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変化の扉

「7つの習慣」を始めて読んだ時、これは何回も繰り返し読んだほうがいいな、と思いました。なので、時々読み返したり、時間が許せば、通しで読んだりしています。

今回気になったのは「Win-Loseの哲学に深く脚本づけされた人」という表現です。

自分に得るものがあり、相手にも得るものがある。そういう Win-Win な形で、仕事をしたり人間関係を築きたい、誰もがその意味や価値を信じています。けれども、なかなか上手くいきません。

例えば、一緒に仕事をすることになったメンバーの現状を知ろうとして、質問すると、妙に身構えられたり、遅れている件は実情の説明も不十分なまま、言い訳みたいな話が延々と続くだけ、ということがありました。

たぶん、質問が、詰問になる環境に長く居たのでしょう。遅れを報告すると、責められることが多かったのでしょう。「Win-Loseの哲学に深く脚本づけ」された状態。

「全ての人は堅くガードされた心の」

「変化の扉を持っており」

そんな表現もありました。

自分自身、堅く閉ざしたままの扉を、いくつか持っている自覚もあります。人と人が関わるのは難しいですね。仕事で協力しようとするならなおさらです。

「脚本づけ」というのは、深い表現だと思います。長い時間を重ねて、その人に根ざした、染み付いた、枠組みみたいなもの。

自分自身の変化の扉を開くこと。

そして、相手を「脚本」から解放すること。

我慢、根気、誠実、そして時間。そういうものが必要になります。

「遅れを報告すると責められる」

という脚本を、

「遅れを報告すると、一緒に改善策を考える場が作られる」

という脚本に書き換えたい。

時間はかかりそうですが…



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