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ひねくれ中学生時代【前編】

中学生になっても、周りの友達は小学校からそのまま持ち上がり、ほかの学校との合併もなく、新生活がスタートした。

何か変わったことがあるといえば、制服を着るようになったこと、給食じゃなくなってお弁当になったこと、メガネからコンタクトに変えたこと。

ヴァイオリンは週20分の練習、というスタイルも変わらなかった。もちろん夢も、五嶋みどり。

みんな部活に入って、その仲間で一緒にいることが多くなった。私は音楽部に入った。

あまりにも生徒数が少なく、中学校には吹奏楽部なんてなかった。放課後、ピアノや木琴、鉄琴を練習して、学校行の入退場で演奏するような感じの部活だった。

土日はジュニアオーケストラ活動。主に長崎の小・中学生が集まる。

その中の友人が、県内のコンクールに出ることになって、仲良しな子だったので応援しにいくことに。

コンクールにはもう1人の友人が出ていた。

変わらないといけない

春に参加したオーケストラで出会った私の1つ下の女の子。とても優しくて可愛くて、お喋りな私がダーーッと話すときも、うんうんと聞いてくれる、一言で表すと可憐な女の子。

せっかくだからその子の演奏も聴こうと、友達を応援するつもりの拍手を送り、さて聴こうと椅子に腰かけた後、

私はショックを受けた。

とても素晴らしい演奏で、驚きが止まらない。そんなに大きくないホールだったが、客席とステージの距離が幾万後年の距離もあるような感覚に襲われた。

恥ずかしながら私は
“大人になれば五嶋みどりになれる”と思っていた。

このままじゃみどりさんになれない、もしかしたらもう手遅れかもしれない。

演奏に打ちひしがれる中で、初めて人生について考えた。

当時ついていた先生はとても優しい先生。私がどんなに練習しなくてもその場でとても褒めてくれる。だから、自分のことは上手だと思っていた。同年代の友達とどんぐりの背比べをしながら、なんの努力もせず大人になろうとしていた。
母からは練習しろと普段から怒られ続けていたが、まぁ趣味程度だろう、と諦め半分だったようだ。
私は理想と現実のギャップに気づけていなかった。

彼女が弾き終わった後の拍手は、1人のヴァイオリニストへの尊敬を込めての拍手に変わった。

終演後、ロビーで友達と話せる時間があり、私は彼女の元へ駆け寄った。

「平日の練習時間はどのくらい!?」「休日はどのくらい練習してるの!?」「先生は誰に習ってるの!?」

演奏後の疲れた彼女に怒濤の質問を浴びせたが、彼女は丁寧に答えてくれた。

進学校なので勉強もしなければいけないが、平日は最低でも4時間。休みの日は8時間。先生の名前も教えてくれた。

その日から私はこれまでの人生を取り戻すべく、毎日たくさん練習した。休日はお風呂とトイレと食事と睡眠の時間以外を全てヴァイオリンに捧げた。

無我夢中で練習する日が続いて、ある日、偉い先生のレッスンを受けさせてもらえる機会があり、日頃の練習の成果を!と、きっと褒められるだろうという気持ちでレッスンに臨んだ。

持っていった曲を披露したあと、ニコニコ終始笑顔で優しい先生に

「いま夏休みだけど、キミは1日何時間練習してるの?」

と聞かれ、

自信満々に

「はい、10時間してます」と答えた。

すると、

「キミ、このまま練習した分だけ、もっとへたくそになるよ」

笑顔のまま言われた。

その日のレッスンは弓の持ち方で終わった。

正しさを学ばないといけない、と、オーケストラの先輩に紹介してもらい、先生を変えた。

私は世界一へたくそ

いまもあのショックは心に残っている。プロをめざしていた彼女は、数年後にヴァイオリンをやめたが、今は音楽以外の世界で楽しそうに生きている。

優しい先生から、厳しい先生に変わって、生活スタイルも変わった。

毎週水曜日のレッスン。
与えられた課題を完成させることは大前提。もちろん完成させて持っていくが、同じことを二度と注意されるのはご法度だったので、言われた瞬間になおさなければいけない。なおせなければ雷が落ちる。

でも、とても厳しい先生だということは先輩から聞いていたからへこたれなかった。

どんなにレッスンが怖くてもレッスン中には絶対に泣かなかった。

先生が怒ってレッスン室から出て行ったときも、楽譜を投げ飛ばされたときも。

多分先生は私が涙を目に溜めていたのは知っていたと思う。でも毎度容赦なかった。

最初は母もレッスンについてきていたが、あまりの怖さに母も怯え「お母さん、車で待ってるわ」と避難するようになった。

毎週、レッスンが終わって駐車場で私を待つ母の車の中で、怒られた怖さと、言われたことをできない悔しさとが入り混じった感情を爆発させて号泣していた。

その様子を見た母から「もっと優しい先生にかわろう。」と何度も言われたが、私は首を縦に振ろうとしなかった。

「あの先生しか私を上手にできない。」

絶対に認めてもらいたいという気持ちで毎回レッスンに臨んだ。

正しい音の出し方、正しい姿勢、正しい弓の持ち方、正しい指の置き方。

レッスンは厳しいし、毎週火曜あたりから恐怖で顔が青ざめていくし、終いには祖母からも孫の健康を心配されるようになったが、正しさを学べることはとても幸せだった。

4年間、この先生の元でみっちり修行した。レッスンが終わるととても優しい先生で、先生との思い出もたくさんある。世界で1番綺麗な音の出し方を教えてくれた先生に、今でも感謝している。

これまでの10年を捨てて新しい正しさを自分に叩き込む。

「これまでそんなに練習してこなかったんだから新しいことを吸収できるはず」

というのは大間違いで、

悪い癖が体に染み付いていて、思うように弾けない。だから、私は自分がヴァイオリンのレッスンを生徒にするときはどこでも通用する正しさを教えたい、自分のような遠回りをして欲しくないと強く思っている。

それが幼少期の私を慰めるひとつの術なのかもしれない。

このように、音楽への向き合い方をガラリと変えた中学時代。

当時の音楽にも、今の私にも影響が及んだ学校生活はまた後編で。

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