解き放つ自分を赦すための〝違和感〟
この日はカラーセラピーのセッションだった。
これまで、クライアントさんが並べたカラーボトルを前にして、紐解かれた意識は私の一部だわ、なんて思ったりすることがあった。まさに投影された自分自身。〝色取りどりのボトル達〟イコール〝細分化された自分〟を前にハッとする。
今回もそんな場面が多々あった。
センセーションカラーセラピーは、
○ 外側の自分‥顕在意識
○ 内側の自分‥潜在意識
という、目には見えない領域を10本のカラーボトルによって読み解く色彩心理療法。
自ら選ぶ〝可視化された意識〟によって、培われた土台と体験を元に〝今〟に在る自分と向き合い、望む未来にモチベーションを与える。
人体のエネルギーセンターであるチャクラバランスを整えるヒーリングなど、スピリチュアルな要素も持ち合わせている。
セッションの後は美味しいランチを頂きながら、この地球では〝自分は主役で全ては幻想〟について語り合った。
覚えている記憶、思い出しそうな記憶の糸を辿りながら言葉にしたら響いてくれた人がいた!という喜び。つまりは裏返してみると‥ほんとのところ淋しいのだ。
〝幻想〟なのだからひとりぽっちでもいいじゃん!と思いながら、何処かで〝全てはひとつ〟を知っているから、まるで引き離されたかのように感じる孤独。とはいえ、ひとりぽっちに感じたとしても〝全てはひとつ〟なのだろう。たぶんそう。
ココ、私にとっての腑に落とし込むところなのだろうけど、思考を巡らせるだけでは分かったつもりになっているだけだ。分かるときは分かるようになっている。
三次元的感覚に呑み込まれそうになりながら、そんな自分に違和感しかなかった最近の私は、このままでいいのかな‥なんてね漠然と思っていたから、解き放つ自分を赦せたことに救われた。
違和感を体験するための〝三次元的感覚〟であり、解き放つ自分を赦すための〝違和感〟だったとしたら、〝自分を赦すと救われる〟を体験したかった〝地球に生きるザ・人間〟が今の私という訳だ。
とにかく、心も身体もとっても満たされた。
大豆田とわ子が好きって人が
ここにも居たことが嬉しかった一日だった。