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取り返せなくとも、 せめて、 日々を無事に過ごせるように。

例に漏れず「まさか自分が」と思った。
同時にやっぱりそうか、とも。

複数の医師に下された診断は「適応障害」。そしてそれに伴う抑うつ気分および不安症状。
今後の経過次第ではうつ病という診断になるかもしれません、そう言われたあの日を今でもはっきり覚えている。

帰り道、人混みの電車に乗ってすぐに下車した。振動が身体に響いて、吐いてしまいそうだった。
結局、満員電車では帰ることができず、かといって人気の多いカフェなどで待てる気もしなくて、公園のベンチにぼんやり座っていた。

ついに自分にもその日が来たか。ただそう思った。



眠れているから、食べれているから、人に会えているから、仕事に行けているから大丈夫だと思っていた。


「人生楽しそう」
「本当に前向きでポジティブだよね」
「いつも元気で励まされる」
「根っからのハッピー野郎だな」
「活動的で疲れ知らずだね」

「明るい」「前向き」「元気」「楽しそう」「活動的」
わたしのnote投稿は暗めの自分語りが多いので想像がつかないかもしれないけれど、こういった言葉を言われ続けて今まで生きてきた。

これらは過去のわたしを形作る言葉だったのか、あるいは今も変わらず「わたし」の構成要素を示すのか、よくわからない。
ただ一つ言えるのは、それが揺るがない「わたし」の姿だと信じて疑わなかったし、それが壊れるとは微塵も想像していなかった。


実際のところ、診断を受けるずっと前からわたしは壊れかけていた。

考えてみれば、半年くらいは通勤電車でほぼ毎日泣いていた。
同乗していた人の目にはどう映ったのだろう。
無表情な顔に静かにスッと流れる涙なんて、気付かないかもしれない。あるいは気付いてギョッとしたかもしれない。


仕事でも、家族や恋人、友人に対しても、怒りっぽく ”扱いづらい人“ に変わりつつあった。
些細なことで落ち込み、イライラして、かつての自分からは想像できないほど攻撃的だった。
必要以上に食べすぎたかと思えば、ろくに食事が取れなかったり、食欲にはバラツキがあった。


どんなときも支えてくれる彼は、今でもときどきあの頃を思い返してこう告げる。
「あんなにボロボロな君の姿を見たのは、後にも先にもこの1回だけだった、そう言えるよう願っている。」




こう文字に起こすと、間違いなく「何かが」起こっていたと思うのだけど、当時のわたしは『ストレスによる疲れや、月経に伴うPMSかな』くらいにしか考えていなかった。
だって、それなりに眠れていて、一応食欲もあり、なんとか仕事に行き、ときどき人に会えていたから。


結局、わたしは症状がかなり深刻化するまで自分が精神的に疲弊してることに気が付かなかった。

気がつかなかっただけではなく、こうした変化(というか異変)について、事態がかなり悪化するまで誰にも言うことができなかった。
一時的なホルモンバランスの乱れや軽い疲労のせいかな、くらいに思っていたのもあるし、「異変を口に出したら本当に体調が悪くなってしまう気がする」という謎の言霊信仰のようなものもあったのだろう。


そのときをやり過ごせれば、いつか軽快する。どこにも根拠はないのに、ただそう信じていた。






一日の中でも特に朝の抑うつ気分が酷いというのが、よくあることだと知ったのは医者にかかるようになってからだった。
少しでも専門的知識がある人から見れば明らかな兆しが存在しても、当事者であると気づけないことは、意外にある。

わたしのように、寝れていて、食べれていて、仕事や日常生活を送れていると、なおさらその変化には気付きづらかったりする。

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インターネットやその他メディアで得られる情報は、必ずしも自身の状態と一致しないことがある。むしろ症状が合致しないから大丈夫なはず、と身体や心のSOSを封じ込めてしまうことだってあるだろう。

でも、よくわからない ”異変”を感じたら「大したことじゃない」と決めつけないで欲しいと思う。
家族や友人に話してみるのでも、心療内科やカウンセリングを利用してみるのでも良い。

この世界には自分ひとりで解決できることもたくさんあるけれど、誰かの、外部の力に頼ることも有効だと心の底から感じている。
心や身体が弱っているときは、なおさら。




心療内科やカウンセリングはどこへ行くべきか悩む人は多いだろうし、いざ行こうと思っても予約制ですぐには診療を受けられない場合もある。
加えて、医師やカウンセラーなどとの相性も少なからず関係する。

私は、自宅近く、職場近く、知人の勧めなどいくつかの場所で予約を取って、最終的に信頼できると感じたところに通うようになった。

薬の処方などに抵抗感がある場合は、まずは投薬以外で・・・と伝えるのも良いだろうし、漢方から試せる場所も少なくない。



「自分は落ち込んだり、精神的に疲弊するタイプじゃいから・・・」
そう思う人もいるだろう。実際、今は元気かもしれない。けれど、いつ何がきっかけで「異変」が訪れるかはわからない。

「異変」が訪れたとき、心と身体のSOSに最初に気づくことができるとしたら、それはきっとあなた自身だと、わたしは思うのです。



小川洋子さんのエッセイ集『とにかく散歩いたしましょう』にこんな言葉がある。
”取り返しがつかないのに、どうして日々無事に過ぎてゆくのだろう”

わたしたちは二度と戻ることのできない、取り返しのつかない毎日を過ごしている。だからこそ、取り返しのつかない日々が、無事に過ぎていくことが許されるよう、心と身体のSOSを見過ごさないで欲しい。


取り返せなくとも、せめて、無事で過ごせるように。





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