児童養護施設時代(2)


前回の記事『 児童養護施設時代(1) 』は
幼少期に焦点を当てました。
今回は

小学校時代

の頃の事を書いていきます。
敢えて言いますが、ここに書く(書いてある)記事は全て本当にあった事です。

「被害者」や「可哀想な過去」と思って頂きたいのではなく、

僕が『カウンセラー』として生きると決めた理由を知って頂けたら

と書いています。



低学年(1年生〜3年生)


幼稚園を卒園して、ピカピカの1年生!
とは喜べなかった。

今ではランドセルの色が増えてるけど、
当時は「赤」か「黒」の2色が鉄板だった。

当然僕も「黒」のランドセルをもらえるとばかり、ワクワクしていた。

しかし!
やっぱり「赤」のランドセルだった…

なんでおれのランドセルが「赤」
なんだよ?!


と大激怒。
職員が
「当たり前でしょ!女の子なんだから!女の子はみんな赤いランドセルでしょ!怒」
『なら学校いかない!怒』

入学式までこのラリーが続いた。
1度、ランドセルを隠そうとしたのがバレて
手の届かない場所に保管された…

入学してからは私服、体操着は短パン(これは本当に助かった)だったから服装に関しては特に問題無く。
ランドセルの扱いは酷かったけど。

水で「赤」が落ちるんじゃないか?
と水に浸けてみたり。
地面に擦り付けてみたり。
無くせば良いんだ!
と通学途中の川に投げたり。
(学校終わってから施設に回収されてた)

何とかして「赤」を消そうと
たどり着いた答えが、

「黒」のマッキーペンで塗りつぶす

だった。
ところどころ「赤」は見えていたけど、
当時の僕は大満足。
(かなり怒られたけど卒業まで使わせてくれた)

友達関係は変わらずに男友達ばかりと遊び、
「ちゃん」付けを嫌がるのも継続されていた。

低学年の頃はまだ、男女でグループが分かれるのは無かったから、過ごしやすかった。



高学年(4年生〜6年生)


学年が上がり少しづつ、友達付き合いが変わり始めた。
男女でグループが分かれてきた。
徐々に男友達から

「一緒に遊ぼうぜ!」

と誘われることが減っていった。

さて、休み時間どうしようか?
女の子のグループに入るのは嫌だった。

「嫌だ」

「やっぱり女の子じゃん」

「どう接したら良いんだろう?」

そんな考えが頭をまわり、どちらのグループにも属せない。
それなら1人でいる方が楽。

休み時間に校内で過ごせる場所は?

「図書室」

最初は本を読む気は無かった。
適当にテーブルまで持っていき、開いて顔の前に立てて寝る。
寝られない時は本棚の間をウロウロする。

ある時、ふと

「マンガっぽい本でも読んでみるか」

と探し始めた。
(今は分からないけど、図書室にマンガって無いんだよね…)

手にしたのは

「世界の歴史」

それが切っ掛けで文字だけの本を読むように
なった。
偉人をテーマにした伝記は、図書室に有った分は
全て読み尽くした。
1日1冊は読み切る勢いで。
(そのおかげか、歴史の流れが何となく分かっていたので、17歳の時の大検の試験では世界史・日本史ともに90点台でパス出来た。読書ってすごい!)

読書は小学校卒業までずっと続いた。

この頃くらいかな?
テストとか名前を記入する欄には苗字しか書かなくなったのは。


卒業式


卒業式の服って、いつもと違った服装だと思う。

「またスカート履け言われるのか…」

案の定そうだった。
そしてイヤイヤが発動。
イヤイヤというより、もう本気で拒否。
結局、男子用の礼服っぽいのを勝ち取ったけど…
この先も服装で苦労するのか…
と思う度に、ため息が出たなぁ。



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