見出し画像

自らの正気を疑わぬ者たち

昔々のこと、個人的興味から「犯罪心理学」なる分野に興味を持ち、それにまつわる書籍を読んだことがありました。


今となってはどんな本を読んだのか皆目思い出すことができないくらいの浅い興味だったわけですが、ふとした時になぜか思い出します。


遍く犯罪に適用できる学問などないとは思います。
しかし、犯罪に至る心理というのはどういった思考回路からなのだろう?
そう疑問に思ったことがあります。


人道に反する行為をするからには、やはりどこか私たちとは違った思考回路を持っているからなのだろうと決めつけていました。


そう思えば安心できます。
だって私たちとは違う人たちですから。
私のようなモブキャラとは縁の無い世界の話で、そんな非人道的なこと私はやらない。
テレビで報道されている人たちは別世界の人間であると決めつけてました。



この本を読むまでは。









『魍魎の匣』京極夏彦 著

画像1

…また京極さんかよって思ったでしょ?
自分でもそう思います。
でも、困ったことに再読してしまうんですよ。
どちゃくそ面白いから。
再読したのは少し前になりますが、時間が無いのに読んでしまいましたよ。
眠る時間を削って。





「兄貴の話に依ると––たぶんバラバラにしている時の精神状態は極めて正常で、寧ろ殺人と云う非日常から普段の生活––日常に戻ろうとしてバラバラにしている場合が多いのじゃないか、バラバラにすることで犯罪者は異常な精神状態の中から正常を取り戻すんじゃないか、と云っていました」


p.132より

異常な事件がテレビで報道されると、私はそれをただただ「異常」であると認識する。
上記の状況においては、「異常」に思えるその行動も、ただ「正常」に戻るための行動であったと言及する。


事件の概要を報道は肉付けをする。
報道は、猟奇的な行動を、犯人の日常や動機からさらに煽っていく。

「いえね、動機だけなら皆持ってる、計画するだけなら誰だってする、それがあるからと云って特殊なことじゃない、犯罪者と一般人を分かつものはそれが可能な状況や環境が訪れるか否かの一点にかかっている––と云うような主旨の話でした」
(略)
「私にも善く解らないんですよ。ただ兄貴が云うには、動機などの心理的な要因と、環境などの社会的要因、そして犯罪が可能になる物理的な要因は、切り離して考えるべきだろう、と。犯罪を作り出しているのは個人ではなくて社会や法律の方だ、とか」


p.133より
「そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など––こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ。そうすることで自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。だからこそ、その理由は解り易ければ解り易い程良く、且つ、日常生活と無縁であればある程良い」
(略)


p.717より

冒頭に戻りますね。


私はどこか線引きしていたわけです。

「自分はそんなことするはずない」

そう思うことによって安心していたんでしょうね。
それが悪いことではないとは思うんですが、人を理解するという点においては些か偏見に満ちており、印象操作されていたなと反省する次第です。





愛とは。

生きているとは。
死んでいるとは。

肉体は必要か。
魂は生き通しか。

正気か。
狂気か。




みんな正気です。
自分の正気を疑わない人たちが、自らの「正義」のため取るべき行動をとる。
来たるべき機会が訪れた時、そこに常識や道徳が介入しうる余地があるか。
作中の彼のように、ほんの少しの隙間さえ嫌う者に余地などあろうはずもない––








長々と書いてきましたが、今日書いた内容以外にもハッとする文章がこの本の中にはあります。

京極さんの文章マジでタイプです。
付き合ってください!!








冗談は置いといて、ぜひ読んでみてくだされ( ^ω^ )

スキ、フォローいただけると励みになります。 気軽に絡んでくれると嬉しいです\( 'ω')/