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不登校と「待つ」の機能

一昨年くらいのこと、一緒に働くスタッフに言われました。
「りょーちゃん、ちょっと待って!」
「りょーちゃんはもっとみんなのことを待った方がいいよ」
そんなことを会社の経営者の僕は会社のスタッフに言われます。
(僕の会社は、誰に対してもニックネームで、さらに敬語がほとんどない会社なのです)

僕は思います、「もー十分待っているじゃん!」「これ以上何を待てっていうんだ!」って。自分としては待っているのに「待って」って言われたら、俺はどーすればいいんだーって頭を抱えてしまいました。

で、別の人に言われたんです。
「あなたにとって「待つ」ってなんでしょうか? そのスタッフさんにとって待つってなんでしょう?」

さて、今回は、「待つ」について、僕なりの考察を、高校進学の自己決定や不登校と結びつけて、考えてみます。


●「待つ」ってなんだ?!


「あなたにとって「待つ」ってなんでしょうか?そのスタッフにとって待つってなんでしょう?」

むむむ、、、!難しい問いだぞ。
とりあえずわかっているのは、僕の主観として「一定時間待っているつもり」っていうのは「待つ」ではないんだな!!ってことです。

そこから僕は考えます。
・相手が「待って」っていうことは、相手が待ってもらえていないと感じているってことか、、、
・相手が「待って」っていうことは、相手に「待って欲しい何か」があって、それを待ってもらえていないと感じているってことか、、、。
・相手に「待って欲しい何か」があるってことは、「それについて考えたり、それに向き合ったりする時間が欲しい」ってことだな。
・相手に「考えたいこと、向き合いたいこと」があるとすれば、それを安全に考えたり、試行錯誤したりする時間が必要だってことだな。

僕なりに筋道を立ててみましたが、、、どうでしょう?

ってことは、相手にとって「りょうちゃんが、〇〇について、××な姿勢で待っていてくれている」「自分がそれを考えたり向き合う時間があるんだ」って感じてくれれば、「待つ」が機能する。
僕の仮説です。


●いつまでも進路について考えてくれない!どうすれば?!

以下、よくある事例です。

勉強に自信がない子で、なかなか勉強と向き合えない子がいて、その中でも高校の進路を決めなければならない時期が来ているとします。

高校の進路について、親は焦るわけです。
早く決めて欲しいし、決めるにせよ決めないにせよ、選択肢をひろげるためにも勉強頑張って欲しい。だからハッパをかける。でも子供は答えてくれない。

進路選択の時期は迫るけど、話を振ると機嫌が悪くなり、プイッと逃げる。
親からすれば、どうにもこうにもお手上げ。
いつまで待てばいいんだ!私は待っている!! 
これが親の立場に立った時の視点です。


●子供の立場に立ってみると、、、

でも子供の立場に立ってみまたらどうでしょう?
子供はいつも急かされていると感じているかもしれないのです。
・早く勉強しなさい、選択肢がなくなるよ。
・早く進路を決めなさい、決めたら頑張れるでしょ。
・ほら、いつになったら進路の話するの? 希望調査を出さないとならないんだよ!

子供からすると
いつまでガミガミいうんだよ。わかってんだよ!
お前のせいで考えるのが嫌になているんだよ!
ってことかもしれません。

どうせ最後は親が決めるんだろ!?
くらいに思っているかも。


あー耳が痛い、、、。


●急かされていると、考えるための気持ちの余白がなくなる


僕は、こういった学校含む大人に「急かされてきた子供たち」をたくさんみてきました。
勉強づけで将来について考えることのない私立学校の生徒たち。
結果について親のプレッシャーで勉強させられてきた子供たち。
不登校で、いつも家族の要求のプレッシャーを感じている子供たち。
こういう子供たちは「じっくり考える時間」「そもそも考える動機」を失っている可能性があります。考える動機がないから、ゲームをするわけです。
で、大人から見ると「ゲームする時間あるじゃん!なんで考えない?!」ってなるわけです。そこでまた急かされ、考える動機は奪われる、、、

かなり子供に寄り添った文章になりましたが、どうでしょう?
大人と子供の主観のズレにびっくり、、、では??
(経営者とスタッフのズレも、、、)


●ではどーする?

そんな場合、僕たちの支援では三者面談を行うことがあります。
そこで「待つ」がちゃんと機能するように、以下のような合意形成を目指すのです。

① 進路を決めるのは子供の仕事であり親の仕事ではない。
一定の期間まで親は進路について一切口に出さない
③ その期間は第三者の力を借りて、本人が考える。
④ 親がやるべきは、生活を支えることである。
⑤ 勉強や進路、生活について、この三者面談決めたルールは両者が守るルールであり、勝手に付加しない。
⑥ 一定期間がきた時に進路についてまた三者面談をする。
って感じで三者面談を実施します。

これをすることで、「自分の人生の大事なことは自分で決める」っていう自己決定が前提となり、そのために大人が誘導したりコントロールしたりしないってことが合意されます。動機付け、納得、安心して考える余白、が生まれる可能性があります。

上記は、不登校と関係なく例として考えてみましたが、不登校について考えも同じです。


●ルールの付加は慎重に


不登校になると、生活が崩れます。ゲーム漬けになったり、昼夜逆転の生活になったり。家にいるのに何も手伝ってくれないことだってある。親としてはイライラ、、、。
そこで大人はルールを作りたがります。確かに一定のルールは必要かもしれません。

で、そのルール、僕としては「最低限」がいいと思います。
子供の取り組める範囲でルールを作るってことです。
またそのルールは、「家庭内で安心して活動できる」ためにあります。
大人の不安の解消のためのものではないでし、大人がコントロールするためでもないです。

さらにいうと、そのルールを守れるかどうかは、親との関係性によります。関係性の悪い親との約束は破ってなんぼのものになりますね。
だから関係性構築が先になります。

でも、ルールを最低限にするとすぐできます。そうなると大人は「ルールの足し算」を始めるかもしれません。
「これができているから、これもやって欲しいな」って形で。
これは、前々回でやった、子供にとっては「約束を反故にされた」ってことになるかもしれません。
自分は約束守っているのに、親は約束を反故にした!ってなれば、だんだん約束を守ってくれなくなります。

そして、子供は「いつも急かされている」と感じ、大事なことについて考える動機を失い、「なんとかしないと!」っていう気持ちの火種が燻り続けることになるかもしれません。

大人は子供を待っているつもりでも、「待ってもらっていない」って感じるかもしれませんね。待つが機能してないってことです。

大人としてもせっかく待っているんだから ちゃんと機能させたいですね。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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