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鹿野さんの挑戦に見るひと同士の信頼 『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』

どこまで行くの 僕たち今夜
このままずっと ここに居るのか
はちきれそうだ とび出しそうだ
生きているのが すばらしすぎる
         
-  ザ・ブルーハーツ「キスしてほしい」

鹿野さんの人生を、象徴するような曲。映画の中で何度も使われます。ブルーハーツ世代には、たまらない選曲です。

甲本ヒロト、当時の私にとっては衝撃的でした。「キスしてほしい」は、今も忘れられない曲の一つです。

あらすじ

1990年代半ば、舞台は北海道・札幌。筋ジストロフィーを患う鹿野(大泉洋さん)は大勢の介助ボランティアに支えられて、自宅で療養生活を送っていた。

毎日毎日、ボランティアにはワガママを言いたい放題。振り回され続けるボランティアたち。鹿野はなぜ、病院生活を選ばず、親元にも帰らず、自宅でボランティアと暮らすのか。そこには、鹿野なりの夢と、希望があった。

というのが、映画の予告編的な内容。物語冒頭、のっけから夜中の2時に、「バナナ食べたい。食べなきゃ寝られない」とワガママ全開の鹿野さん。美咲(高畑充希さん)でなくとも、一体この人なんなの!とキレたくもなります。

しかし、本当にこれは「ただのワガママ」なのでしょうか。
そのあたりを探るべく、映画の中では描かれてない鹿野さんの背景について少し触れた後、映画の内容に触れたいと思います。

鹿野さんの背景:筋ジストロフィーという病気

何となく「筋ジストロフィー」という病名は聞いたことがありますが、そもそも鹿野さんはいったい、どんな病気にかかっていたのだろう、ということで調べてみました。日本筋ジストロフィー協会のホームページから引用します。

筋ジストロフィーは、身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称です。平成27年7月から、指定難病となっています。

つまり、筋肉が壊れてしまうのに、再生されにくいからだんだん筋力が低下する、と。

内臓も筋肉ですから、これは確かに難病です。映画の中で、医師が「拡張型心筋症だからね」と言っていたのも、おそらく筋ジストロフィーによって引き起こされたものでしょう。

12歳の時に発症し、それからだんだんと身体が動かなくなって、自分で出来ることが少なくなっていく…これは、相当な恐怖だと思うのです。不安で眠れないことも、たびたびあったでしょう。

そして、病気の進行につれて、他人を頼らざるを得なくなります。健常者なら、夜中にバナナが食べたくなったら、歩いてコンビニに行って買えます。鹿野さんは動けないわけですから、誰かに頼まなくてはなりません。その上、頼まなくちゃいけないことは、どんどん増えていく一方です。頼むのを遠慮していたら、何もできなくなってしまいます。

鹿野さんの「ワガママ」は、日常生活を普通に送ることそのものだったのです。

鹿野さんの背景:人生を変えた出会い

自分で出来ることが減っていくたび、普通は生きる希望を削がれ、気力も失われていくだろうと思ってしまいますが、鹿野さんには、人生を変えた出会いがありました。作品中でも触れられていたエド・ロングさんです。鹿野さんは、携わっていた札幌いちご会の活動の一環として、エド・ロングさんの講演会に同行しています。


エド・ロングさんは、まだバリアフリーが普及していないころ、アメリカで障がい者の自立支援運動を提唱していた人物で、鹿野さんと同じ筋ジストロフィー患者でした。障がい者も、自分の人生は自分で決めていきくべきだと主張する、エド・ロングさん。「主張することを恐れてはいけない」というエド・ロングさんの言葉に、鹿野さんは、強く共感したことでしょう。

やってもらわなくてはならないことが、たくさんあるけれども、良かれと思って先回りしてもらいたくはない。自分のような障がい者だって、意思を尊重されるべき存在だと、鹿野さんは強く感じて自立生活の実践に入ります。

重度障がい者は、「施設や病院で暮らす」か、「親がなんとかする」以外の選択肢がほとんどなかった当時、行政の風当たりも、親からの反発も強いものでした。鹿野さんが介助ボランティアと共に暮らす生活をはじめたのは、そんな時代だったのです。

映画本編:大泉洋という役者の魅力

さて、作品中でそんな鹿野さんを演じるのは、北海道の大スター・大泉洋さん。過酷な状況に置かれて、イラつきながらも貪欲に生きているはずの鹿野さんに、どこかトボけたコミカルさが加わります。ひどいことを言っていても、クスッと笑えてしまう。

「もう、しょうがないなあ、この人は」。観てる方が、鹿野さんについそんな感情を持ってしまうのが、「役者・大泉洋」の不思議な凄さ。この作品が重くなりすぎることなく、明るい気持ちで観られるのは、大泉洋さんが鹿野さんを演じたからこそだな、と感じました。

映画本編:美咲の示すもの

彼氏である医大生・田中を追いかけて、鹿野さんのところへやってきた美咲(高畑充希さん)。出会って2度目だというのに、鹿野さんの言動を目の当たりにした彼女は、あまりに腹に据えかねたのか、こう言い放ちます。

「鹿野さんって、ナニサマ? 障がい者って、そんなに偉いの?」

鹿野さんは怒って「もう二度と来ない」という美咲に「帰れ! 帰れ!」と怒鳴り散らします。

しかし、これこそが彼の望んだボランティアとの関係だったのではないかなと、私は思うのです。

健常者が、障がい者に対して「お世話してあげている」「やってあげている」関係ではなく、対等であること。嫌なことは嫌だとお互い言うし、変な同情はしない。

美咲と鹿野さんの関係が示しているのは、作品中で鹿野さんが理想としていた、健常者と障がい者の関係。「健常者」と「障がい者」ではなく、「人」対「人」という関係性だったのではと思います。

美咲が、懸命に前向きに生きている鹿野さんからもらったのは、諦めかけていた夢にもう一度チャレンジする勇気でした。「してあげる」だけではなくて、対等な人同士としてのギブアンドテイクの関係こそが、あるべき姿なのではないか、そう語りかけてくるような気がします。

映画本編:医大生・田中の示すもの

そんな鹿野さんのボランティアとして参加する医大生・田中を演じた三浦も、実際に鹿野さんのボランティアを行った人間が、介助を通して自分たちの進む道が見えてきたという発言に興味を持ち「体感してみたい」と思ったという。
     ‐ 映画.com インタビュー記事より

三浦春馬さんが演じた、医大生・田中。

私には、「鹿野さんのところに来る、一般的な大学生ボランティアの象徴」のように思えました。きっと実在の人物ではないでしょう。

象徴ですから、丁寧に、徹底的に、「普通」を演じています。

美咲にウソをつかれれば、怒る。鹿野さんが美咲を好きなことを感じるたびに、少しずつ傷ついた表情になる。傷が深くなってくると、二人と距離を置き始める。

田中くんが、どういう経緯でボランティア活動に参加することになったのかは、明かされていません。ただ、自分の父親との関係が理由のひとつにありそうなことが、彼の表情から感じ取れます。

父と医師としての理想像が異なるのでしょうか。なんとなく、親の病院を継ぐことに対する反発が見て取れますが、優しい性格から、面と向かって言えていないようです。

鹿野さんのボランティアをしているのは、もしかしたらそれが理由なのかもしれません。自分の理想とする医師像は、患者一人一人の心に寄り添う医師。だけど、鹿野さんに振り回されて、優しくなれない自分がいる。優しくできない自分自身にストレスを感じているのかもしれません。

鹿野さんのところに来ていた学生ボランティアは、理由はどうあれ社会的意義を感じて、ボランティアを始めたのでしょう。でも最初は鹿野さんへの同情から優しくできたものの、だんだん振り回されるのに嫌気がさして辞めたり、距離を置いたりする人も、多かったのではないかと思うのです。

相手が「かわいそう」ならば、優しくできる。だけど鹿野さんには優しくできない。そういえば、映画の中でやめると電話をしてきた学生ボランティアが、こんなことを言っていたのを思い出しました。

「鹿野さんって、なんていうか、人生エンジョイしてますよね。だから行かなくても良いかな、って」

そこにあるのは「かわいそうな人は、世話してあげなくちゃ」というある種のあわれみ。「自分は健康だから、お手伝いをしてあげないといけない」という意識なのではないかなと思えました。たぶん、鹿野さんが最も嫌うものです。

田中くんの鹿野さんに対する「何となくの上から発言」は、作品中でほぼ最後まで続きます。

(美咲に自分の彼女を差し出すのかと問われ)「ボランティアとして断るわけにはいかないじゃん」

「だからって、何で僕に黙って退院したんですか」

「・・・友達? 友達ですか? 僕たち?」

健常者一般が、障がい者に対して抱く気持ちを、そのまま反映しているように思えます。

ラスト近く。旅行先で倒れたという知らせを受けた、美咲と田中くんが駆け付けた時、元気な鹿野さんの姿を見て涙をぽろぽろ流す田中くん。「泣いてないですよ」と言い続ける田中くん。

やっと、介助を通じて、鹿野さんから自分がもらったものに気づいたようでした。鹿野さんは、ずっと対等に自分と向かいあってくれていたこと、「何がしたいんだよ」とストレートにぶつけてくれたこと。

父親と自分の関係とよく似た、自分と鹿野さんの関係。対等ではない。自分と父親の関係を、自分なりに見つめ直したのでしょう。

結果、田中くんは自分は自分のまま、医師を目指せば良いのだ、という決断をします。

あきらめかけた医師への道を、もう一度志すことに決めた田中くん。これなら、父親と真っ直ぐ向き合えそうです。晴れ晴れとした顔をしていました。

丁寧に丁寧に、「普通の真面目な優しい青年」を演じきった三浦春馬さん。いつものように、いつものごとく、高い解像度。繊細な表現力は健在でした。

関係ないけど、色気ってどうやったら出したり引っ込めたりできるのだろうと、脳裏に別な役(「ツーリスト」の天久真)を思いうかべて、つい疑問に思ってしまいました。

映画本編:田中と鹿野の関係に見る「強者」と「弱者」

田中くんは、北大医学部の学生で、病院長の息子で、優しいイケメン。可愛い彼女もいる。側からみたら、何の不安も不満もなさそうな、いわば「人生の勝ち組」に見えます。

一方の鹿野さんは、12歳で筋ジストロフィーを発症、だんだん身体が動かなくなる中で、生きることに貪欲に執着し、人間らしく生きようとした人。ですが、いのちの期限が決まっていますし、当人の心のうちは不満だらけでしょう。

人生の勝ち組はどちらかと言われたら、大半が「田中くん」と答えると思うのです。しかし、田中くんの心はどうだったでしょうか。

田中くんは、美咲を通してある種のコンプレックスを、鹿野さんに対して持っていたように見えました。一般的に見て強者=健常者=田中くんであっても、田中くんの心の中では、美咲を勇気づけ、前向きにしたのは彼氏である自分ではなく、鹿野さん。少なからず卑屈になっていたのではと思います。

もっとも、強者=自分、弱者=鹿野さんと無意識のうちに思っていたのは、おそらく田中くんだけで、鹿野さんの方は対等だと思っていたに違いありません。

このあたりの対比も、とても面白いなと思って観ていました。

終わりに

このレビューを書くにあたって、渡辺 一史さんの著書である「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を読みました。

三浦春馬さんだったら演じるにあたって、そうするのではないかな、と思って読んだのです。しかし、脇役でしたから、ボランティアを実際にした人にお話を伺った程度かもしれません。

読んでみて、映画ではうかがい知れなかった背景を知ることができました。映画で描かれた世界に、リアルな鹿野さんが厚みを加えてくれたように思います。

しかし映画を観るにあたっては、あまり構えず、作品そのものを気楽に楽しみ、大泉洋さん演じる鹿野さんに元気をもらうのが、この映画の正しい楽しみ方のような気がしています。でないと、大泉洋さんが鹿野さんを演じた意味が無くなってしまいます。

ハートウォーミングで笑える、鹿野さんとボランティアの皆さんとの関係。鹿野さんの生きるエネルギーを、存分に楽しむ映画だと思います。




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