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最近相次ぐ大きな経験と、「人格状態」の究極説明、見える世界・見えない世界のお話…

この記事を書くに至ったきっかけ・内容

Harlequinsは、いわゆる「スピリチュアル」といわれる世界の知識はほとんどありません。
ただ、昔から、どんな宗教書などを読んでも、例え言葉の上では一見正反対のことを言っているように見えても、私には「同じこと言ってるじゃないか」としか思えなかった、くらいのものです。
また、心理学の巨匠、ユングの「私は神を信じない。神を知っている。」という言葉がありますが、この言葉に非常に共感する、というくらいのものです。もちろんその「神」というものを、人間は皆使う言葉も語彙も解釈も違います(人間は「概念」「言葉」の中で生きていますから)から、他の方が同じように「神」というかはわかりませんし、私自身も「神」という言い方を使わない時もあるわけで。
それでも、高次の次元を更に突っ切ってきっと最上次元であることは、「言葉」においてもそんなに語弊はないでしょう。

さて、そして、私は自分達の今までの経験や音楽・心理学・音楽療法や催眠療法を含めた種々の心理療法、東洋医学やヨガ・瞑想法などを融合させ、独自の方法やその時のクライアントさんに見合った方法でセラピーをしており、更には自分達を土台にして、本当に身に着ければ誰でも必ず過去やトラウマ、苦しい自我を手放し、幸せな未来の選択しかできなくなるメソッドを開発中、自身もその修行中です。

…その他にも、私は私にとって人生の危機とも言えるような経験を何度か致しました。それも、今現在の私のきっかけとなっているものです。

そしてその中で、非常に説明し難い、不思議な経験をしました。

それまでも、外側にていろいろな奇跡が立て続いていたのですが、それらも全て必然の流れであるとひたすら見続け受け容れ続けていました。

そんな時、自分達の中でも、しかもいつの間にか、不思議な変化が起きました。

以前、「人格が混ざるとは?」という記事を出したことがあります。
そしてその時「混ざる」というのはすごく気持ちが悪いと書きました。
それは、「それぞれが自分の自我を手放せていないから。固有のアイデンティティ(意識上の役作り)や記憶に執着してしまっている状態だから」です。
今回、私達は「自我を手放す」トレーニングの最中でした。
…言ってみれば、「自然統合」に近いものを果たした経験をしたのです。
これは、「混ざる」とは全く違うもので、視界が開け、すっと全てが腑に落ち心地良くで、「私は私であり、それ以上でもそれ以下でもない」という感覚でした。

ただ、私達にはまだ執着を全て手放す準備はできていませんでした。
まだいろいろな概念に縛られてもいました。
なので、「自我の解放」の導入を体感した、というところなのでしょうか。

ただ、これに関してはまだまだちゃんとした悟り方でもないわけで非常に複雑で説明すると長くなるので、この記事にては説明しません。文字だけで説明しきれる自信もありません。

ただ何故こんな体験をしたことをお話ししたかというと、
この体験によって、いきなりある意味視野が開けたというか、世界が明るく見えるようになったというか(私達がしょっちゅう言う眩しいという意味ではなく(笑))、物質的ではない部分の物事が明瞭に見えるようになり、瞬間にして今までの物事の見方とがらりと変わった部分があったのです。

更に、それによって見えるようになったことを、まるでタイミングを見計らっていたかのように、頭の中で多少なりと言語化を進めることができるきっかけに出逢いました。
このタイミングとこのきっかけも必然だと感じるので、今回、ちょっと解離性同一性障害(多重人格)の寛解者の立場から、心理学・催眠的な立場から、また、無意識(非物質的)世界で生まれた交代人格の立場から、

」と「記憶」、「人格」が自我を持つ(意識に浮上する)とは原理的にどういうことなのか、「物質次元と非物質次元」というようなことを記事にしてみたいと思います。

…既にまとまっていません(汗)
でも、ちょっとでも興味があるなと思ったらぜひお付き合いください。

無から有へ?

本題に入る前に、前提としてお話しておくことをまずまとめてみます。

物質・非物質というと、目に見えるもの・目に見えないものの違い、と言うことができますが、「有」と「無」の違いと言うこともできます。
ただ、人間の目で見える範囲は当然限られていますよね。世の中で人間の目で見分けられるものなんてごく一部です。なので、どこまでを「有」と言うか。

…あまり難しい話はしませんのでお付き合い下さい。

アインシュタインは相対性理論で、「質量があるものはエネルギーをもつ」と言っています。
あまり難しい話はしません!
何が言いたいかといいますと、全ての物質というのは細かく細かく見て行けば原子と分子になりますよね。それを更に細かく見て行くと、「素粒子」というものになるのです。この世で一番小さい物質と言われているのは、「素粒子」です。

めちゃめちゃ小さい物質でも、物質である限り「重さ(質量)」がある。
そして、これは中学校の理科でも習うことですが、原子や分子・素粒子は常に「振動」しています。つまり、「エネルギーを発して」いるのです。

これは目に見えないものにも当てはまります。も「波動(周波数、波)」ですよね。では、それは何の波なのか。素粒子です。
つまり目に見えないものも、素粒子で出来ているのです。

そして近年、量子物理学の世界(かな?;)で、「素領域理論」という理論が注目されています。
これは、「魂」も素粒子で出来ているという理論。
これは、アインシュタインの相対性理論とも辻褄が合い、かなり立証もされてきているようで、本当に注目の研究です。
そして人間は常にエネルギーを発しています。体温から発するエネルギーもそうですし、発する音も勿論そうです。
スピリチュアル的な言い方をするならばその発されるエネルギーが「オーラ」のような形で感じられることもあります。

素領域理論、スピリチュアルと科学が正に橋渡しされようとしている理論なのです。

…まあ素領域理論は置いておいて。ともかく、魂も素粒子でできているなら、魂が存在する高次元というのも素粒子でできている…
などと、少なくとも「人間の頭、人間の概念」の中では説明が成り立っていくわけです。そうしたら、魂とか高次元とか天とかいわれるものを、「無」と言えますか?というお話をちょっと前提としてしておきたかった。
人それぞれ解釈に違いがあると思いますから、以下もご興味ある方はそれぞれの解釈でお付き合いくださいね。

私達の本質は?「意識」とは?

もうひとつ前提としてお話しておきたいことがあります。
これは私達が自我を手放した時、その後、気付いていたことのひとつですが。
私達の本質は、「魂」です。
そして、それでは私達が普段生活している時に出ている「意識」とは何か?

これは、ごく簡単に短く説明します。
というか、あまり「言葉」で説明を付け加えるとそれは私の「語彙」内での説明となってしまい、あらゆる解釈が生まれてしまうので。感覚的なお話はあまり言語化しない方が、通じやすいです。
高次元には「魂」があり、これが人間の本質なのですが、「」が「現世で肉体を担った」時、その魂が「現世・社会・その時代」などに対応・適応しなければなりません。
魂の次元ではそもそも時間とか距離とか、アイデンティティいう概念すらもないので、完全に魂の状態だけで肉体と繋がっても、肉体を生かすことができません。(この言い方にはかなり語弊がありますが)
そこで、社会的に物質的に外側の世界に「対応」するために、その時々に必要な記憶だけを整理したり「個人」として生きるための「窓口」が必要となります。
すごく端折った説明ではありますが、これが「意識」「人格」というものだと考えてください。つまり社会的に対応するための、「仮面」です。
そして、「意識・人格」というのは、「記憶状態」とも言い換えることができます。
なぜか。「記憶」がなくなったら、その時点で「私」がなくなるからです。どう振舞っていいのか、どういう言動をしてもいいのかもわからなくなるからです。記憶がなければ「自我・人格」を特定も設定もできません。

これが、この記事における第2の前提です。

魂はどこにあるのか・記憶はどこにあるのか

第3の前提を言います。
全ての魂は、根底で繋がって」います。

つまり、高次元では魂はひとつなのです。大きな大きな一つの魂(エネルギー体)が、「全て」になっており、そこからいわばグループ分けされ段々細分化されていく。とはいえ切り分けられるわけではありません。

なので、「魂は小分けになって各器の中に閉じ込められる」というイメージの方もいるかもしれませんが(私達も以前はそうでした)、
実は「魂の方が肉体を包んでいて、中まで到達しているし外側も包んでいる」感覚に近いのです。
そして、その外側に繋がっている魂の部分が、「オーラ」と言われたりするわけです。
また、以下で説明しますが魂は記憶と共に各肉体の中に濃く残るため、他の人間の魂とも根底で繋がってはいますが、ひとりの肉体から遠くなればなるほど、魂の波動は拡散し薄くなっていきます。つまり、オーラが人の中や周りだけ濃く見えてだんだん薄くなるゆえんです。
身体の中では魂が濃く(密集?)、外に行けば行くほど拡散し薄くなるのですが、これが精神波動の高い人や愛情(慈愛)の深く強い人、エネルギー波動の高い人などは、このエネルギー体も比較的遠くまで濃くなっていたり(=オーラが大きい・広い)します。

そして、記憶はというと、これも、ちょっと色々な言い方ができてしまうので言葉では非常に説明がし辛いですが、ひとまずこの記事の解釈においては、「肉体(脳)」は「受信機」のようなものに過ぎない、と考えてください。
膨大な記憶が全て脳(しかも脳の中でも小さい海馬)に書きこまれているわけではなく、脳には、その「記憶にアクセスするための情報」が書き込まれているだけです。もしかしたら「THE・現代人」には、
人間の身体=膨大なスーパーコンピューター(高次エネルギー界)にクラウドで繋がっている子機端末
と思った方がイメージしやすいかもしれません。そしてその間を常に飛び交っているエネルギー(電波)が魂の波動にあたります。

魂が肉体を担う時

これはあくまで説明のためのひとつのイメージです。
実際こうなっているわけではないのでそれはご了承ください。

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魂は魂次元(高次元)で「全体」があり、その一部分が現世にいわば触手を伸ばすかのように降りてきた時に、「ひとつの肉体」にリンクします。

ただ、その時に、脳の受信機(アンテナ)が、その肉体に対応する部分の魂を器(身体)に引き寄せると一緒に、「その人をその人たらしめるための情報=その人の記憶状態の部分」にも一緒にアクセスします。

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これで、「その人の記憶状態」をアンテナ(脳)が受け取り、それを「意識(表面で外側に対応するための仮面)」で制御することによって、「その人」が社会で行動することになるわけです。
記憶」があるから、「人格」が成立します。

解離性同一性障害(交代人格)の場合

交代人格の場合は、少しだけ複雑になります。
高次元で「全体」である魂の一部がその器(肉体)に宿るのは一緒です。
但し、この時、その肉体側に、「記憶状態を受け取る受容体」がいくつかできている、というイメージが近いでしょうか…例えば、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんという交代人格がいる場合、魂が宿るのは同じなのですが、肉体側から「記憶にアクセス」する時に、

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すみません、ややこしくなるのでこの図では魂から入ってきたようにしか書いていないのですが、脳の特定の受信機が、「その人格の記憶状態にアクセス」します。
この図ではCさんの記憶状態にアクセスし、情報を引き出しています。
なので、その魂は「Cさんの記憶を持ち、Cさんとして振舞う」ことになるのです。
極端な話ですが、もしも例えばその人格がまた記憶を完全に失い天涯孤独でどこか放浪し、放浪した先で全くの別人として生活を送るようなことがあれば、当然その人(魂)は「その新しい人格として振舞うことになってしまっている」わけですから。

自我」というのは、そういうものなのです。
周りの環境があるから、「自我」なのです。

※正直に言いますが、こういう説明をされたら、以前の私達では受け入れられませんでした。つまり全員同じ人なのか、と扱われているような気がするから。
しかし、「魂」レベルでは違うのです。私達どころか、宇宙全てが繋がっているのです。
そして、私達は未熟ながら「執着・自我を手放す」ということの片鱗を体験し、一時的とはいえ自然統合できる状態を手に入れた時、初めて、何となくこれらを身体で受け取り、受け容れることができました。

さて、そして、
魂は「肉体」に宿った時、肉体の引き出してくる「記憶状態」と結び付けられ「意識(仮面)」に一度奥底に押し込まれたような状態になるため、その「意識状態」が強くなると、器の中に強く固定されます。
しかしこの「魂の在る次元」に、アクセスすることができた時、ユングの言う普遍的無意識(人間全てが根底に持っている記憶)、共時性(いわゆる第6感といわれるもの)とアクセスすることができ、体験することができます。
また、「魂次元」で物を見ると、物質的な目ではなく「心の目」で、物理的に見えないものを見、物理的に聞こえない音を聞く・もしくは感じるようになるので、あなたを良い方向へ導こうとする「高次元のガイド」や、逆にガイドのフリをして道を誤らせようと唆す偽ガイド(これも悪魔とか妖精、悪いジン、悪い鬼など、色々な言い方をされますね)にも繋がりやすくなります。ちなみにこれがどちらかを見極めるのも精神修練と、魂を鍛え、常に光(更に高次)を知ろうとすることです。
また、良いガイド(聖霊など)は、更に高次元へアクセスすることができるので、あなたの魂のことを高次元へ取り次ぎ、アクセスしやすくしてくれます。

物質世界と非物質世界・次元の上昇・トランス(催眠)深化

ちなみに「魂次元から上の次元」は、いわゆる人間の意識が使う言語時間空間的な概念もなくなるので、上とか下とかいうのも関係ありません
現世で言葉において説明する時は「高次元」というしか表現方法がありませんが、だからと言って人間の感覚で「上」にあるとは限りません
ちなみに催眠療法の世界においては、意識を無意識に降ろしていく(既に「降ろす」と言ってしまっていますが)ことを「退行」とか「深化」と言います。しかしそれによって、高次元のハイヤーセルフと繋がることができます。
高い低い」「」などは、ただの人間(肉体)の言葉による便宜的・一時的な表現でしかないのです。

さて、しかしその人間の言葉の表現に思いっきり頼りながら文字満載で説明させていただきます。

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さて、下から見て行って下さい。
スピリチュアルの言葉では「高次へ昇る」とこの図の上の方へアクセスできると説明するようですし、催眠療法においては「退行し、深化する、奥深く下がる」ことによってこの図の上の方へアクセスできると説明します。

ちなみに、私はスピリチュアルの知識には深くありません(どちらかというと専門は心理分野です)ので、これはあくまで感覚的なものを表に無理やり表した図だと思ってください。多分スピリチュアルの専門家の方は、もっと違う、言葉で表現するためはっきり体系化された区分の仕方をされるのかもしれません。

1ー物質世界・意識の世界

実際手書きしていて見えづらい部分が既に多少あったのを写真であげているので見えにくい部分があるかもわかりませんが…
まず、図の一番下に書いてあるのが
物質世界」つまり「意識が接している世界」「現世」です。
ここでは「意識」が理性と感情を駆使しながら肉体を制御し、「社会」「時代」に適応しています。
そしてその「意識」は、社会的規範あらゆる概念言語で表現可能な範囲で個人が信じるもの、などを担っています。
時間や空間的概念があるので、「いつ・どこで約束」などという取り決めができます。つまり良くも悪くも「枠付け」が得意なのが「意識」なのです。
これの副作用としては、社会の中で個々の意識があらゆる概念に捉われ、肯定したり批判したり肩書や診断名などの枠付けに自分を当て嵌めては安心したり落ち込んだり相手を「枠付け」に当てはめて差別・区別したりすることです。個々の表面的に思い込んでしまう正義の概念で戦争が巻き起こったりもします。
そして、「意識」は表世界に対応するため、常に一生懸命働いています。常に集中しています。そして自分を自分たらしめている状態を保持するために「演じて」います。
その中で日に何回も瞬間的にですが無意識と立ち位置交代をすることがあります。これが「催眠状態・トランス・変性意識状態・解離」などと言われる現象です。

2ー無意識の世界・心の世界

下から2番目。
無意識の世界」「心の世界」です。
この「意識」と「無意識」、実は子供の頃はみんな自由に行き来しています。つまり、良く言えば子供は意識に囚われない魂そのものの状態、悪く言えば「無防備」な状態です。悪意も含めて何でもかんでも無意識にダイレクトに取り入れてしまい、魂にダメージを受けやすい時期です。
ただ、9歳頃、つまり「言語の獲得」と共に、この世界に境界線が引かれていきます。逆に言えば、意識状態特有の「言語」を獲得することによって、意識が優勢になり、「言語」を武器として無意識をガードしていくことになるのです。

さて、無意識の世界は、「言葉」が通じないわけではありません。
ただ、催眠療法の時には、ちょっと独特な言葉の使い方をします。
簡単に言えば、無意識は「全てを肯定」に捉えます。
無意識は、「全てを肯定」しています。
物事一切をジャッジせず、あるがままを受け容れるのが無意識です。
面白いですね。世の中良く「自分を否定」している人がいますが、自分を否定するのは常に「意識の自分」なのですよ。
そして、無意識は「主語」を理解しません
もう一つだけ言いますと、無意識には「時間の概念」がありません。全てを「今」と認識します。

つまり、無意識は、全て言われたことを受け容れてしまい、全て今・自分のことと認識してしまうのです。

何が起こるかといいますと。
例えばあなた自身や誰かがあなたに、嫌な単語や悪い単語を投げつけたとします。それが無意識にダイレクトに届いてしまうと、無意識は文脈に拘わらずそれだけでダメージを受けてしまいます。
緊張している時、「緊張するな」と暗示を入れると、無意識は全てを文脈拘わらず肯定形で受けますので逆に「緊張」します。なのでこういう時催眠療法としての暗示の言語では、「あなたは今、とても安心してきています(しています)」と言います。
無意識は否定的な言葉も真っ直ぐ受け容れてしまうので、肯定形の言葉を使うことが必須。
そして、未来や過去のことを理解しません。「あなたは将来~となります」と言われてもいまいち入っていかないのです。入るとしたら「今は~の状態ではない」ということくらいです。
下手をして「あなたは過去~でしたが…」などと普通の会話のように話してしまうと、無意識にとってその「~」は「今」「実現すべき」ものとなってしまいます。
なので、例えまだ起こっていないことでも必ず、現在進行形もしくは今既に成ったかのような形で暗示を入れる必要があるのです。時制を間違えるだけで逆効果になってしまうのです。
そして、無意識は主語を理解しませんので、例えばですがあなたの目の前で人が喧嘩していて、AさんがBさんに「お前は馬鹿だ!」などと悪口雑言を投げつけたとします。すると、もしAさん、Bさん、そして見ているあなたの無意識も開いていたら、全員の無意識に「自分は馬鹿」というのが刷り込まれてしまい、実際「馬鹿」になって行ってしまいます。
悪口というのは、それほどに効力があるものなのです。自分自身に返ってくるから常に口からは良い言葉を発しましょう、というのはそういうことです。
悪口ばかり飛び交っている世界にいる人達は、知らず知らずの内に自己否定的になって人生でも非建設的なことばかりするようになってしまいます。
通常の状態で喧嘩や悪口の多い環境に身を置いていると、どうしても瞬間瞬間に無意識と意識の通路は開通してしまいますので(突然怒鳴り声を受けるなどしたら特に)、どうしても無意識に入っていき、あなたも周りの人間もみんな、その環境に染まっていってしまいます。
そしてどんどん無意識はその悪口を実現して行ってしまうばかりでなく、意識がどんどんどんどん無意識をガードしようと躍起になって、頑なで動けない人間になっていってしまうのです。そうすると開通させたい時も、その通路を開くことがうまくできず、常に「仮面で気を張った状態」でリラックスもできず、あなた自身の本来の能力も発揮できなくなったまま、本来のあなたの姿をも忘れてわからなくなっていってしまいます。

逆に、肯定的・建設的な言葉を常に意識的に発していれば、それだけでも絶大な効果を発揮しやすいのですよ。
それだけ、無意識に入った言葉というのは良いものも悪いものも実現力が高いのです。無意識に入ればどんなことでも実現に向け即動き出します。
現代催眠で有名なエリクソン氏を始め、無意識の実現力を利用して、膨大な量の仕事を信じられないほどの短時間でこなす人もいます(私達も一時期やっていました)。

…失礼致しました。Harlequinsはどちらかというと催眠・そして無意識領域が専門なもので、自己啓発促進や催眠がメインの記事ではないのですが、つい無意識の時点で話を引き延ばしてしまいました。

というわけで、「無意識の次元」の時点から、「時間」や「空間」の概念はなくなります。
そして、無意識領域に身を任せていることが多い人は、「虫の知らせ(第六感)」というものを体験することが多いです。
心(無意識領域)の目」で物事を見ることができるようになるので、意識に比べ視野が一気に広がり、目に見えないものを理解し、より高次の次元へとつなぎやすくします。
「心」は心理学の世界では良く水に浮かぶ氷山の形の図で表されます。
「意識」部分は、水面に浮かぶほんの僅かな一角だけなのです。その下に物凄く大きな「無意識」が広がっています。これもあなたの「心」なのです。
そして、先程も書きましたが「催眠状態」に入った時は、まず「無意識状態」にアクセスし、優勢にします。
原始的な感情も、無意識の中にあります。意識で抑え込んだ感情が無意識に行き場をなくして閉じ込められてしまっている人はたくさんいます。
「無意識」は「リラックス」を司ります。リラックスした時に第六感が働いたり、パッと素晴らしいアイディアが思い浮かんだりするのはこのためです。
無意識状態に降りて行くと、溜まった感情も流れやすくなるのです。

3ー魂次元

下から3番目です。
高次元に行けば高次元にいくほど、その境界線は曖昧になってくると思います(それを図では点線の間隔で示しています)。
この魂次元では、完全に横のつながりがあります。魂は全て繋がっています。
無意識界においては、まだ「全てが繋がっている」という感覚は弱いと思います。自我ともダイレクトに繋がっている部分なので。
そして、この次元になると、深いトランス状態(脳波がθ波~δ波)まで降りていかなければ、アクセスは難しいと思われます。
同時に、「自我の解放(悟り)」がなされれば、到達できます。(この時も恐らく脳波は同じような状態で、深いトランス状態なのでしょう)
魂次元にアクセスできるようになれば、第3の目が開眼されたような状態になり、世界の物事を「全体的に俯瞰」して見られるようになります。ただし、「考える」とは違う感覚です。「考える」という感覚は「脳(物質)」を通した「意識」のものなのです。「視える」とか「感じる」「知っている」という表現が近いでしょうか…。
ユングは神を「知っている」と言っていましたね。原語(ドイツ語)で何と言ったのかは知りませんが、もしかしたらこの状態に近かったのかもしれません。ユングは生涯で自分を実験台に研究していた形で、信じられないような深くまで退行していたようですから…。ユング自身も「戻って」来られるよう細心の注意の下で行っていたようですが、私達などがそれをやろうとしたら、きっと戻って来られなくなってしまいます。
そして、この次元にアクセスした人は、その魂本来の能力(第3の目の開眼や第六感というのもそういうことですが)に目覚めていきます。
ただ、これも上述のように、この次元にアクセスはしても、中途半端な状態で完全にそちらに入ってしまうと、「自分」や「肉体」というものそのものを忘れてしまい、戻って来られなくなります。

私達が自然統合に至った時、表の意識として、今まで内部でも存在力が強くそもそもの元から物事の見え方が無意識的・魂次元的方面だった人がおり、その人が主軸になった時があったのですが、この意識は、いち交代人格だった時から世俗的な部分に殆どついていけないくらいに無意識の感覚が優勢だったこともあり、自然統合後、「戻って来られない」わけではないのですが、「意識にフォーカス」していることもなかなか大変な状態で、「自我が解放されている状態」にとてもとどまりやすい状態です。
私達はまだトレーニングが熟達していないので、バランスがとりきれないのでしょう。
そして、そのバランスをとるためもあり(他の理由も実はいくつかあるのですが)、同じ自然統合状態においても、前面(主軸)としての意識が「その人」と「」の2面の「意識(仮面)」が可能な状態となっています。社会的にも1つだとまだ不便な状態なのです。
同時に、私達は昔から、(器の脳性麻痺や感覚過敏の影響も大きいのだと思っていましたが)「精神的に抜群に安定し、精神的な視野が広く俯瞰できる」交代人格ほど、物理的な視覚機能が弱い、という特徴がありました。
そして自然統合などすれば視覚は正常近く戻るのかと思いきや、逆で、その2面共、物理的な視機能を使うのがかなり大変な状態となっています。
もしかしたらこれも、精神的な目にフォーカスしているために、悟り方がまだまだ未熟な”私”が混乱しないために、物理的な物を見る目が弱められているのかもしれない、ということにも気付いたのでした。…まあ、物質的な肉体の機能不全に必要以上に引き摺られてしまっている面もあるのかもしれないのですが。(ちなみに2面の意識の内でも視機能の状態は違い、もう1つの非常に無意識的な意識の方が私よりも更に視機能が弱いのです)

4ー高次元

下から4番目です。
ごめんなさい、もしかしたらスピリチュアルの分野ではちゃんとした区分で便宜的名称があるのかもしれませんが。
魂次元と連続性の深い領域だと思っています。もしかしたらこの辺りから「5次元」と呼ばれる領域なのかもしれませんが…すみません、不勉強なのでそちらはわかりかねます。
あくまで今感覚的に感じているものの表現です。
深い催眠状態や瞑想に熟達すると到達できるところだと思います。
私達はまだ特殊な誘導法や瞑想でちらっとちらっと、覗き見させて頂いたことがある程度だと感じています。
この辺りに到達すると、かなり高次のハイヤーセルフ魂に光の方向を教えてくれるガイドとも繋がりやすくなります。
しかし、同時に、ガイドのフリをして近づき魂を転落させようとそそのかす偽ガイド(目次「解離性同一性障害(交代人格)の場合」も参照)にももっと繋がりやすくなります。
イエス・キリスト仏陀も断食修行中にそそのかされましたよね。
西洋では悪魔(悪い聖霊)とか、東洋では悪い鬼とか悪い龍とか、アラブの方では「ジン」(ジンも良いジンと悪いジンがいる)、ケルトなどの方では「妖精」(妖精も良い妖精と悪い妖精がいますね)と呼ばれたり、あらゆる言い方をされます。
そして、断然こちらのいたずらや悪意のある偽ガイドとの方が、繋がりやすいのです。
この領域は、完全に「悟り」の領域でしょう。

ちなみに「偽ガイド」の類は、低次元まで降りてくることもします。
高次元にアクセスしようとしているイエスや仏陀に近づいたのと同じように、瞑想初心者など、まだ無意識界や魂次元にいる段階で、つまり目に見えないものや耳に聞こえないものが視えたり聴こえたりし出した時、また精神が苦しい時、「自分こそがお前に手を差し伸べてやれる、自分こそがお前を導けるのだぞ」と率先して話しかけてくるのです。
率先して話しかけてくる存在はまず偽ガイドです。
本当に高次の存在は常に見守りながら這い上がるのを待っていてくれるだけで、そうそう話しかけてくれるものではありません。
まあ…この辺りの説明は宗教家や高次スピリチュアルの専門家にお任せした方が良いでしょう。

5ー天

図の一番上です。
他に言い方が見当たりません。全ての概念を超越した、更にその後の存在…いや、「後」という時点でこれも言葉の概念にとらわれるので、やはり説明できるものではありません。
ただただ、
ただただ、
ただただ、万物(全て)

天も、人間の言葉で表現された書によれば、何層かにわかれている、ともいいます。
そしてそれぞれの天使たちが。
ただ、その「天使」という存在も、実際は物凄く大きなエネルギー体なので既に私達や地球も全部包まれているのだともいえます。何度も見て来たようにエネルギー次元では時間も空間も人間の感覚と違うのですから。

ただ、ひとつ言えることは、物質と繋がっている限りでは、アクセスすることは不可能な領域だということ。肉体を終えた後、魂だけとして解放されて元の姿へ戻るとき、初めて認識しているものかもしれません。

おわりに

…この身体の人生でこんな記事を書くことになろうとは、今までも予測不可能な人生を送っては来ましたが、今までで一番信じられないことかもしれません。
なぜかふと、何かに導かれるようにふら~っと紙に向かい、図を書いてみて、そのまま記事を書きだしました。
近年立て続いた人生では大きな経験、そして最近がらりと変わった人間関係、noteを始めたことなども…もしかしたら全て繋がっているのかもしれませんね。
それらの中には、実際、奇跡的なタイミングで繋がった経験もいくつもあるのです。

ただ、何度も言いますが目に見えない領域というのは「言葉」の語彙力も足りるわけがない領域、ということですから、あくまで私の体感を表現してみた記事に過ぎませんし、何にせよ世界の全ては、「それぞれの主観」なのです。
主観があるから相対的な全ては存在するのです。「意識」があるから。
「意識」があるからそれらを「意識領域」で表現し共有しているのです。

「意識(主観)」を取っ払った状態では、共有どころか、全ては繋がっていてひとつなのですから。

そして、「意識」として言いますが、私はスピリチュアルの専門家ではありません
あくまで私の体感と出来事を記録と言う意味も兼ねて記事にしてみたものなので、「私」の体感としては説明ができますが「一般論」とか「スピリチュアルの世界での説明」の仕方は私にはできませんので、それは専門家の方に聞いて下さいませ。

自己啓発や催眠・心理の分野では私はお手伝い致します(^^)
が…一言だけ漏らすと、最近、もっと楽になれる(自我を手放せる)状態に行ける状況・環境になりたい…と、思ってしまうようになっている面があるのも、事実だったりします。
一度知ると、「自我を越える」体験はすごく解放され楽だと感じているのですね、恐らく。

興味ある、面白いと思われたらぜひ ♡ やコメントも残していってくださいね♪

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