自分が対象と折り合いをつけられる”能力がない”時、不平不満が出ます

ちょっと長めの呟きです。
ふと、格言を見つけました。

時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情をいう。
Jean de La Bruyereというフランスの作家さんの言葉だそう。

「時間」じゃなくても、「短さ」じゃなくてもそうだよね。

どんなものにおいても全てにおいてそうだと思う。
自分が相手(生き物であっても物、時間や空間であっても)と折り合いをつけられる能力がない時、不平不満・(感情的な)クレームが出る
ということだと思う。

不平不満ばかり出る人は、自分がその対象と関わること・その対象を制御すること・うまく使うことetcについて、
如何に能力がないか!

…ということを、わざわざひけらかしてしまっていることになる。

…あまり、露呈したくはないことですよね。

人生というのは自分のもの。
相手(生き物であろうが物・時間・空間などであろうが)に不平不満文句を言ったって、つまり相手に「依存」して”私にはできないんだからそっちが私に適合しろ”と言ったって、相手はあなたの人生を変えてはくれない

ついでにね。不平不満文句を言っている人は、最初の格言、Bruyere先生の言う「時間」についても、ほぼほぼの確率で必ず文句を言います。「時間がない」とかね。
でも、そう言ってる人って、「不平不満文句を言っている時間」は、ご自分でちゃーんと立派に作ってるんですよ。というか、そんな時間があるから(わざわざその暇を作っているから)、不平不満文句を言えるんです。言える時間があるんです。

…つまり。
…逆に、自分の能力のなさをわざわざひけらかす行為…不平不満文句…を、言わない習慣をつければ、自ずと、「ではどうすればいいのだろう」と頭が考え出す時間に変わってきます。無意識レベルで別の方向にシフトしてくる。だって、「時間」を「完全に無」の状態で過ごせる人はいませんから。よっぽどヨガの行者さんとか仙人でなければ(笑)。

人は必ず、持っている時間を何かに使っている

だから、まず「不平不満文句」を言って自分の無能をひけらかし貶めてしまう行為だけを、しないようにしてみましょう。
そうしたら、今までそれをしていた時間に、あなたの中に何か別のものが生まれますよ。

更に、不平不満文句を言っていると、自分の心がだんだん苦しくなります。だんだんと、何だかわからないけれど何かに溺れていくような感覚が人生を満たしてしまいますよ。それを言う習慣をストップして、別のことで発散してみましょう。それだけで、何か重荷が落ちてどこか楽になるはず。

…それにね。
不平不満文句を言う人は、自分を貶めているだけではなく、「言葉にする」ことによって、その言葉を相手だけでなく自分にもかけていることになる。これは自己暗示と全く同じ理屈なのですが、常に何かしらに不平不満文句を言っている人は、知らず知らずのうちに自分に自己暗示をかけ続けていて、自分自身が「その言葉の内容の通り」の人間になっていってしまいます
昔から不平不満文句が多い人は、既に他者からは、「それはお前自身じゃないか」と思われるような人間になってしまっていますよ。


…何?「自分はいいんだ?」自分が気に入らないから叩きつけているだけ?
そう言って開き直る人もいるかもしれませんね。では、あなたが不平不満文句やクレームを言う相手(今度は生き物限定かな)も、全く同じくそう思っていますよ。「俺(私)はいいんだよ」って。やっぱり、言うだけ損。


常に不平不満を漏らす行為は、自分の能力のなさのアピール
常日頃から感情的にクレームばかり叩きつけている人は、実は自分もその通りの人間になってしまっている

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