『ツナガル』


                              『ツナガル』    春木よしの

 おじいちゃんの家は、崖の上にあるんだ。山奥の崖の上。

僕の家からは、バスに乗って電車に乗って、新幹線にのって……。
 新幹線は、ちょっとワクワクするからいいんだけどね。小さい頃の僕の夢は、新幹線の運転手になることだったんだから。
 新幹線を降りたら今度は特急電車に乗って、その次は路線バスに乗るんだ。路線バスって言っても10分や15分じゃないよ。1時間くらい山道をくねくね行くんだ。
 ああ、家を出てから、かれこれ6時間もかかる長旅なんだ。思い出すだけでも、おじいちゃんの家はほんとに遠い。

 でも、僕はおじいちゃんが大好きだよ。お母さんに、がみがみ「塾の宿題やれ」だの「ゲーム禁止」だの言われた時は、おじいちゃんの家に逃げ込むんだ。
 今日は天気がいいから縁側だって。縁側にちっちゃいちゃぶ台おいて、お茶するんだ。おじいちゃんだって、一人っきりの暮らしだから、僕が来てくれてうれしいって言ってくれてる。

 さあ、バーチャルグラス装着といこうか。目の前に現れるタッチパネルを操作するのは簡単だ。2030.3.31の表示を見ると、なんだか不思議な気持ちになるなあ。
 中学校の入学式までは、僕はまだ小学生なんだろうか。いや、卒業したんだから、小学生でもないはずだ。今、僕は中途半端な人間なんだ。

 一人きりだったはずの縁側に、突然、現れた僕を笑顔でおじいちゃんは迎えてくれた。
「おお、待っとったで。みつる、卒業おめでとう」
「う、うん。おじいちゃん、元気だった?こっちはね、最悪だよ」
「何がや」
「お母さんがうるさくってさあ。中学に入るまでに、小学校の復習しろとかなんとか。新幹線に乗ってそっちに行きたいよ」
って言っても、おじいちゃんと僕はしっかり向き合って縁側で座っている。
 バーチャル技術が急速に進歩したからね。6時間かけて山奥まで行かなくてもいいんだ。今では、一人1台バーチャルグラスを持っていて、つながりたい人とすぐバーチャルミーティングができるんだ。会社だって塾だって場合によっては学校だって、バーチャル対応だ。おじいちゃんと会うのも、この数年はバーチャルばかりだもんね。

「新幹線の時代も終わるかもしれんぞ。リニアがどうとか言うとるやろ。どんどん新しいもんが出てきよる。今日は、昔話でもしよか。つまらん話や。まあ、暇つぶしには丁度ええやろ」
 おじいちゃんは、目を細めながら、お茶をすすっている。

 縁側から見える景色は変わらない。向こうの山々が見渡せ、おじいちゃんの家から急な坂道を下ったところにバスの停留所が見える。
 この景色を描くとすれば、ほとんどが空の水色と山の緑色だ。 


 今から50年ほど前の話や。そうやなあ、東京から大阪まで、新幹線で3時間をきった、速くなったと騒いどったころや。ある山奥の村に俊介という15歳の少年がおった。俊介は母と二人の兄の四人家族やった。

 俊介は、僻地と言われるその山奥の村での暮らしが嫌いやった。なんでって、山にへばりつくように建てられた家のすぐ横の急な坂をつんのめりながら下って、一時間に一本の路線バスに30分も乗らんと学校に行けんかったからなあ。
 友達は放課後に遊ぶ約束してんのに、俊介はバスに乗ってまた30分も揺られて帰って来なあかんかった。そして、坂道をへえへえ言いながら上がらなあかんかったんや。
 俊介は、中学を卒業したら、村を出て町の高校に入ることばっかり考えとった。寮で暮らそうと思っとったんや。こんな田舎はいらんねやって。

 俊介のお父ちゃんが死んでしもてから、お母ちゃんは、自分の育った山奥の村に子ども3人を連れて帰って来た。お母ちゃんだけで3人の子を育てるのは、そら、大変やったと思う。食べ盛りの兄ちゃんたちと僕は、腹減った、腹減ったって、もうそればっかり言うとったからな。
 お母ちゃんは、山の仕事手伝ったり役場の仕事手伝ったりしとったけど、お金はいっこもあらへんかった。

 高校生になって寮生活が始まった俊介は、それはそれは楽しいて、楽しいて、しょうがなかった。
 兄ちゃんたちも、町に出て働き始め、授業料とか寮費とか、それにちょっとした小遣いも送ってくれてたんや。
 学校の帰りにたこ焼き屋に寄ったり、グダグダ友達と話したり、周りのみんなが何でもないことでも俊介には楽しかった。
 けど、俊介はそんなこと当たり前やみたいな顔しとった。べつに何でもないよって。たこ焼き屋に行くことが楽しいなんて、わざわざ言わんかった。貧乏な田舎もんがって思われるのが嫌で言えんかったんや。

 その頃、山にトンネルができた。峠を越えんでも用品店に行かれるようになった、路線バスで早う行けるようになったと、一人暮らしのお母ちゃんは電話口でよろこんどった。
 寮から路線バスで1時間くらい揺られるだけで、あの山奥の村に帰ることができるようになったんや。せやのに、俊介が帰るのは盆と正月くらいやった。1時間もかけて帰る気になれんかった。勉強が忙しいとか部活があるとか、なんやかんや理由をつけて、せっかくつながった電話もそっけなく切ってしもた。
 俊介は、お母ちゃんががっかりしてんのは分かってだけど、週末に居残ってる友達と部屋に集まって、お菓子を頬張りながらグダグダするのが楽しかったんや。
 俊介は、自分が中途半端な人間になってしまったとわかってた。

 高校3年生になると、受験勉強やとか将来を見据えてとか言い出して友達が目の色変え始めた。俊介は大学に行くことなんでさらさら考えてなかったし、うどん屋にでもなろうかと考えとった。
うどん屋が聞いたら起こって来るんちゃうか。そんなあまいもんちゃうでってな。

 そんな時、お母ちゃんが倒れたんや。
 俊介は、ぞーっとした。お母ちゃんがどないかなってしもたらどうしよう、こんなことやったら、時々週末に帰っといたらよかったてなぁ。

 路線バスは右に左に蛇行しながら山道を走る。運転手は、うねった山の向こうから、時々やって来る対向車を手慣れたハンドルさばきでかわしながら進む。山道は曲がり損ねたら、崖に落ちてしまうこともある危険な道でもあるんや。カーブを曲がる時の体が引っ張られる感覚が、早う、早う、ちょっとでも早う着いてくれと思う俊介の気持ちを強くして、祈るように前かがみになってバスに揺られてた。
何でやろ、涙が出てきよる。

 ようやく到着した家の玄関を開けると、居間に布団敷いて寝てるお母ちゃんの傍に、村のおばちゃん達が寄り添ってくれとった。次の日も、順繰りにおばちゃん達が来てくれた。
自分の車を持っとらん俊介が山奥の家に帰るためには、バスしかなかった。自分だけやない、山奥の村に住むみんなも同じやと気づいたのは、その時やった。町と村をつなぐのは、バスやったんや。

 俊介は、バス会社に就職した。もちろん、あの路線バスの運転手になるためや。バスの運転手は、みんなの場所と場所をつなげる仕事やと思たんや。
 最初はバスの掃除とか事務仕事とか、言われたことは何でもやった。大型免許を取るまではもう必死やった。
 お母ちゃんの病気が村の診療所だけではまにあわず、町の中央病院まで定期的に通わなあかんかったのも、俊介にとっては励みの一つやった。村にはおんなじような年寄りがいることが分かると、俊介は早う山に向かう路線バスを運転したいと思うようになった。

 俊介は、毎日決まった時間に山に向かう路線バスを運転するようになった。平凡な制服に毎日のルーティーンは同じだったけど、なぜか制帽をかぶると、背筋が伸びるような気持が引き締まるような気分がしたもんや。
 お客さんに、「ありがとう」って言われると、それだけで一日気分がよかった。
 ほどなく一緒になったお嫁さんが、弁当こさえて持たしてくれるようにもなった。これが幸せなんやと俊介はかみしめるように思たんや。俊介は、単純な男やった。けど、もう中途半端な人間ではなかった。

 俊介はそうやって、毎日毎日嫌いやった山奥の村と町を往復した。気づけば髪には白いもんが混ざり始めとった。そして、すっかり大人になった一人息子が、彼女と結婚すると言い出して驚いた矢先のことやった。

 所長は強張った表情で本社から届いた紙きれを、ホワイトボーに張り付けた。俊介が運行しているバスの路線図に赤い線がひかれとった。
「路線の廃止検討やと」
 所長の言葉に俊介は凍りついた。
なんで、なんでや。
「しょうがないわなあ。何と言うても、乗客数の低下」
 確かに、最近はバスの本数も減ってたんや。
「新技術検討中やと」
 その頃、他の自治体もローカルバス路線の廃止が相次ぎ、AIバスとか新しい技術が導入されていっとった。村でもなんとかしようとバス会社と交渉したけど、運行は難しいということやった。長いことやってきたバスの運転手の仕事、山奥につながるこの仕事がなくなるんや。本社からは、町の路線バスを運行してくれとも言われたが、俊介は何かが引っ掛かって気持ちが前に向かんままやった。

 しばらくすると、山奥の村はドローンで荷物を届けてもらえるようになった。空を飛んで行くんや。言うてる間に、ドローンタクシーの運行検討の噂が出始めた。何という時代になったんやと俊介はもう信じられんかった。もう、危険な山道を運転することはないんや。人がドローンに乗って移動するんや。山奥の村と町がつながるんや。1時間どころとちがう、半分ほどの時間や。空は一直線でつながるからな。

 俊介は、もう自分の運転技術も何もかもいらんと言われているような気がした。自分が古臭いもんのような気がしてならんかった。もうやめよう。バスの運転手をやめる。きっぱりやめる。それが俊介の決めたことやった。そして、山奥のお母ちゃんの家に帰ってきたんや。

 俊介の妻はしっかり者でな、そんな俊介にもんく一つ言わんかった。その上、最新技術のバーチャルシステムを使ってバーチャルサロンを開くと言い出した。お料理教室やと。

 生徒さんは、バーチャルシステムをつなげて山に入る。まずは山の散策からや。生徒さんが見つけたキノコや山菜を俊介が摘んでいく。山の案内と仕分けして送るのが俊介の仕事やった。もちろん料理には、自分で見つけたキノコや山菜を使うんや。もちろんドローン飛ばして生徒さんの家に届いたやつを使ってな。生徒さんたちは、お料理教室開始時間になると、山奥の家の食卓に姿を現す。バーチャルシステムがつながったということや。まずは、妻の説明と料理する行程を見てから、自分で見つけたキノコや山菜を調理していくという段取りや。     
ああ、しっかり者の妻に感謝や。俊介はそう思た。感謝しとるだけではあかんと、畑を耕し、妻がリクエストした野菜も作った。

 俊介は、こうやって遠くの村と町の人がつながったことに満足したんや。これでいいんや、これでいいんやと何度も思た。


 おじいちゃんの頬は、話すうちに赤みがさした。テンションが上がっているのが僕にはすぐ分かった。
「ドローンなんて、今では当たり前のことだけどね」
「けどな。ちょっと昔には考えられんかったことなんや」
「つながるって、大変なことだったんだね」
「そうやな。時間がかかったり、手間がかかったりな。今では、山奥でも都会でも、大きな国でも小さな国でも平等になってきよる」
「今は幸せなんだよね?」
「自分次第やな。幸せに思うかどうかは、自分次第や」
 僕は、おじいちゃんの孫でいることを幸せだと思ったよ。その時ね。おじいちゃんとつながれたことが本当に幸せだと思ったよ。
「おじいちゃんは偉かったんだね」
「なんや、急に。俺は、俺の道を歩いただけや」
おじいちゃんは、遠い道も、くねくねの道も、とにかく進んできたんだ。
 
 とにかく、ツナガル道を進んだんだ。


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