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[カナダ留学]グループワークを通して感じた、異文化コミュニケーションの難しさと日本の良さ

こんにちは!
私は現在、カナダトロントでcoop留学生として一年間留学していて、現在はビジネスカレッジで毎日ビジネスの勉強をしています。


私のコースは一カ月間で一つの単元を学ぶんですが、半月が終わったタイミングで個人レポート、月の最後にはグループレポートとそれに付随したプレゼンテーションの課題があります。

最終レポートとプレゼンはグループワークなので、チーム内での役割分担だったり、連携だったり、つまりは「チームワーク」がとっても大切です。

クラスメイトは世界中から集まってきているので、文化が違えば、母国語は違うし、意思疎通を図るのが難しいことも多いです。

私の友達が経験した話が衝撃的だったので、国の文化に対する偏見にならないように注意しながら書きたいと思います。


ミスコミュニケーションが生み出したdisaster

私が一番仲良くしてる韓国人の友達は、今セッションの最終レポートとプレゼンで、メキシコ人、ケニア人、ドイツ人のクラスメイト(全員男子)とグループになりました。

テーマを授業内で決めた後、グループチャットで誰がどの部分のレポートを担当するかを決めたそうです。

だいたいチームレポートとスライドを作成するときは、google document とgoogle slideを誰かが作って、共有しながら作成していきます。

彼女(韓国人の友達)は、グループチャットに共有するgoogle document やgoogle slideをどうするかについて聞いたらしいんですが、プレゼンは水曜日なのに、直前の日曜になっても誰も返事を返してくれなかったそうです。

彼女は諦めて自分の担当パートのレポートだけ作成して、グループに共有していました。

プレゼンの前日の火曜日は、先生がプレゼンの準備のための時間をくれて、私のグループはその時間にすり合わせをしたりしていました。

でも、彼女のグループのメンバーは、メキシコ人とケニア人のクラスメイトは欠席していて、ドイツ人のクラスメイトはずっとゲームをしていたそうです。

そして前日になって、ドイツ人のクラスメイトがスライドを自分が作ると言ったそうです。

そして当日になって、朝確認すると、彼はスライドを作っていなくて、彼女の担当パートを自分がプレゼンする?みたいな感じのことを言ってきたらしく、プレゼン直前で彼女は明らかに怒り心頭という感じでした。

しかし、彼女のグループの出番は後ろの方で、出番までの2時間くらいで、ドイツ人の彼がスライドをすべて一人で作ったそうです。

文章は全部chat gptを使って作られていたそうです。

そして案の定、プレゼンは見ている側から見てもぐだぐだで、チームワークがまるで取れていないという感じでした。

それから、一番衝撃的だったのが、彼女が一生懸命作ったレポートの文章を使わずに、自分で書いたものを使って、レイアウト等も全部ひとりで決めて、チームレポートとして提出していたそうです。


私が感じたこと


まず、自分がプレゼンするパートのスライドは、自分で書く文言だったりを決めないとすらすら話せなくて当たり前です。

スライド全体の統一感はもちろん大事なので、一人が最後に統一するために編集を加えるのは必要な作業だと思いますが、彼は編集どころではなくすべて自分で作って、それもプレゼンの本当に直前に完成させて、みんなに強制的に自分が作ったスライドを使わせていました。

みんなは明らかにスライドの内容に戸惑っていました。


彼女が言うには、彼は「すべて自分でコントロールしようとする」そうです。

彼は社長の息子さんで、まだ20歳とかで、個人のパーソナリティとしてまだ成熟していないという部分は大きいのかもしれないです。

そういうパーソナリティを考慮しながら、文化がちがう者同士で、母国語ではない英語でコミュニケーションをとるのは、すれ違いが起こった時こそほんとに難しいなとひしひし感じました。


「空気を読む」という日本独特の文化

正直に言って、日本にいたらありえないというか、「空気がよめないやつ」って感じでだいぶ白い目で見られるタイプだと思います。

でも、この「空気を読む」っていう感覚が、日本独特の文化であり、いい面もあれば悪い面もあるなっていうのを、日々感じています。

私は、たぶん日本人の中でも空気を気にする方で、じぶんの行動がばを乱していないかとか、人の顔色や人の目線に常に敏感なタイプでした。

それがゆえに、人の目を気にして自分の素直な感情に従えていなくて、結局自分の中でジレンマを感じて、勝手に苦しんでいることが多かったなと思います。

でもカナダに来て、人の目なんか気にせずに、自分主体で素直に生きている人にたくさん出会って、なんかすごく見えない鎖から解放されたみたいな気分で、日本にいたときよりもまっすぐ自分のやりたいことに向き合えている感じがします。

そうやって自分の感情に素直に生きれているからこそ、心が健康という感じで、だからこそ周りの人の幸せや成功を素直に喜んで祝えるようになりました。

日本にいたときは、常に

「誰かを追い抜いて自分が上に行く」

みたいな思考で、だから人の幸せだったり成功だったりを素直に喜べなかったけど、

カナダに来て、

「自分も相手もwin-winな関係」

を求められるようになりました。

そうなって、自分自身も幸せだし、相手にも幸せを与えられるし、相手からも幸せをもらって、自分の周りで、日本にいるときには生まれなかった、とってもいいサイクルが日々生まれている感じがします。

カナダにいる人は空気が読めないってことではなくって、日本人は、必要以上に空気を読みすぎたり、周りからの目線を気にしたりする人が多いのかなと気づきました。

だから、日本のそういう風潮を、正直悪いものとしてしかとらえられてなかったです。

だけど、この今回のグループワークの話を聞いて、正直日本だったらほぼありえないんじゃないかなと思いました。

それってなんでなんだろうって考えたときに、日本人は「空気を読む」つまり「人の気持ちをくみとる力が優れている」からなのかなと思いました。


カナダに来て、自分の意見をどうどうと発信できるみんなを見て、自分に劣等感を感じることばっかりだったし、日本人の性格じゃ世界で戦っていけないんだろうなって感じてばっかりいました。

でも日本人の協調性はすごく特別なものだし、協力をしていくうえで必要な能力で、後天的に身に着けるのはなかなか難しい貴重な感覚なのかなと思いました。

みんなのいい部分を吸収しつつも、日本人としての良さを忘れずに、大切にしていきたいと感じるきっかけでした。


追記

今日はクラスのクリスマスパーティーで、プレゼント交換をしたり、先生が買ってきてくれたケーキをみんなで食べたりしました(^_-)-☆

そのあと、先生が「それぞれの国のtraditional danceを教えて」と言って、みんなそれぞれ自分の国の伝統的なダンスの動画を見せたり、踊って見せたりしました。

ラテンガールたちに引っ張られるがままに、なぜか私もメキシコ人の中に一人混じってメキシコのダンスを習得したりしてました(^_-)-☆

日本や韓国や台湾のダンスを見たメキシコの友達が、
「私たちのダンスはみんなが自由に踊って、ぶつかったりするけど、アジアのダンスはみんなが揃って同じ動きをしてて、洗練されてるね」
みたいなことを言ってくれて、

なんかそういう芸術の部分にも、日本人の協調性の感覚が現れているのかなと感じました。








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