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嫌われているのは愛されていた証

喧嘩はしたくないけど、他人の喧嘩を見るのはちょっとだけ楽しい。

自分以外の不幸を見てワクワクしてしまう人は結構多い気がする。

子供たちの悪口、今にも別れそうなカップル、政治で繰り広げられる意味のない口論。

それらが、自分にも自分の周囲の人にも当てはまらなければ、なんというか見ていて滑稽に思えてくる。

そんな見ず知らずの大人の喧嘩がテレビの画面で繰り広げられている。

録画だからオチも流れも知っているけど、何回見てもやっぱり滑稽で笑えてくる。

バラエティだから、喧嘩をしている彼らにとっては番組の盛り上げ役として味を占めているのかもしれない。

でも喧嘩をしているのは事実みたいで、娘の大切なイベントさえも壊してしまう雰囲気はまさに修羅場である。

最終的に仲直り(?)はするみたいで、番組の構成としても申し分ないくらいに楽しませていただいた。

人の喧嘩を見ていていつも思うことは、”嫌い”であればあるほど”好きだった”という事実が浮き彫りになってしまうこと。

あの日本列島を作ったと言われてる神、イザナギとイザナミでさえ”憎しみ”で夫婦としての終焉を迎えているらしい。

小さい頃なんかの本で読んだ気がする。

でもそこにはちゃんと夫婦としての”愛”があったからこその”憎しみ”があったことが子供ながらに読み取れた。

残酷だけど愛が憎しみに変わるというのは事実だと思う。

でも裏を返せば、憎まれるということは愛されていた証拠だとも言える。

そう考えると、向暑はるを苦手だと言っているあの人も実は向暑はるを愛していたのかもしれない。

あなたが誰かを嫌いになればなるほど、それはその誰かを愛していたという事実が明確になっている。

っていうちょっと皮肉の効いた話。

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