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「追憶の果て」ローマ劫掠編〜を書き終えて感じたこと

先週、追憶の果て~Sacco di Romaサッコ・デイ・ローマ(ローマ劫掠)編~①を書き終え、前作の「ミケランジェロ〜追憶の果て〜フィレンツェ革命編」というタイトルにしたものと併せ、二章としてマガジンにしてまとめました。一章の方を目にされてなくても、わかるような内容かと。
この記事でネタバレもあるかもです、お許しを。
目にされてない方で、もし少しでも関心持たれたら、下にリンク貼ってあるので目にしていただけたら幸いです😊

サッコ・ディ・ローマというのは大きな歴史的事件ですが、私はもともとミケランジェロのストーリーを書いてまして、彼はサッコ・デイ・ローマを経験してるわけじゃないので前作の「ミケランジェロ〜追憶の果て〜フィレンツェ革命編」の中でのプロローグ的なものにする予定でした。ところが内容が膨らんでしまい、結果的に「~サッコ・ディ・ローマ編」という別のタイトルの作品に分けてしまいました。時系列で言えば、サッコ・デイ・ローマのストーリーの方が少し先になります。
この事件はミケランジェロに関わるフィレンツェの革命にも繋がっていきますが、イタリア戦争時の史実の中でも、特に悲惨な出来事の一つです。美術、美術史の専門家の方々などの著書で、「この出来事でルネサンスが終わってしまった」と解釈されることも多いようです。芸術作品や聖遺物が、破壊や強奪によって失われたことを特に嘆かれたりもしてます。例えば金銀細工師チェッリーニの作品が、当時ローマでたくさん存在していたのに、失われてしまったという記述もあり、それが本当なら嘆かわしいです。でもそれ以上に嘆かわしいのは、多くの一般人の命が失われたり、傷つけられたりしたことですね。

偶然にも今、戦禍のニュースが多く飛び込んで来てますね。現在も戦争になっている国々の状況と、たまたま調べた500年も前のサッコ・デイ・ローマの状況と、重なるものもあるなと感じました。個人の感想ですが。
いつの時代、どこの国でも戦争は、庶民というか、一般人、弱い立場の方々が一番悲惨な思いをするのは共通してますね。あと、参考文献のなかにもありましたが、被害者は身体的な苦痛だけでなく、精神的にも大きなダメージを残す、ということでしょうか。
私は戦争を直接経験したわけではないし、やっていることは資料で調べ、そこからドラマを想像して、創っているだけなので、わかっていないことばかりかもしれませんが。

私が今まで読んだミケランジェロの伝記ものでは、必ずサッコ・デイ・ローマのことは載ってました。実際の経験者は友人(弟子?)のセバスティアーノ・デル・ビオンポなんですよね。何処かの美術書の中に、まるでミケランジェロがサッコ・デイ・ローマの経験者のごとくのような記載をしていたものもありましたが、本人が経験してるのは、その後の革命とフィレンツェ攻防戦の方ですね。フィレンツェ革命編で、その後の話を進めていきたいですが、時系列に沿ってサッコ・デイ・ローマ編を終えてからになるので、まだまだ先と思います…。

ミケランジェロと関わる人物の中でサッコ・デイ・ローマの経験者と言えば、彼が惚れたトマソ・カヴァリエリもそうだったんですよね。これまでミケランジェロに関する書籍は何冊も色々目にしたんですけど、彼がサッコ・ディ・ローマの最中、何処でどうしてたなんて記述があるものなど、一昨年まで目に出来ませんでした。そもそも2人が出会ったのが1532年の秋ごろだし、1527年当時に本人がローマにいたのかなど、気にはなっていたけど、わかるわけないと思ってました。
ところが、一昨年ほど前に手に入れたミケランジェロの作品集の洋書(アメリカ版)にようやく載っていました(^^♪ 6年ほど前に出版されてるようで、グーグル翻訳片手に頑張って読解しましたよ~(*´▽`*)私が購入した洋書ものでは最新です。
情報はこの1冊だけですが、これをもとに「サッコ・ディ・ローマ編」にちょこっとエキストラとして登場させてます。あと余談ですが、2人が出会った1532年当時、彼は22,3歳だったとしているものが多いのですが、その洋書では18,9歳(根拠があるらしい)となっているので、私の作品の中ではそれを採用してます。…1532年まで行くのはまだまだ先になりそう。書き続けられたらの話ですが…。

個人的なことですが、海外旅行が円高で格安だった時期、ローマやフィレンツェなどを数回訪れましたが、フィレンツェなどのトスカーナより、何となくローマの方が好きです。でも過去の旅行時にサッコ・デイ・ローマのことを考えながら観光するなんて、思いつきもしませんでした。
でも現地で購入した英語版のガイドブックを読み返すと、サッコ・ディ・ローマのことが詳しく載っているのですよね。今も残る壁画の兵士の剣で刻んだ落書きとかも。
出来れば最後のチャンスと思って、派遣の仕事も終了して、来年には訪れたいのですが。もし叶ったら、創作のこともあるけど、1回くらい歴史を考える旅…にしないと、ですね。
バチカン美術館はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂もあるので、15年前まで行くたび訪れてましたが、当時そこは聖遺物や美術品が掠奪されただけでなく、馬小屋にされたり、兵士たちによって火が焚かれ、剣で壁画が傷付けられたり落書きされたり、散々だったとのことがわかりました。
戦国時代は何処の国も大変だったのかもしれませんが。「署名の間」や「ヘリオドスの間」では修復の際に落書きが見つかったそうです。
ChatGTPに訊いたら、バチカンの落書きは何処かに保存されてしまっていて、見ることが出来なさそうですが、アゴスティーノ・キージの館の方に、当時の兵士の刻まれた落書きが今もあると、ネットで調べたら述べられてたので、今も見れるなら見に行きたいです。多分20年ほど前に一度訪れていますが、何見たか殆ど記憶がございません💧ラファエロの絵画を見るのが目的だったはずですが、セバスティアーノの絵もありますよね…。
あと私の作品の舞台になる予定の、サンタンジェロ城には行った記憶がございません。何で行ってないんだ!?💢と、今すごく後悔してます…。もちろんまたローマに行けたら、必ず行きます!!

今回第二章として2作を何とか書き上げましたが、会話式AIっていうんですか。CHAT GTPなどをとても活用してしまいました。
開くとすぐ睡魔が襲ってくる小難しい歴史書💦を読み解くのも大事だけど、反面AIって便利ですね(笑い)。無知なので「CHAT GTP」とラインの「AIチャット君」のみ使ってますが(ちなみに私の作品の創作自体には、一切使ってません)。
勉強得意じゃないけど、強いて言えばド文系な自分がした質問で、返ってきた答えは「~は、他の史料や資料とも照らし合わせ検討することが重要です」「~は史料によって異なる見解が存在します……解釈によります」と、そんなのばかりでしたけど。それが私においては参考でしたね。
AIの活用については、また別の記事で述べたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!



  



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