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怖いのは他者の目だった。

今朝ふと気が付いたこと。それは何か物事を終わらせることを怖いと感じている私がいることだった。

振り返ってみると、夏休みの宿題もギリギリまで残しておくタイプだったし、やるべきことは後回しにしてしまいがちな方だった。ただし、正職員として勤務していた時は早め早めの行動で、ギリギリなんて仕事の仕方はしてなかったな。

ここにはどんな違いがあるのだろう?

それは、自分自身だけのことなのか、他者へも影響があるかどうかだと思った。

夏休みの宿題は、完全に私個人の問題。だから別にギリギリになっても、私がどうにかしたら良いだけのこと。でも仕事は違う。できるだけ早く計画的に仕事を進めることが、最終的に私自身を楽にしてくれる。なんとなくだけど、仕事を始めた時からそれが分かっていたのかもしれない。


そして私だけの問題であることを先延ばしにしてしまうのは、怖いという感情があるからだと気が付いた。

なぜ怖いのか?
それは形にして提出することを求められることが多いからだ。

なぜ形にして提出するのが怖いのか?
それは、他者から評価されるという行為も伴うことが多いから


今振り返ると、美術の時間に制作物を提出する時も、大人になってから市役所等へ書類を提出する時も怖かった。
美術は自分が作ったものに対してあれこれ言われるし、自分では「良くできた!」と思っても先生からの評価は低いことが多かった。(美術苦手だから仕方ないのかもしれませんが^^;)
書類はフォーマットなどをしっかり読み込み、書いた後も何度も確認して、それから提出していたけれど、それでも怖くて怖くてたまらなかった。

でもこれって、全部他者から見た自分を気にしているんですよね。仕事は他者からの評価云々なんて関係なく、とにかくやらなければいけないという責任感があったから、怖くても早く進めることができたんだな、と。


そう、私は他者からの評価を気にしている。間違ってはいけないと思っている。間違うことは恥ずかしいこと・あってはならないことだと思っている。他者に対してはそうは思わないのに、自分自身へ対するこの意識がめちゃくちゃ強い。

でも人間なんだから間違える時もあるし、間違えたって別に死ぬわけじゃない。間違えた自分を認めて、素直に謝って、その間違いを直すための行動をとったら良いだけ。難しくする必要なんてない。


ちょっとずつでも、自分が自分に課した〆切を早倒しで進められるよう、その時は時間がかかっても自分を深掘りして本当の私の想いを見つけて自分へ声をかけていこうと思います。


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ふと今朝【物事を終わらせることが怖い私がいる】ことに気づき、自分の深掘りを始めたところ「形にすると次に行かなければならないから。」っていう理由もあるのかなって思ったのですが、noteを書き始めて完全に気付きました。

私はただ、他者から向けられる視線・他者から行われる評価、間違いを犯すことへの恐怖・罪悪感でいっぱいだったんだってこと。

noteさん、ありがとうございました☆

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