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失敗を笑う文化・習慣は必要なもの?

日本ならではの文化・習慣の一つに、「失敗を笑う」というものがあると感じています。それは自分があやまって行ってしまった失敗の時もあるし、誰かが失敗をした様子を見て笑う時もあるし、「失敗することは笑われることなんだよ~」と暗に意味した仕草や言葉のこともあります。

日本人として島国で生きていくためには自分を低く見せる術を持つ必要もあったのかもしれないけれど、本当に必要なものなのでしょうか。


こちらのクリスティアーノ・ロナウドと少年のやり取り、ご存知の方はいらっしゃいますか?


一生懸命やっているだけで笑われたり、些細なことを間違えると笑われたり。本当は一生懸命やっている人や間違えた人のことを笑いたくないけど、周りの雰囲気に合わせて笑うという判断をしたり。

これって、自分を着飾らないと生きていけないという意味にもなると思うんですよね。本当の自分自身でいてはいけないというか。


人間、誰もがミスをすることはある。そして何かに一生懸命取り組む姿は、尊敬に値するもの。でも、相手のミスや一生懸命な姿を笑っていては、自分自身もミスをすることが怖くなったり、本当は好きなこと・やりたいことに一生懸命取り組めなくなったりしてしまうのではないでしょうか。


自分に正直に生きること。

それは、ものすごく勇気の要ることだと思います。なぜならば、周りとは異なる行動をとる必要が出てくる場面があるから。

でも、自分に正直になって生きてみると、今までとはまた違った世界が見えてくるはず。口にするもの、目にするもの、いろんなことへ感謝の想いを自然と持てるようになって、生きていることへの苦しみが少なくなる人が増えるんじゃないのかな、と。過去の私のように。

だから、自分に正直に生きる決意をして、自分を生きる。自分に優しくなれると、自然と周りの人へも優しさが溢れだす。そうやって優しさを循環させられたら、これ以上幸せなことってないんじゃないんでしょうか…♡

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