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ルックバックと僕が文学青年だった頃

忘れられないことはだいたい十代の終わりに全部起きている。
ルックバックを読んで思い出した。

ルックバックはいい話だった。未来への希望がちゃんと残る、じわりとくる話だ。僕の感想はそれで、SNSで盛り上がったような「刺さり」はなかった。

友人がいた。十代の終わり頃の話だ。過去形なのは今はほとんど縁が切れてしまっているからであって別に亡くなったとかではない。
その頃の僕は野生の文芸部気取りだった。高校時代、文芸コンクールの学校代表になった経歴だけを後生大事に、現代文学を愛する学生然とした自己演出を好んでいた。肝心の作品は気まぐれに散文を書く程度であった。実はひっそりと公募に長編を出したりもしていたが、一次選考も通らない有様で、それは表立って言わないようにしていた。

友人は器用な人だった。学業優秀であり、運動ができて、芸術の才覚もあった。僕は十代の終わり頃の時分、いつもその友人に助けられていた。
その友人に僕が唯一負けなかったのが現代文の教科だった。当然、学業における創作課題も僕のほうが評価がよかった。僕はしばしば友人に作品を見せた。どんな風に言ってくれたかはもう覚えていないけれども、友人はよく僕の作品と僕を褒めてくれた。

その友人がある日、何の気まぐれか、僕に「読んでみてほしい」と言って、大学ノートに手書きした文章を持ってきた。それは裏表一枚程度の長さだったが、小説と呼んで差し支えないものだった。
友人は物語を初めて書いたと言っていた。僕も友人の書いた小説は初めて読んだ。

そしてその時――本当に読んだその場その瞬間に、僕は確信した。
友人は僕よりも物語を書く力がある。ただ物語を書くことに僕ほど興味がないだけで。
友人がこのまま小説を書き続ければ、あっという間に僕など飛び越えてしまうだろう、と。

友人が物語を書いて僕に持ってきたのは後にも先にもこの一度だけだった。
それから書き続けていたという話も聞かない。多分、本当に友人にとっては気まぐれで書いてみただけだったのだろう。

器用な友人が気まぐれで書いたものにかなわない自分は何なんだろうか。
その答えはもうすぐ目の前の見えるところまで来ていた。そしてこれ以上、それを他人によって突きつけられたくなかった。
それまで他人より多少文学を愛しており多少文学を創作することを得意だと思い込んでいた僕は、十代の終わりに相応しい謙虚さというものをようやく身につけた――と、思い込んでいた。

その後の僕は「だから僕は文学をやめた」とも言えず、「才能を目の当たりにして懸命な努力を続けて作家になりました」というエピソードもなく、ただ生活のために働いて、また働いて、身体と心を壊している。

結局、十代の終わりに身につけた謙虚さだと思っていたものは謙虚さではなかったのだろう。それは具体的に言うならやらない言い訳とか傷つかないためのシェルターのようなもので、野良の文学青年気取りであることも怖くなった自分の残骸だったのだ。

傷つかないことを最優先した臆病者には、ルックバックの藤野も京本も恐れ知らずで眩しくて仕方がない。
あれは見えているものが違う人の話だ。

だから僕にはルックバックが刺さらない。
そして刺さらないことが、今更ながらこんなにも悲しい。

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