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長く続けると”意味”を求められる

特別好きなわけでもないけど、人生の中で一瞬だけ心の拠り所になった音楽はたくさんある。

あるバンドが解散すると知った後、その心の拠り所になった彼らの音楽を聴きながら勝手に感傷に浸る。

そしてそのバンドが好きになる。

もう解散してしまったのに。

そんなことを1年で数回経験する。

去年は確か3回だった気がする。

そしてもう一度好きになった挙句、結局行き着くのは、”なぜ解散したのか”。

バンドだけではない。解散という現実を世に伝えるとき、大体の人たちがこの言葉を付け加える。

”決して不仲ではない”と。

いや、不仲しかないだろ。と小学生の頃の向暑はるなら思っていた。

仲良ければ続くし、喧嘩すれば続けられなくなる。

でも世の中はそんなに簡単にはできていない。

ある5年間続いたカップルは、”一緒にいる意味”というのが分からなくなって、別れた。

3年間講義が一緒だったあの大学生は、”ここで学ぶ意味”が分からなくなって、大学を辞めた。

どうやら物事を長く続けると、それに対して”意味”を求められるようになってくるらしい。

ただ好きだからで始まった関係もいつの間にか、”好きだけど”という後続に意味を持たせようとしてしまう。

もしかしたらあのバンドも、ただ好きで始めた音楽に”意味”を求められるようになってしまったのかもしれない。

それは間違いなくプレッシャーであって、不安であって、好きが嫌いに変化する原因でもある。

人気になるということは一見華やかに見えるけど、実は裏ではそういう葛藤があるのかもしれない。

現状維持も、挑戦も、どちらも応援してあげられるファンがたくさんいればあのバンドは今でも音楽を作り続けているのかもしれない。

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