コントロールの強・弱
台風の爪痕は、今回は千葉が酷いようで、今日も停電、断水が続く地域がけっこうあるらしい(1時間でも早い復旧を祈ってる)。昨日は成田空港が陸の孤島と化してしまったようで、閉じ込められた方々はたいへんたいへんお疲れさまでした。
そんな中、内閣改造が行われてるニュースが続々と流れてきて、まぁ、災害がどうあれ予定は、その通りにしなきゃ気がすまないんだろうなぁと思って見てる。
予定を狂わされるのが、すっごく嫌。予定外のことに巻き込まれるのが、すっごく嫌。
コントロールを強く効かせて、できるだけ自分の意のままに動きたい、と願っているということだ。
これは官邸に限らず、いち会社員に至るまでそうであろうことは、昨日の駅前に行列をつくる人たちの写真を見ても何となく感じられる。
いや、どんな人だって、ある程度は自分の思う通りに過ごしたい、生きたいという欲望を持っているだろう。自分だってそうだ。
一方で、「思い通りにゆかない」という体験が、いかに大切か、自然災害を前にすると感じられる。
そして、後になって実りが豊かなのは、「思い通りにゆかない」を生きている存在の方だ。と、ぼくは言ってみたいと常日頃思っている。「思う通り」なんて、どうせたいしたもんじゃないから。
イロイロサマザマな文章を読んでいて、感じることの中にも、コントロールの強・弱がある。書き手によるコントロールの強・弱だ。読みながらそれは(ある程度)感じられる。
コントロールが強すぎると、読んでいるぼくはすぐに飽きる。弱すぎると、その分、どこへゆくのかわからなくなり(飽きるのは先送りして)、ずーっと歩いて(読んで)、遥か彼方まで(ゆこうと思えば)ゆける。そんなふうに言えそうだ。
「こんなふうなことを書きたい」とか「これは言いたい」とか(書いているものにもよるが)、そういうことはしかしあるだろうから、コントロールを全く手放して書くということは困難(非現実的?)かもしれない。しかし、ぼくにはそんなことに憧れる気持ちもあるのである。
その先に、"道草家(みちくさか)"の本領発揮、が待っていそうな気もする。
(つづく)
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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、9月10日。今日は、「重陽の節句」の話。
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