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ぶっちゃけ適応障害になってよかったことベスト5

こんばんは。
はるきです。

吃音症の元教師です。



今回の記事は、
「GINZA SIX屋上」の写真を眺めていたら思いつきました。

GINZA SIX屋上さん、
ありがとうございます。
(いつもながら本題とは関係なし!)

GINZA SIX屋上で遊ぶ息子


さて、
今回のテーマは

「ぶっちゃけ適応障害になってよかったことベスト5」

という内容で語ります。

適応障害って、
キツいっす。
つらいっす。
苦しいっす。

いや、
でもですね。

真実だから言いますね。

ぶっちゃけ、
適応障害になってよかったなぁ
と思うこともあるのですね。

もちろん、
適応障害になりたくて
なったわけじゃありません。

「じゃあもう一回適応障害になれば?」
と言われたら、

「ゴメン、それは無理なのよ」
と言うと思います。

まぁ「適応障害そのもの」はもう嫌なのですが、

適応障害によって起こった出来事は、
プラスに働いたものが案外あるのです。

今回はそれを紹介しますね!

「適応障害に苦しんで克服したい…」
という人に、
少しでも力になれれば嬉しいです!

今日のポイント❗️


ぶっちゃけ適応障害になってよかったことベスト5



第5位 ぶっちゃけ嫌な仕事を辞めれた

適応障害になってよかったこと、

ぶっちゃけ、
嫌な仕事を辞めれたことです笑

教師というお仕事は好きです。

他の教師も心から尊敬しています。

しかし、
僕が適応障害になった職場は本当に嫌でした…

「早く辞めたいな」というところまでは思っていなかったのですが、

「ずっとこの職場にいることはないな」

「どこかで辞めなきゃな」

という想いはずっとありました。

でも、
いざ決心はなかなかできません。

教師は3月に近づけば、
もう来年度の人事を告げられます。

つまり、
職場を辞めるなら年度中に管理職に伝え、
転職活動も並行してやる必要があるのです。

忙しい日々にそんなことはできないのです。


そうやって、
ずるずる嫌な職場にいました。


そんなグダグタしている僕を、

神様なのか、
天なのか、

じれったく思ったのか、

適応障害にさせて、

強制的に退職させてくれました!笑


当時は地獄に落とされたような感覚でしたが、
結果的に嫌な仕事を辞めれてよかったのです!

ぶっちゃけ。


第4位 ぶっちゃけ視野が広がった

教師という仕事はステキです。

しかし、
幼稚園から大学生、
そして社会人になるまで、
ずっと学校の中で暮らしているのです。

「世間知らず」とまでは言いませんが、

視野が狭くなるのは確かです。


適応障害になって教師を退職した後、
次の仕事を探しました。

すると、
世の中にはいろいろな仕事があります!

教育関係でもいろいろあります。

学校現場ですら、
いろいろあります。

複業という道もあります。

その中で僕は同じ学校現場でも、
担任ではない「学校生活支援員」
やることにしました。

仕事内容も新鮮です。

ラクなので複業もできます笑

これまで知らない世界が見えてきて、
ワクワクしました。
(今でもです!)


適応障害のおかげで、
視野が広くなりました!


ぶっちゃけ。


第3位 ぶっちゃけ良い経験ができた

適応障害になった。

心療内科へ行った。

教師を途中で退職した。


全部、
人生初めての経験でした。

当時は本当につらく苦しい日々でした。

しかし、

「適応障害の苦しみはこういうものか!」

「心療内科の雰囲気はこういうものか!」

「仕事を退職するとはこういうものか!」

といった経験はなかなか味わえないものです笑


そして断言できますが、

適応障害になったことが
人生にマイナスになったことはありませんでした。
(むしろプラスです!)

もちろん結果論ですよ!笑

でも、
人生を長い目で見たとき、
いろいろなことを経験するのは、

自分に「深み」を与えてくれるのです。

適応障害は良い経験でした。

ぶっちゃけ。


第2位 ぶっちゃけ新たな価値観が生まれた

ユング心理学に、

「ミッドライフ・クライシス」

という言葉があります。

別名「中年危機」とも呼ばれます。


我々は、
今まで築いてきた価値観が一度崩れ、
新たな価値観を築くときがあります。

たとえば、
仕事バリバリ人間が、
「俺には仕事しかない!」
という価値観で生きていたとします。

でも、
結婚や子どもが生まれる経験をして、
仕事だけではない価値観が生まれます。

このときの「破壊→創造」は、
心に葛藤を引き起こします。

これがミッドライフ・クライシスです。

これは苦しいのです。

苦しいけど、
新たな価値観を創造したとき、
自分が生まれ変わった気もします!


僕はこれまで、
習い事も、
部活も、
仕事も、
途中で辞めることはありませんでした。

「途中で辞めない」

それが自分の価値観でした。

しかし、
適応障害になって仕事を辞めたことで、
この価値観が強制的に破壊されました。

ただ、
今の僕には「家族」という守るものがいます。
自分だけの命ではありません。

命というと大袈裟ですが、
とにかく心が傷つき働けなくなるまで、
何かを続ける必要はありません。
自分を守るイコール家族を守ることなのです。

視野を広げれば、
たくさんの道があるのです。

僕が築いた新たな価値観でした。


適応障害は新たな価値観を築く、
良いきっかけでした。

ぶっちゃけ。


第1位 ぶっちゃけ起業できた

第1位が正真正銘のぶっちゃけですね笑

僕は起業したかったのです!笑

数年前からずっと。

でも、
教師は公務員なので副業禁止です…

こそこそやろうとしても、
忙しすぎて起業どころじゃありません…


やりたくてもできない…


そんな想いがずっと悶々としていたのですね。

これまた、

神様なのか、
天なのか、

僕に適応障害という恵みを与えました。
(試練だったかもしれませんが笑)

そして、
休職期間をいただき、
起業(複業)を始めることができました。


僕にとって適応障害とは、

「キミの本当にやりたいことは何だったの?」

「それをやらないで人生終わっていいの?」

というメッセージをくれたのだと思います。

こうなったとき、

適応障害になってよかったなぁと思うのです。

ぶっちゃけ!



今回もここまで記事を読んでいただき、
本当にありがとうございました!

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