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「展示力合宿 in かなざわ」僕たちは、どう同質性から距離を取るか・あるいは取らないのか。

2023 .11.2  0:08
 思いがけずに芸術村PIT5で日付を越してしまった。illustratorを持っているメンバーで深夜までのエディトリアル作業。

0:08


合宿だなーという気持ち。こういうの好きなんですよ、ええ、という気持ち。昨日のノートは「レジデンシーは突然に」というタイトルをつけたわけだけどレジデンシー(住居/ホテル)にはまだ足を踏み入れられていない。

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 昨日僕は1:00前に芸術村を後にして、ホテルに到着。その後切り出しをやっていたメンバーは2:00頃まで作業をしていたらしい。今朝グループLINEには白川真吏から美しすぎるキャプションの束の画像が投稿されていた。

1:50 撮影:白川真吏


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「展示力」2日目「展示」1日目


 そんなこんなを過ごしているうちに今日は「展示」1日目を迎えることとなった。アートグミでのゲームについて参加作家はルール上、ゲーム中の思考や行動について11/5のトークイベントまで、なにも話すことが出来ない。

 ★設営一人くんw/? w/o?★

 このテキストで、僕が記述できるのは自動的に箔一ビル内での僕の思考のみとなる。
 箔一での展示の方針は、4人〜5人の参加作家が日替わりでキュレーションを担当し決定される。その方針をもとに毎朝公開ディスカッションが展開される。1日目である本日の日直テーマは "みんなの作品を全部見る" であった。

15:37

15:30 箔一ビルでのインストールが始まる。初日である今日、僕たちのやることは自作品のインストールである。暗室が作りやすい1階に映像出品作家数人が集合し、他の階ではパラパラと小さなコミュニケーションとともに作品の展開が始まった。
17:40 開場時間の区切りである18:00を手前に、ミーティングが発生。この時点で会場には作品のなんとなくの雰囲気や、メディアの同質性により空間が構成されていた。

箔一ビル 青木遼 18:27
箔一ビル 小野綾花 18:54

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 箔一について複雑な要素が絡まりすぎて僕はそれをまったく記述しきれていない。今日のテキストのここからは、僕の箔一に対する認識を整理する場として扱ってみようと思う。

・キュレーションしていないはずなのに空間ごとに色がある。

・現在はまだ表面的なレベルでしか他者の作品と会場の組み上がり方について認識できていない。文脈的な取り組みへの努力はもっと必要なはずだ。

・箔一という会場がビルであることから、ボックスが縦積みになっているという特徴がある。僕たちは、一つの部屋内での繋がり(あるいは断絶)という視覚で一望可能な、横のベクトルでしか会場を捉えられていないが、実際には縦・上下の関係性も存在している。設置された自作品の真上・真下にある他参加者の作品と自作品はどう関係するのか/しないのか。

・佐藤莉於のアプローチにその可能性の一端を見ることが出来るが、廊下と階段にもまた、その位置的な文脈が発生しうる。

・家相学から構成した作品を展開する髙山晃・辻占という占いを独自に解釈しなおした作品を展開する中村さやか。二人の作品は日直によるキュレーションに規定されない独自の軸を持つ。「展示力」のバリエーションとして二人の作品は異色だ。この二人がどう外部からのアプローチを無視/ズラし/スベり/をするのか。

・「展示力合宿」という企画自体が、幅広く接続の可能性を持っている。接続の可能性を持っているということは、同じだけ分断や独立の可能性の提示もまた持っているということである。

・お互いの関係性や自己言及的なアプロ一チのみに収斂されてしまうのは、もったいないのではないか。前回「展示力合宿!inかなざわ」のレヴューに記述されていた“リアリティ・ショー”という言葉を思い出すとき、今回の「展示力合宿inかなざわ」ではこの言葉から距離をとってみるのも一つの在り方なのではないかと「展示」初日を終えた今は感じている。合宿のための展示ではなく、シビアに展示のための合宿。
 ルールとストーリーによるキュレトリアルな在り方を選択した場合、僕たちの取り組みはいわゆる展覧会であると言える。しかし、展覧会と言い切るにはこの取り組みは一般的な展覧会からは距離があるだろう。「展示力合宿inかなざわ」という場所は、もっとインタラクティブなコミュニケーションの場としてあるべきか、あるいは参加作家各々の参画による(ある程度)スタティックな可変可能な場所と捉えるべきか。僕は今(23.11.3 1:14)ものすごく迷いながらテキストを書いている。
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どーなんでしょうね。マジで。
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 そもそものところ、僕は仕組みとしての展覧会は悪のシステムだと思っている。公開プレゼンでの吉田コムの内容にも繋がるが、展覧会とは一つの命令と統制だ。センター概念、順路、そして吉田コムが示してくれた速度…
 極端なことを言うと、この悪のシステムをそのまま悪として実行させること、この可能性も僕たちには残されている。たとえば誤読の可能性、そして悪意の下の誤読の可能性。キュレーションというオーダーのもとに、ある作家の作品を従属させ、あるいは暴力的に読み替える。(ここで権利上絶対に必要なのは、その暴力性を作家本人に正しく伝える・どのように実行するかを作家本人に正しく伝える、ことだ。)
 展覧会はたしかに悪のシステムであるように思う。しかしその悪が唯一許される理由、それは会期が定められていることだろう。仕組みそのものが統制を・暴力を内包するものだとしてもそれが1週間、1ヶ月で終わること。              
 あるいは、それをポジティブな言い換えをするのであれば、現実社会で言い続けるのが難しい理想や理念でも、展覧会であれば、1週間だけであれば言い続けることができるかもしれないこと。。。

 これが1日スパンで切り替わり続けるのがこの企画である。まとまりきらずに終わるこのnoteが示すように、僕はこの企画に対する自分の立ち位置をまだ決められていない。
(23.11.3 2:46 青木遼)

「展示力合宿 inかなざわ 」
[会 期]2023年11月1日(水)〜11月16日(木)入場無料
[会 場]金沢市民芸術村PIT5アート工房・金沢アートグミ ・箔一ビル
参加作家: 青木遼、 荒山莉子、 栗坂萌子、 伊藤日向子、 江口湖夏、 Munehiro OHTA / mooney、 小田浩次郎、 小野綾花、 酒井千明、 佐藤莉於、 白川真吏、 高升梨帆、 高山 晃、 寺林俊太、 中村さやか、ナギソラ、 西村颯貴、中西航基、 前田宗志、間瀬円也、 的野仁紀、 三ツ谷麻野、 森田碧、 森田翔稀、 吉田鷹景、 吉田コム

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