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安楽死の是非

 安楽死制度についての是非を私なりに述べる上でまず生と死の境界線について考察したい。

 自分自身で何かを表現する及び自分が生きている意味を見いだせることが生きているということだと唱える人もいる。では植物状態は生の境界線を越えた死なのか、脳の機能が停止しているので自己表現も叶わずもちろん自分が生きている意味など見いだせるはずがない人間を死と定義するのか、

 私はできない。

 患者のご家族を目の前にして私は彼・彼女はもう死んでいると言えないし言えるわけがない。もしかしたらいつか目が覚めるかもしれない、私がご家族の立場なら蜘蛛の糸を掴むほど困難であったとしてもその希望にかけると思う。

 生と死に境界線を引くのは非常に困難だった。本人の意思及び意識がある状態だとも考えたが生まれつき脳に重度の障害を抱えた方もいる。明確な意思表示がなく私たちが理解できない言葉を発していても、それでも彼・彼女らは当然生きている。

 ここで本題である安楽死の是非について生と死の境界線の考察を踏まえ私なりに答えを出したい。この地球で安楽死が合法化されている国がある、それはオランダだ。オランダで安楽死が合法化に至った経緯をまずは見ようと思う。

 安楽死について議論がなされるきっかけとなった出来事がある、それは「ポストマ事件」である。

 脳溢血のため下半身が付随となった母親が娘であり医師でもあるポストマ医師に安楽死を要求した。ポストマ医師は再三に渡って断ったが母親は何度もベッドから落ち自殺を試みたり、病院食をあえて全く手に付けなかったりとした。そんな母親の行動をみてポストマ医師は安楽死させることを決意した。実際に安楽死を実行したポストマ医師は当然だが嘱託殺人の容疑で起訴された。そしてポストマ医師が起訴されると同時にこの事件が大きな社会的反響を生み国民の大いなる議論の対象となった。

 結果として判決は患者が不治の病であり、耐えがたい苦痛もあり安楽死を本人が希望しており、ポストマが他の医師とも協議をしていた事実が認められ、一年間の執行猶予付き禁固一週間という形だけの刑となった。そしてこの判例を皮切りに安楽死の是非がより深くオランダ全体で議論の対象となった。

 そして1996年6月にうつ状態であったが精神病を患っていなかった女性が医師に安楽死を求め、安楽死を実行した医師が起訴された裁判の最高裁判決が出た。結果はまたも形だけの有罪判決だった。そしてこの事件が安楽死をする条件を肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛も安楽死の対象に入ると暗に示していた。

 ここで世論の安楽死への理解もあったため政治が動き安楽死の合法化が進んだのであった。もちろん合法化されたからと言って誰でも簡単に安楽死ができるようになったわけではない、安楽死を望む本人の確固たる意思・複数人の医師による協議・なぜ安楽死を望むのかといったとても多くの満たさなければならない条件が厳格に定められている。

 私は安楽死制度に賛成である。ただし耐え難い痛みを伴っていることや不治の病であること複数人の医師の同意、何より本人の同意などが必要な条件付き賛成であるがこの耐え難い痛みという線引きがまた難しい。

 人それぞれ痛みの感じ方が違うのは当たり前で私が中学生の頃に読んだ『高瀬舟』で森鴎外が描いた喜助の弟が苦しむ様子は今でも鮮明に覚えている、自らの弟に手をかける喜助の心情が手に取るように理解できるし、私も喜助なら同じことをすると思った。今考えると森鴎外が、はるか前に安楽死の是非を民衆に問いていたことにも驚いた。

 私は安楽死に賛成であるがこの耐え難い苦しみということに関しては精神的苦痛を含まない、肉体的苦痛のみに限定したいと考えた。私が提起している精神的苦痛とは肉体的苦痛を起因とした精神的苦痛ではなく、精神的苦痛のみ及び精神のみに限定された苦しみによる安楽死は認めるべきではないと考える。なぜなら耐え難い精神的苦痛のみの判断を第三者が見極めることは非常に困難であり、自殺志願者が安楽死という名目で命を絶つことを避けたいからである。科学進歩が目覚しい今日、人の心を数値といったような目に見える形にして第三者がその人の心を理解するという領域には達していない。

 しかし肉体的な損傷並びに疲弊は第三者が見ても判断が可能であるため、肉体的苦痛を起因とした精神的苦痛の安楽死は認め、あえて対照的に述べるが精神的苦痛を起因とした精神的苦痛による安楽死は認めるべきではない。

〇 肉体的苦痛 ➡ 精神的苦痛 ➡ 安楽死

✘ 精神的苦痛 ➡ 精神的苦痛 ➡ 安楽死

私はいずれ日本でもオランダのように安楽死制度の是非について政府世論含め大きな議論になる日が来ると思う、そんな日までには生と死の境界線をより明確に引けるようになりたいと思った。
 
 
 
≪参考文献≫
三井美奈―(2003)『安楽死のできる国』新潮社
岩井寛(口述)・松岡正剛 (1988)『生と死の境界線』講談社


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