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幡野広志さんの写真展に行きました。

思えば幡野広志さんのことを知ったのは、去年のインターン中のことだった。お世話になっていたインターン先の方が、cakesの幡野さんへの人生相談の愛読者だったのだ。

私は幡野さんの紡ぎだす言葉や、写し出す写真が大好きだ。

飾らず、率直で、正直な言葉たちは私の心の奥までをも震わせる。

時に厳しく、冷ややかだけれど、突き放さない言葉たちに、私もいつの間にか救われている。

幡野さんの言葉には「愛」がある。本気で向き合ってくれた痕跡が見える。だから、何度でも読みたくなるのだろう。

前置きが長くなったけれど、初めて幡野さんの写真を見て感じた、この気持ちを文字に起こしてみようと思う。

幡野広志気仙沼の漁師を撮る

渋谷パルコ八階。ほぼ日曜日のギャラリーにて。

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(恐れ多くも幡野さんの写真を、私が撮影しました。素人写真、悪しからず...)

青。

いや「青」なんて単純な言い方をしていいのだろうか。もっと適した言い方があるはずだと、自分の引き出しを開けてみる。20数年生きているけれど、まだ私にはしっくりくる言葉が見つからない。

この「青」はきっと幡野さんにしか表せない色だろう。仮に、この「青」を表現できた人がいたとしても、それはきっと別物だ。この「青」はそれぐらい特別な色。

写真の一枚一枚から「生」が伝わってくる。

「生きる」の「生」、「生命」の「生」。
写真は、言うなれば無数の色の集合体。それがなぜ、こうも心が揺さぶられるのだろう。なぜ涙が出そうになるのだろう。

無数の色の集合体に、意味を与え、伝える。
それがもしかしたら、「写真を撮る」という行為なのかもしれない。表面的な美しさを求めるのではなく、その本質に迫ろうとするからこそ、「美しい」

幡野さんの写真から、私はそんなことを考えていた。

被写体との近くもなく遠くもない距離感。

幡野さんの写真は、私のような第三者もその場に介在することを許してくれる。私も気仙沼にいるのではないか、という錯覚に陥るくらい。

それくらい優しい温度感。だからこそ、この写真展は居心地が良かった。(そしてスタッフさんたちも、その雰囲気を体現するかのように、居心地のいい人たちばかり)

写真展に伺ってもう数日が経つけれど、私の心はまだときめいている。これ以上に力強くて、優しく、美しいものを見たことがなかったから。

.....あと、そこで売っている「金のさんま」がすごく美味しかったから。(!)

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