青木遼

展示について、制作について。諸々の記録として。                    …

青木遼

展示について、制作について。諸々の記録として。                               https://instagram.com/haruka_aoki__

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青木遼2023年度活動まとめ。

青木遼2023年度活動まとめ。2023年度に企画・参加した9つの企画についてまとめました。富士山登山から始まり今は北京に滞在しています。展覧会・プロジェクト・トーク・記録集と、様々な方と関わった1年、伝えきれない感謝とともに。 パラレルモダンワークショップ 「これは富士山である登拝篇,遥拝篇」参加 富士山・絵葉書 (静岡・山梨、各所) 参加 活動日時:2023年7月1日―9月10日の随時 活動場所:富士山の登拝・遥拝が可能な各所 参加者: 青木遼、大平由香理、川合南菜

    • ぐちゃぐちゃのものを繋げる

      人に見せるために前の作品のメンテをしている。 裏打ちをしていない宣紙に墨をかけ続けて作った作品だから何回もグズグズになって描いてる途中に紙がバラバラに崩れたりした作品。あとで裏打ちして一枚にまとめている。 バラバラのものを寄せ集めたり、グズグズのものを手繰り寄せたりして描いている。

      • 世界に投げ入れられたり

         今のところ自分の生活に読書は切り離せないものだけれど、エッセイを読むことはほとんどない。そんな私が、すこし前に永井玲衣のエッセイ『水中の哲学者たち』(晶文社,2021)を読んだ。電子書籍の試し読みでも読める「まえがき」を引用してみる。  永井は、思索すること、他者と共有しようとすること、を水中に潜ること、もがくことに例える。そう、それは奥行きへの探求なのだ。  本書の多くの章は永井の哲学対話のファシリテーターとしての視点で編まれている。実践現場の多くは、小学校から高校ま

        • 不安定な混沌を不安定なまま取り出したり、取り出した先でさらにかき混ぜてみたりしたい。

          やることと考えることがたくさんありすぎて鞄がパンパンになっている。マルチタスクが苦手だからそんなにたくさんのやることを持ち歩いたってなんにも出来ないでしょうとも思う。 この10ヶ月くらいは本当にたくさんのやることがあって、タスクに翻弄され続けている。来週大学院入試に出願するけれど、僕のやりたいことをどれだけ共有できるのだろう。共有できたとしてそのやりたいことは他者から見て興味を引かれるものなのだろうかという不安がある。 僕にとって切実なものを、切実な形として取り出すにも、

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        青木遼2023年度活動まとめ。

          絡まりと並存の絵画のためのスタディ(日々更新される)

           私は思考や感情の動きや絡まりをテーマとして美術作品を制作している。それはだいたい絵であったり装置のようなインスタレーションだったりする。そのような制作をしていると日常にふと見つける、いろいろな関係性が自分の制作に結びついて見えてきたりする。  日常の中で見つける主に植物を撮影した写真と、それぞれの事例をメモとして日々並べて行くことを試みる。その他思考と気持ちの澱のようなものを、絡まりと並存としてメモする。(2024.8.19〜) **** 2024-11-03 中村邸にて

          絡まりと並存の絵画のためのスタディ(日々更新される)

          青木遼個展「霧、曇天、絡まる蔦、山を降りるとき」

          個展開催します。 青木遼個展「霧、曇天、絡まる蔦、山を降りるとき」 ―――――― 屏風や掛け軸など、美術の形式を用いてインスタレーションを制作する青木遼の個展を開催します。作家は、イメージが動くことに興味を持ち、山にかかる霧や支柱に絡まる蔦植物を扱ってきました。 霧や蔦が他のなにかに絡まるように、美術もまたイメージが形式という仮宿に住まうことで成り立ちます。本展では形式とイメージという、どちらも不安定な存在が交差する現場を見つめます。 ―――――― 会期: 2024年

          青木遼個展「霧、曇天、絡まる蔦、山を降りるとき」

          イメージに潜る:戻ってこれる狂気

           数ヶ月前に川田英里佳《Utopia or Arcadia?》(2024)についての感想を、作家から求められた。作家がウェブ上で公開していない資料や記録写真なども送っていただいたが、実作を見ていないし、テキトウなことも言えないからどうしようかなと考えながら数ヶ月目に入る。この文章は、筆者から川田作品へのあくまで主観的な応答である。 ヘッダー画像《Utopia or Arcadia?》(2024) 提供:川田英里佳 《Utopia or Arcadia?》  本作に於いて川

          イメージに潜る:戻ってこれる狂気

          構造と動くもの

           本テキストは2023年12月に金沢美大にて発表した作品と併置したものである。本展示において青木は屏風構造とビニールで表具したドローイングを絡ませ、数日置きの組み換えを行った。 「構造と動くもの」《ストラクチャー: 植物・霧》2023年12月4日―12月15日  金沢美術工芸大学アートコモンズA 「構造と動くもの」 〈ストラクチャー: 植物/霧〉 1.  本作のタイトルにあるストラクチャーとは構造体のことだが、それは例えば今わたし達がいる建築のようなものから、言語や政治

          構造と動くもの

          「もののあはれは秋こそまされ」

           本稿は2023年11月25日、26日に金沢市立中村記念美術館 茶室 耕雲庵にて行われる企画「もののあはれは秋こそまされ」に際して筆者が記したステートメントである。筆者を含めた6名の日本画・工芸に携わる作家が参加する。  本企画は、美術の制度論的な問いたてを起点として、茶室でのプラクティス・座談会トークを行う試みである。80年代に端をなす美術の制度論という、一見時代遅れとも捉えられるフィルターを通すことで、自分たちの足元を再考する。  制度論をスタート地点として、その思考や近

          「もののあはれは秋こそまされ」

          「展示力合宿inかなざわ」態度が形にならないとき、と誰かが書いた

           3つの会場で起こったことを今、全て書こうとするとギリギリで保っている自分の形を保てなくなってしまう。だから僕は4日目でnoteを更新することが出来なくなった。みんなも多分そうなんだと思う。みんな、お互いに大丈夫?って聞いたあとに、大丈夫じゃないよねって言い合って保ってた。だれも大丈夫じゃない、でも今この瞬間大丈夫、それを繋いで生きている。 だから芸術村にはみんなのたくさんの断片が貼られていて、転がっている。 標準語で、テキストで、作品で、どう示そうとしても違う形になってし

          「展示力合宿inかなざわ」態度が形にならないとき、と誰かが書いた

          「展示力合宿 in かなざわ」〜てめえの作品は〜

          今日、僕は11月4日の箔一ビルでの「展示」である  日直テーマ:「てめえの作品は」 のレビュー的なものを書いてみようとしている。 しかし、まずは、昨日のnoteテキスト「 「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは鑑賞者を想定しているか?この試みを公開する意味はどこに存在するのだろうか? 」についての応答と反省から始めたい。  僕は、この「展示力合宿inかなざわ」において、「展示力合宿」という構造へのアプローチなしには、自分たちの「展示」という営みに、文脈上・権利上アクセス出

          「展示力合宿 in かなざわ」〜てめえの作品は〜

          「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは鑑賞者を想定しているか?この試みを公開する意味はどこに存在するのだろうか?

          僕たちは、何を・どう・誰に提示しているのか。はたして僕たちは展示たりうるのか、あるいは「展示」を打ち立てられうるのか。もし僕たちが自己言及にのみ行き着いてしまうのなら、この試みを公開している意味はどこにあるのか。  長い見出しをつけたが、つまりは僕たちは誰に向けてこの試みを公開しているかということである。もし僕たちが鑑賞者を想定出来ていないのであれば(僕は完全に自身と自作と会場の関係にのみ囚われて、外部を想定できていなかった)この試みを公開する意味はどこにあるのか。このテキ

          「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは鑑賞者を想定しているか?この試みを公開する意味はどこに存在するのだろうか?

          「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは、どう同質性から距離を取るか・あるいは取らないのか。

          2023 .11.2  0:08  思いがけずに芸術村PIT5で日付を越してしまった。illustratorを持っているメンバーで深夜までのエディトリアル作業。 合宿だなーという気持ち。こういうの好きなんですよ、ええ、という気持ち。昨日のノートは「レジデンシーは突然に」というタイトルをつけたわけだけどレジデンシー(住居/ホテル)にはまだ足を踏み入れられていない。 *****  昨日僕は1:00前に芸術村を後にして、ホテルに到着。その後切り出しをやっていたメンバーは2:00

          「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは、どう同質性から距離を取るか・あるいは取らないのか。

          「展示力合宿inかなざわ」レジデンシーは突然に

           「展示力合宿inかなざわ」が始まった。昨日は搬入&顔合わせがあり、今日は公開プレゼンという個々の作家の個人紹介・作品論の共有のための場が設けられている。  "レジデンシーは突然に"という訳のわからないタイトルをつけたのは本当に文字通りのことで、今日から突然のホテル暮らしが始まることになったのである。「展示力合宿」とは全国から作家が金沢に集まり、持ち寄った作品をもとに場所を組み替える、展覧会が立ち上がるその力の作用と一連の流れを公開する試みである。その組み換え期間中、参加作

          「展示力合宿inかなざわ」レジデンシーは突然に

          「展示力合宿inかなざわ」はじまりはデスゲームの予感から

           今は2023年10月31日18:51。「展示力合宿 in かなざわ」が明日から始まります、今日は参加作家の搬入日と顔合わせです、というタイミングでこのテキストを書いている。主催には文化庁までついてきてしまっている全国から作家を集めた鳴り物入りの企画である。  今いる場所は金沢市民芸術村PIT5、倉庫なのか演劇舞台なのか、ホワイトキューブなのかストラクチャーなのかすべての中間であるような、ポテンシャルしかない!というような展示空間にいる。17:00までに参加作家がほとんど到着

          「展示力合宿inかなざわ」はじまりはデスゲームの予感から

          「回路と回廊」伊南瑠音 澤田和真

          本稿は、2023年10月14日〜20日にShare金沢にて開催された「回路と回廊」展での会場ステートメントである。 筆者は本展に企画・デザイン・テキストで参加している。 *  「回路と回廊」展は、絵画を主な領域とする、伊南瑠音と澤田和真、金沢美術工芸大学で学ぶ大学同期の二人の作家による展覧会である。  本展の会場が置かれているShare金沢は、比較的小規模の街という形式を用いて、様々な施設が複合的に構成された社会福祉から出発した場である。福祉施設や児童施設、住宅が交差し

          「回路と回廊」伊南瑠音 澤田和真