母の死と自殺詐欺男

親からの愛情を感じ取れなかった私は、恋愛に依存した。
それが後に、違った依存症の人と出会うこととなる。

恋愛ができていれば相手は誰でもいいなんて、当時の私はこんな風に思ったことはない。
きちんと相手のことを好きだった。
だが、愛していたかと言われたらそれは別の話である。

『ちょっといいかも』と思えば、すぐにその人と付き合った。
勿論、付き合った男性全員が『ちょっといいかも』ではないが、大体の男性がその対象であった。

今思えば結局『たいして好きでもない男』と付き合っていたと思う。

母の死

後に詳しく書くが、私が19歳の頃、母が自殺をした。
その時私は、歌舞伎町のキャバクラで働いていたのである。
そこで知り合ったボーイと付き合うことになった。

ボーイと付き合っていた頃、母はうつ病の治療中。
治療中と言っても、薬を飲んで寝る日々だった母を見て、嫌気がさしていた。
母がうつ病になったのは今から18年も前なので、今のように情報があふれている訳でもなく、患者も家族も手探り状態。
明るくてパワフルな母とは変わってしまい、私はそんな母を受け入れられない。
毎日毎日店で酒を呑み、泥酔して帰宅する毎日だった。

私がいつものように出勤すると、店内の電話が鳴る。
電話は私宛らしく、店長から受話器を渡された。

『おばちゃんが首を吊ったから、今すぐこっちに来い』

従兄弟からの電話だ。

突然首を吊ったと言われても、誰が信用するか。
従兄弟は続けて「まだ大丈夫だから、とにかく病院へ来い」と。

「大丈夫なら、あとはよろしく」、そう言って私は電話を切った。

だが実際に、母は本当に首を吊って死んでいたのだ。

ここまでの経緯は、YouTubeで発信しているため割愛する。
ご興味のある方は、YouTubeでご覧いただけたら幸いです。


泣くことをやめろ

母が亡くなってから、私はボーイと同棲することになった。
ボーイが『お前ひとりにはさせておけない。心配だ』と、同棲を勧めてきた。
まぁ別に今住んでいる家から遠くもなく、都心にも近いからいいやという、安易な考えで同棲を始めた。

同棲を始めると、私の情緒は不安定に。
母が死んだ・・・自殺した・・・。
彼の家は日当たりの悪い六畳一間で、余計に気分がふさぎ込む。
仕事から帰ってきた彼に、泣きながら『悲しい!寂しい!』と伝えたら『泣くな!!泣いたってお母さんは生き返らない。俺だっておばあちゃんを亡くしてるけど、明るく生きることが供養だと思うから葬儀の時以来泣いていない。だから泣くな!』

どん底に落とされた気分だった。

実は葬儀の時、私は腰が抜ける程大泣きした。
母が焼かれてしまう・・・熱いじゃないか・・・殺さないでくれ・・・私のお母さんを返して・・・
色々な感情がもつれ、自分で立ち上がれないほどに、泣き崩れてしまった。
その様子を見た葬儀屋の職員に『泣いたらお母さんが心配するよ。泣くのはやめなさい』と言われた。

どいつもこいつも、私が感情を出すことを否定する。止める。

葬儀屋に言われて傷ついたことを、彼にも言われ酷く傷付いた私。
私はその後、彼の家を後にした。

自殺未遂をする男

私物全てを持ち帰り、置手紙を置いて出て行ったので、私が出て行ったことはすぐに気づいたようだ。
着信とメールが止まらない。

『もっと春奈の気持ちを考えて発言するから、戻ってきてくれ』

『もう泣くなと言わない、ごめんなさい』

次から次へとメールが来る。

私はシカトをしていた。

このメールが来ていた時、私は同い年の従姉妹といたので、従姉妹にそのメールを見せながら話をしていた。

ちなみにこの従姉妹も、歌舞伎町のキャバクラで一緒に働いていたので、ボーイの存在はもちろん知っている。

どんなに時間が経過してもメールが鳴りやまない。

すると・・・

『今、包丁を胸にあてています。春奈が俺と別れると言うのなら、俺は今この包丁で胸を刺します』とメールが来た。
一瞬ドキッとしたが、従姉妹にそのことを伝えると『死なないでしょw』と。

引き続き『包丁が今、軽く胸を傷付け、少しだけ血が出ました』と実況中継のメールが来た。

私は母を自殺で亡くしている。
自殺をネタにされているように感じ、ブチ切れた。

『死ぬなら勝手に死ね!!』と返信をしたら、それ以降メールが届くことはなかった。

生きていた男

従姉妹の言うように、彼はその後生きていた。

自殺未遂メールから半年も経っていない頃、『メアド変えたよ』とメールが来た。

心底頭のおかしい男だと思った。

勿論メールは返していないし、その後コイツがどのように暮らしているかは誰も知らない。

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