私を、好きになってくれていたのか?
A子さんは私を、大切にしたいと思ってくれていたのか?
そのどれも「?」です。
そうだとも言えそうだし、そうでないとも考えられる。
ただ、これを私がいつもカウンセリングで先生から聞かれていたように、
「あなたはどう感じているのですか?」
と考えると・・・
私は、A子さんと話していて孤独を感じていたし、愚痴を聞かされることに疲れていた。A子さんは、話を聞いてくれる相手であれば、私でなくてもだれでも良かったのではないかと思う。
これが正直な気持ちです。
そして、この正直な気持ちに従って動いていいのだとしたら・・・
私が選ぶ行動は、
私は、A子さんともう関わらない。
LINEを返さない。
です。
頭では、自分の正直な気持ち、自分がどうしたいのか、ということはわかっています。
ただどうしても、それが「許されるべきことなのか」「正しいのか」の方を優先すべきだと考えてしまいます。
「~すべき」と「~したい」が両極端で、もはや身動きが取れない状態です。
自分に敬意を払ってくれている人、自分を好きな人、自分を大切にしてくれている人ってどんな人なのかも、わかりません。
せいぜい、自分をいつも気にかけてくれる人、声をかけてくれる人かな、みたいな感覚です。
むしろ「私と話をしてくれる」というだけでも、上記3つに当てはまる気さえしてしまうのですが・・・
自分の直感や気持ちにどこまで正直になってもいいんでしょうか・・・
私はいったい誰に、いつまで「許し」を求めているんでしょうね😢
。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。
最後までお読みいただきありがとうございました!
文章にすれば少しは客観的な目線で考えを整理できるかな、と思ったのですが、やっぱり全然まとまらず、余計悩みが深まる(?)結果となりました・・・!
「自分を大切にしてくれる人を大切にする」って、なんだか人を選んでいる「上から目線」みたいな気がしていました。
でも、誰にでもいい顔をして、そのせいで疲れてしまって、大切にすべき人を大切にできないくらいなら、人を選ぶことも必要なのかもしれません。
と、今日はもう遅いのでこのへんで・・・!
また次回の記事でお会いしましょう!!!(*´ω`)ノ
★おまけ★
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