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元パタンナーが古本を集め、なくなく着物と別れを告げたご先祖様の声を聞いてみました。その二


こんにちは、土曜日がきました。

更新の日です(^^)

先週の続きで“和裁の本編”なのですが、

まず最初は私の着物体験談から、、、

⭐私にとって着物といえば・・・野良着!!!

とはいっても、物心ついた時から家族の一人が着物を着ていたのです。

私の祖母はなんと明治生まれ!

洋服を着るのは真夏だけで、

(袖なしワンピースか下着姿)

あとはすべて着物でした。

92歳で亡くなるまで、

おしめもつけてくれないで、

〇〇ツなしで^^;

ずっと着物で通していたようです。

そんな祖母は農業をとことんやった人で、

そんな祖母の着物はこんな感じでした。

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いえ、実際はこんなにきれいではありません💦

たまに、黒いブリキの洋裁箱を出して、

繕い物をしていましたが、

今はやりの(;・∀・)?

野良着 繕い

これは、2019年のオークションの画像を残しておいたものです。

まあ、これはあまりにも修復されすぎですが💦

このような味わいのある着物を着ておりました。

流行ってるのかは謎ですが、

こんな高値で買いたい人がいることに

びっくりするし、感激してしまいます(#^.^#)


そして、大人に(いえ、中年に)なってから

はじめて気づいたことがあります。

節約家の極致をいく祖母でしたが、

まず、祖母が脚を広げたのを一度も見たことがありません

寝ているときもです。

正座をしているか、芋虫のように寝ているかがほとんど。

貧乏の中にも気品ありの日本の庶民!


当時は私の周りの友達の家庭は核家族化していて

洋風文化真っ盛り!

そんな年の離れた祖母と暮らすことができたことは

私にとって貴重な財産となっています(*'ω'*)


さて、本題に入ります('ω')ノ

⭐和裁の本(昭和25年発行)から泣く泣く着物と別れを告げた方の声をお聞きしたい思います。

戦後の日本女性の心情については和裁の本の方がより詳しく書かれている感じがします。

↑ 前回の予告の内容です ↑

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この森田たまさんの“洋装随筆”着物への別辞(別れの挨拶)は3ページにわたって(原文のまま)書かれておりました。(難しい漢字がいっぱい^^;)すべて載せることはできませんが、着物とは、ご先祖様達にとって、もっと精神的なもののようです。その中で、心に残った部分だけかかせていただきました<(_ _)>

🔵「日本の女は着物を捨てなければ、日本の再建はなりがたい」とその当時の雑誌に書いてあったそうです。しかし、着物を捨てるといっても着物を愛することをすてるのではないということ。


「まったく着物は美しい、だが日本の女の着る着物には、その袖のたもとに濃い封建のにおいがただよっている。」

「着物に染み付く封建制を捨てるか捨てないかは正に重大問題でなくて何であらう。」

「日本が畳と障子と着物の世界に閉ぢこもり、東のはづれの美しい夢の島として安易に生きていくか、

いかに苦しくとも齒を食いしばって、世界の國々についてゆくか、着物を捨てるか捨てないかは、ここにある。」

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・(私は…)愛着限りなき着物を捨てても、世の水準と肩を並べる生き方をしたいと願う一人である。畳と障子はそのままでもさしつかえないけれども、着物とだけは袂(たもと)を分たなねばならないのである。(森田たまさん)

・洋服を着られるようになるまで、十年かかった(森田たまさんの長女)

・40歳を超した世代はいまから洋服を着なくとも、、、勘弁してもらって、、着物で椅子に腰かけている(幸田文さん)

・敗戦以来、きれいさっぱり着物と別れて、働くときもくつろぐときもズボンを脱いだ事がない。(幸田文さんのご主人)

人一倍着物を愛し着物に凝っていた人だけに、時々その心境を推して胸の切ない折もあるが、アメリカ人のできる事が俺たちにも出来ぬことはなからうといきを壯(さかん)として立ち上がった、私たちはその気持ちに殉じている(幸田文さんの想い)

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🌸 ここからが重要です!私たちに託された遺言でもあると察します。“着物の別辞”の最後の締め。

繰り返して言ふ。若い世代は涙をのんで着物に別れを告げなければならぬ。

さうして、洋服の新しい分野を開拓し、刻苦勉励(非常な努力をして勉学に励むこと)

それを骨の髄から自分のものにした時、はじめて振り返って、父祖(父やそれとは先の先祖)の國(国)の着物を、まったく新しい感覚で身に着ける事ができるであらう。

それが、あなた方の時代のうちに招来する事を私は切望している。


《 服装研究 装苑 1950 APR4 》             p.51-53  服装随筆 着物への別辭 森田たま より抜粋
⭐次回は、第二次世界大戦が日本人を洋装に走らせた一番の原因、泣く泣く着物を捨てざる終えなかった、女性たちの声を聞いてみたいと思います。(毎週土曜日更新*目標です)m(__)m





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