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「書きたい」が、どうやって来るか?

先週から、これまで自分が書いてきたものを整理して、読み直す作業を始めている、と数日前に書いた。

これは、共に読んでくれる人がいて、やってるというのが大きいのだ、とわかってきた。

主に、ぼく(現在40歳)が、20代の頃に書いていたものを中心に読んでいるのだが、思い出すことがたくさんある。

何か言われて思い出すこともあるのである。ひとりでやってるだけでは思い出せなかった、という記憶が。

当時の自分が何を思って、何を考え、何に影響を受けながら、何を感じながらそれを書いていたか、ということを思い出してる。

そうこうしていたら、ちょっと驚いたのだが、何やら、とても「書きたい」気持ちが湧き上がってきた。

これまでは書きたくなかったのか? と言われると、口ごもってしまうしかないが、何が言いたいかというと、やっぱり("生"の段階で)「共に読んでくれる人」の存在があるか、ないかの違いではないか?

20歳の頃、書き始めた少し後、まだ学生の頃だが、ぼくはまだコーラス・グループをやっていて(その少し後に音楽をやるは止めて聴く専門家になった)、その仲間が、書きたてホヤホヤのぼくの原稿を読んでくれていた。その頃は、ぼくが書き、まず彼が読んで、何か反応があり、それに刺激されて次から次へと書いた。頼まれもしないのにアホかというくらい書きまくっていた。

身近に、原稿の段階で読んで何か言ってくれる人の存在が、やっぱり要るんじゃないか。つまり、ぼくは自分が編集者だったが、自分自身の編集者にはやはりなれなかった。なれるとしても、共に読んでくれる人(協働者)の存在は必要だったんだ。

そんなことに、今頃になってようやく気づいた。

「書きたい」と心から願うかどうかは、書く者にとって何よりも大切なんじゃないかと思う。

「ひとりでやるな」というのは、本当にその通りだった。

(つづく)

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