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こどもの頃、こわかったもの

こどもの頃は、いま以上にこわいものがたくさんあった。たくさんあったような気がする。

少し思い出してみよう。

小学5年になる頃まで住んでいたマンションの"家"の、短い廊下に、なぜか南米かどこかにありそうなお面が飾ってあった。それを見るのが、とくに夜見るのがこわかった。そのお面はトイレに行く手前にあった。

引っ越した家は、それ以前は魚屋をやっていた祖母の週末の家だった。ぼくの一家が住むにあたってリフォームをしたが、古いままの部分は存分に残されていて、やはり夜はこわかった。自分の部屋ですら夜、暗くしているとこわかった。

水の中が、こわかった。プールや海に入るのは、こわかった。幼い頃、父に抱かれて、大人の入るプールに入ったが、なぜか父がぼくを離して水に浮かせようとしたことがあった。それでますます水がこわくなった。

公園なんかに行って、高いところにのぼる遊具も、同じようにこわかったような気がする。嫌いではないのだが、こわいものはこわいのだった。

男の子のくせに… と言われたかもしれない。ぼくの故郷のことば(鹿児島弁)で、そういう子を、"やっせんぼ"と言う。言われていた。

先日、5歳になった息子を見ていると、彼もぼくに似て"やっせんぼ"のようだ。

ただ、ぼくと違うのは、うじうじしていないで、「イヤだ!」とハッキリ言って、こわいものからはサッサと離れて行ってしまうところだ。

こわくても、ちょっとやってみれば…? とぼくは思うが、彼はそうは思わないらしい。ぼくは幼い頃の自分のうじうじした態度がよく考えたら好きではなかったので、彼の態度は、なんだか、ちょっとまぶしく見える。

大きな音が、こわかった。

いつかの夏、花火大会に連れてゆかれて、屋台が並ぶ会場で、ウキウキしたが、花火が始まると、ものすごい音にビックリしてしまって、幼いぼくはおそらく泣き出してしまった。

小学生の頃、こわくて、尻込みして、出来なかったことがあり、すぐあとで後悔して、次には絶対にやってみよう、と決めて、やってみたことがあり、そのことはよくおぼえている。

両親のことは、大好きだったが、ちょっとこわいところもあったような気がする。

"やっせんぼ"らしく、幼い頃のぼくは泣き虫だった。多くはおぼえていないが、こわいものばっかりだったのではないか。

幼少期のことを思い出すと、そこには宝物が、たくさん眠っている。嬉しくなるような宝物ばかりではないが… しかし、イヤだったものでも宝物は宝物だ。

大人になって、かつてこわかったものは、こわくなくなったのだろうか。わからない。よくよく考えたら、いまでも、まだこわいものが、じつはたくさんあるような気もする。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月 17日。今日は、肉まん風の◯◯が登場しています。※毎日だいたい朝に更新しています。

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