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大学生を育ててきて感じたこと(1)


おはようございます。E×Wのトラです。
寒くなってきていますが、まだまだこちらは14度くらいあります。
北海道はもうゆきですよねー(^^;)
私はゆきが苦手でしたが、人はあたたかかった^^
ほんと、色々な場所ですごしてきたので違いがいろいろわかります^^
でも
どの土地でも関わってくださったかたはみんなあったかい
素敵なひとびとでした。

さて。
私は大学の教員を今年の3月迄どっぷりしていて
いまは非常勤講師という立場で若干お気楽に学生さんをみてます。

なぜお気楽なのか?

非常勤ってその場かぎりなんです。
4年間かかわるわけじゃない。その授業だけ、です。
ですので、4年間育てていくことはできません。・
ちょっと今はそんなわけで寂しいですが。

これまで育ててきたなかで、とても考えさせられることや
スポーツ社会の歪み、などをたくさんみてきました。

今回からそのこれまで育ててきた中での大変だったことや
こんな現状である・・・ということを とうとうと・・・
記載していこうとおもいます。
ただ私は一意見として述べますので・・・そのメッセージが常に正しい・・・?というわけではありません・・・。
よろしくおねがいします。

で、今日は短いんですがこのことについて


対話、議論…ができない

これって、前回のリョーサンの記事が大いに関係してきますが…

不登校と「待つ」の機能|チーム E×W=|note

ここが本来は先ですが、
一応、ディベートとか、ディスカッションとかの訓練をうけている高校生は
できるんです。

でも、9割がたできていない。そんな学生ばかりにあってきました。

これはなにも彼らの問題ではない。
教育システムそのものにもあります。
関係性構築の上で成り立つこともありますが
その前段階でもできればやってほしいのです。
大学生なんだから。

でもね、できない。

それと・・・
日本のカルチャー、風土。
違うことをいうのははばかられる、ということですね・・・

対話や議論って・・・・・・・・
「違う人と違う意見を互いにかわし、議論し合い、
落としどころを最終的にはみつけていけるといいねー」
ってやつだとわたしは認識しとります、はい。

で、これができない・・・。全然。
(大学のレベルによってはすぐにできる1年生もいます)

・違うっていいたくない
・違うとおもってても勇気をもって「違うと」いいにくい
・違うと感じてもどう自分の意見をすすめていけばわからない
・そもそもこんな議論なんて、できない
・すぐに感情論にすりかえて、「違う」「異なる」だったのに
「いやだー」になる

10ねんみてきてかんじる だいがくせいちゃんたちのけいこー

最も残念なのは一番下の内容です・・・。
すぐに日本人は感情論にすりかわるんです。
これはかなしい。

全然対話になりません。

ゆこさんがよくおっしゃっている「自分のからだとたいわ、しようね」
ということも普段全然していないとおもうんです。
つまり
自分の声もきけないし、訓練もうけていないと
残念ながら、感情論におちてしまう・・・
のです。

ここ、結構問題とおもうのです。
私はここ、これからの教育の大きな大きな課題と思うんです。

これって。

実は発達に困難さを抱えている子が、もっとも直面する
大学での「こまった」につながるからです。


感情論でがんばれ!といわれても、できないものはできないのが彼ら。
だから、
この論理ばっかりで話進められると困るんです・・・

だから、
訓練がみんな必要。
それをゼミでかなりの割合、時間割いてました。

今後その時間割いてた訓練内容等もおつたえしながら、
「感情論にすりかわることのこわさ」
もお伝えできればと思います_(._.)_

御一読ありがとうございました!

トラ


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