はるき×心理カウンセラー です。 今までの内容は 性同一性障害 をテーマとして書いてきました。 戸籍の性別を変更して11年が経った今でも、 身体への嫌悪感が完全に、無くなった訳では有りません。 とは言え、昔ほど気分が沈むほど、それしか考えられないほど気にすることは大幅に減りました。 乳腺摘出をしてから、ガラッと変わったのを今でも思い出せます。 社会人になってからのことは、また後日に。 前の記事(幼少期)で書きましたが、 僕が児童養護施設に入所した理由は、 親元での生
はるき×心理カウンセラー です。 前回の中学生・前編の 続きを書いていきます。 興味のある方は、先にそちらを読んでみてください。 後編は身体の変化(二次性徴)に対しての、 自己嫌悪の様子を書きます。 身体の変化は、性同一性障害(トランスジェンダー)当事者の1番ネックとなる部分です。 身体の否定から自己否定してしまうことも、 少なくありません。 自己否定や自己嫌悪から、 「うつ病」 「躁うつ病」 「パニック障害」 などと言った、精神疾患を患う方々が多いです。 中学生
どうも、 はるき×心理カウンセラー です。 前回の 児童養護施設時代(3)中学時代・前編 に続く後半に入る前に、 少し自己紹介 (何を目標として、カウンセラーをしているか) をさせていただきます。 人生で初めて、 目の前に大きな壁が立ち塞がったのは、 反抗期と成長期の真っ只中の中学時代。 たくさんの人と関わることが増えて、 周りを見る力、 自分を出す表現力、 何かをしようとする力、 などなど色んなことに気づき始める時期。 自分で考えられることが広がり、多感になり
やっと中学まで書き進められました… 今は性同一性障害にフォーカスした内容ばかり書いてますが、施設で過ごした時の心境だったりも書こうと思ってます。 子どもの頃の環境って、大人になってから考え方だったり人付き合いだったり、色んな面で影響が出てくるので… では、 性同一性障害・中学生Ver. 始めますね。 中学時代 着慣れない・着たくない制服で新たな門出。 入学式以降、ダッシュで施設を飛び出し、向かうは 死角となる曲がり角。 ババっと制服脱いでジャージに着替える。 まぁ
前回の記事『 児童養護施設時代(1) 』は 幼少期に焦点を当てました。 今回は 小学校時代 の頃の事を書いていきます。 敢えて言いますが、ここに書く(書いてある)記事は全て本当にあった事です。 「被害者」や「可哀想な過去」と思って頂きたいのではなく、 僕が『カウンセラー』として生きると決めた理由を知って頂けたら と書いています。 低学年(1年生〜3年生) 幼稚園を卒園して、ピカピカの1年生! とは喜べなかった。 今ではランドセルの色が増えてるけど、 当時は「赤」
少しづつ色んな事を書いていこうと思います。 どういう風に書いていこうか悩みましたが、年代毎に分けると話が行ったり来たりするので、大きく分けます。 今回のテーマは 児童養護施設時代の僕です。 不幸自慢? 違います。 カウンセラーとしてやっていく と決めた理由に関係が有るので、書くことにしました。 児童養護施設入所前 親は僕が1歳過ぎたくらいに離婚。 離婚の原因? 両親ともクスリやってて生活と夫婦関係が崩壊してたらしい。 キレたら暴れる、いつキレるか分からない。 そし
こんばんは! 今日も1日お疲れ様でした! 仕事の方も、お休みだった方も、 暑い中本当にお疲れ様でした! ちなみに僕は今日、 なんと! 年に1度の誕生日でした! 何か特別な事をした訳ではなく、いつもと変わらない日常を送っていましたが。 ですが25日に日付けが変わってからすぐに、 たくさんの方々からお祝いのメッセージやコメントが… うあ゙ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゙ぁあぁ゙ああぁぁ ショートムービーまで頂きました🥺 嬉しすぎて泣きそうになり… 我慢するのに眉間に力を
こんにちは! 心理カウンセラーのはるきです! 今日は簡単な自己紹介をさせていただきます! 僕、こういう人間です!礪波 晴紀(となみ はるき) 性同一性障害当事者 養護施設出身 差別や人格・人間としての尊厳の否定、 自分自身が何なのか分からず、不登校・引きこもり・うつ(過食や不眠などの身体症状も)を経験。 自分以外は信じないと人間不信に。 現在自分自身を見つめ直すために心理学を勉強する中で、 「 人間って色んな人が居て、その人らしく生きている人はどのくらいなんだろう