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はるきのプロフィール

はじめましてはるきです。

こんにちは。
はじめまして。

適応障害を克服し、
自由な生き方・働き方を叶えたい人のサポートをしています。

「適応障害によって自己肯定感が下がり、休職や退職を経験した人でも、精神面や仕事面、そして金銭面での不安や悩みが解消され、自由な生き方や働き方ができるようにしたい」

こんな想いで
サポートさせていただいています。


記念すべきnoteの初投稿として、
僕のプロフィールを紹介します。

一児の父でもあります


適応障害→休職・退職→そして起業


とんとんと成長し順調だった時代

幼少期から吃音を抱えていまして、
今でも言葉がつっかえたり、のびたりします。

しかし元々がポジティブな性格でして、
学生時代にはクラスで学級委員を任され、
サッカー部でもキャプテンを任されていました。

そして、
大学卒業後は小学校の教師として働きました。

小学校教師時代

小学校の教師は情熱を持って取り組み、
休日も教育関係の本を読み漁り、
セミナーにもたくさん通っていました。

おかげで教師としてのスキルは着々と上がり、現場では主任を担当していました。

現場以外でも、
自分の実践が教育関係の雑誌や新聞に
掲載されたり、
セミナーの講師を任されたり、
仲間と共同で著書を出版したりなど、
成長あふれる時代を過ごしました。

セミナーの講師としても活躍しました

気づけば小学校教師を
10年以上も経験してきました。

いろいろな学校現場を学びたく、
特別支援学級や私立の学校も経験しました。

このまま一生、
教師として過ごすのだと思いました。

適応障害になったとき

教師生活を順調に過ごしていたのですが、
そろそろ「中堅」と呼ばれるキャリアになっていたとき、
だんだん教師という仕事がつまらなくなっていきました。

かつては、
運動会のダンスや組体操の構成を考え、
子どもたちに教えるのが大好きでした。

子どもたちの一生懸命な演技に感動して、
涙も流していました。

ただし、
なんだかここ数年はそんな感情が湧き上がらずでした。

運動会のダンスを考えるのも億劫に感じ、
当日も感動しなくなりました。

そんな状態でもスキルや経験があったので、
何とか騙し騙し仕事は続けることができました。

今思えば、
バーンアウト(燃え尽き)症候群
だったのかもしれません。

そして、
教師生活13年目のことです。

いよいよ持って仕事に対するモチベーションが全く上がらなくなりました。

授業も子どもたちとの関係性も
上手くいきません。

何とか気持ちを奮い立たせ、
朝は5時半には身支度を済ませて、
職場には7時に着き、
夜も20時ぐらいまで仕事をしていました。

上手くいかないのは自分のせいだと、
土日も朝から夜まで仕事をしました。

仕事へのワクワク感なんてありません。

ただただ、
仕事への不安があるだけでした。

この時期、
突然右目の中心に「黒いモヤ」がかかりました。

眼科に行ったら、
ストレスと疲労が原因と言われました。

この時期、
毎日3時から4時頃に目が覚めてしまい、
そのまま眠ることができない日々が続きました。

ネットで調べると、
「早朝覚醒」という睡眠障害でした。

そして、
とある日の夜です。

ついにそのときが来ました。

体が突然震え出し、
動けなくなりました。

泣いていたのかは覚えていません。

妻に、
「もう仕事に行きたくない…」
と言いました。

その日に管理職へ連絡をし、
翌日仕事を休みました。

「このような」休み方をしたのは、
人生初めてでした。

翌々日も、
次の日も仕事を休みました。

そして、
これまた人生初だったのですが、
精神科のクリニックに行きました。

診断名は「適応障害」でした。

もちろんこれも人生初でした。

ちなみにクリニックには
行きたくて行ったわけではありません。

「診断書」が欲しかっただけです。

適応障害の診断書をもらい、
仕事を休職することになりました。

人生初のオンパレードです。


休職から退職を決心

約2ヶ月の休職期間を得ました。

休職中は旅行や読書をしたりなど、
普段忙しくてなかなかできなかったことを
楽しむことができました。

しかし、
心の傷は確実に深く刻まれていました。

ふとしたときに不安感や罪悪感が頭をよぎり、心へと深く突き刺すのです。

たまたま妻と引っ越しの話題になりました。

そこで思ったのです。

仮に仕事を退職した際、
今後の自分には審査が降りなくなってしまいます。

同じようにクレジットカードの審査も降りなくなります。

引っ越しやクレジットカードの審査など、
これまで教師という公務員をやっていれば、
全く気にならない話題でした。

しかし、
いざ仕事を休職し、
退職のことも頭によぎった時期です。
今後、審査に通ることができない自分は家族の足手まといではないかと、
悲しくなりました。

このような出来事がしばしばやってきて、
急にふさぎ込んでしまう日々でした。

自己肯定感の欠片もありません。

では、
もう一度踏ん張って、
今の職場に復帰するのか?

いや、
今でもその職場周辺には足を踏み入れたくないほど、不快な感情を持ってしまった職場です。
二度と働きたいとは思いません。

休職を心の休養と時々の苦しみを味わいながら、8月中盤に差し掛かったとき、
管理職に連絡し、退職をしました。


仕事の強度を下げて新しい職場で働く

このままずっと休めればいいのですが、
収入もなく、
家賃の振込でお金はどんどん溶けていきます。

ただ、
幸いにも体と心は回復をしていきました。

同時に
「軽くなら働けるかな」
と思えるようになりました。

そして、
担任として授業をするわけではないのですが、先生や子どものサポートをする
「学校生活支援」という仕事を始めました。

収入は減りましたが、
その代わりに仕事の「強度」も減りました。

  • 残業なしの勤務時間

  • 保護者に連絡することもなく責任も軽減

  • 授業がないので翌日への仕事の準備がなくなる

そして、
何よりも良かったことがありました。

仕事に絶望をしモチベーションが
下がっていた時期だからこそ、 

「仕事をして収入を得る」

というシンプルな出来事が
とても嬉しかったのです。

適応障害で休職中、
意外とつらかったのが仕事ができないことでした。

もちろん当時の仕事は嫌だったのですが、
仕事をしなくなると社会との繋がりを無くし、どんどん自分が役立たずだと思ってしまうのです。

こうして収入は減ったけれども、
仕事をすることによって、
社会との繋がりを感じ、
少しずつ自己肯定感も回復してきました。


そして起業の道へ

強度の低い仕事を続けることによって、
心と体が回復してきました。

ただ現実問題として、
今の仕事のままでは収入が低く、
とても妻と子どもを養うことができません。

僕が考えられる選択肢は3つありました。

  • もう一度教師になる

  • 転職する

  • 起業する

まずもう一度教師になるという選択肢ですが、
一度失ったモチベーションを取り戻すのは難しく、適応障害を再発してしまう恐れがあったのでやめることにしました。

ただし、
教師は確かに激務ですが収入はそれなりに安定している仕事です。
教員免許さえあれば、もう一度教師になれます。 

本当にお金に困ったとき、
いざとなれば、それなりの収入が得られる仕事にもう一度就けるーー

この安心感はとても大きいものでした。

次に転職に関してですが、
これもやめておきました。

自分の経験を生かして
教育関係での仕事を探していたのですが、
収入面や勤務時間でよい転職先が
見つかりませんでした。

そして、
最後の選択肢である起業の道へ進みました。

ただし、
安定的な収入の確保もしたかったので、
複業という形を取りました。

強度の低いを仕事をしつつ、
朝や夜の子育ての隙間時間や、
通勤時間を有効活用しながら、
起業についていろいろ学びました。

そして、
学んだ日々が実を結び、
今に至っています。


適応障害のための相談室

どんな形で起業しようか、
かなり考えてきました。

そして、
出された結論が自分自身も経験した適応障害だったのです。

僕の信念ですが、
適応障害になった人が人間的に劣ることなんて絶対にないと思っています。

僕は教師を退職したわけですが、
僕だってこれまで一緒に勤務していた仲間が
辞めていくのを何度も見てきました。

彼らは決して人間的に
劣っていたわけではありません。

真面目で、
誠実で、
いい人ばかりでした。

本当にほんの少しのボタンのすれ違いで
真っ逆さまに逆境へ立たされ、
休職・退職していくのです。

そして、
残された子どもや保護者は言います。

「あの先生は酷かった」と。

この状況がすごく悔しくて悔しくて、
何とかしたいと思っていました。

苦労あって仕事を休職・退職された方が、
もう一度返り咲き、
華麗に復活するところを望んでいたのです。

仕事を辞める、残る、復帰するーー

ではなくて、
「仕事をつくる」

仕事を休職・退職したけれども、
そのおかげで仕事をつくる人間になったら
カッコいいじゃないですか?

そして達成したとき、
こう言ってやりたい。

「適応障害になってよかった!」と。

なぜ、
適応障害という切り口なのかは、
僕が医者に診断されたように実際の経験者だからです。

適応障害から起業に進む中で、
かなりの「罠」もあったのです。

よくわからないコーチやらコンサルやらに、「このままですと収入が無くなって将来大変ですよ」
「家族を養えないですよ」
なんて煽られるわけです。

心が深く傷ついている適応障害の方が、
こんな煽り言葉を受けると
もっと心が傷ついてしまいます。

じゃあ優しく接してあげて
結果が出なくてもいいのか?

もちろん、
そういうわけではありません。

そうではなく、
適応障害から起業するには、
きちんとした「ステップ」があるのです。

そのステップを伝えられるのは、
適応障害から起業するに至って、
たくさんの困難を経験してきた
自分しかいないと思ったのです。

さて、
ここまで長々と僕の話に付き合っていただいてありがとうございます。

適応障害は本当につらいです。
しかし、
実は人生を「本当にやりたかったこと」へと
進むきっかけだったりもします。

僕は胸を張ってそう思える人生を
歩むことができました!

適応障害や起業の悩みは、
家族や友達にも伝えづらく、
一人で孤独で悩んでしまうものです。

しかし、
どうかもう一人で悩まずに、
ぜひ一度僕に相談してみてください。


ただいま、
僕の公式LINEから無料相談を受け付けています。


先程も申したように、
適応障害から起業するためには
「ステップ」が大切になります。

そのステップをこの動画では解説しました。

ぜひ以下のURLから、
公式LINEの登録をしてみてください!
※まだ友達が1人しかいないので、
ぜひ最初のお友達になってください!笑


ぜひこれからも
一緒に適応障害を乗り越えていきましょう!

ではまた!

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