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皇帝ヴィルヘルム1世の記念碑 ポルタ ヴェストファーリカ
Dr. Oetckerの記事で取り上げたビーレフェルトの街は、OWL(ノルトラインヴェストファーレン州のうちオストヴェストファーレン リッペOst Westfallen Lippe)と呼ばれている。
今日は、同じくOWL地域の記念碑について。
Kaiser-Wilhelm-Denkmal an der Porta Westfalica
カイザーヴィルヘルム記念碑 ポルタ ヴェストファーリカ
私達は数年前に、ここにあるレストランの招待券を頂いた。
私がここを訪れたことがないと知った知り合いが、是非行くべきだと準備してくださったものだったのだが、残念ながらコロナの影響で長らく訪れる事ができなかった。
2021年10月に、125年周年を迎えたこのモニュメント。
2018にリニューアルし周囲が美しく整えられた事もあり、OWL地域の中で人気の観光スポットだ。
このモニュメントがあるポルタ ヴェストファーリカという街の名前は、ラテン語で「ヴェストファーレンの門」と意味になる。
山の上に聳えるこの門の位置は、標高210メートル。
線路に沿ってヴェーザー川が流れ、駅を降りるとすぐ目の前にそのモニュメントを見る事ができる。
駅からモニュメントまでは、無料のシャトルバスが出ており、10分ほどバスに揺られると到着。
ハイキングとして、ここを登るかたも多いそうだ。
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頂上に到着すると、そのモニュメントの大きさに圧倒される。
ヴィルヘルムのコスチュームを着たかたが辺りを歩いており、雰囲気を一層高めてくれる。
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モニュメントの地下(土台)にあたる部分がレストラン兼ミュージアムになっており、このモニュメントの歴史を知ることができた。
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皇帝ヴィルヘルムとは、もちろん初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世。
普仏戦争の勝利の後、1871年にヴェルサイユ宮殿にて、皇帝の戴冠式を行った。
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この門は、皇帝ヴィルヘルムの死後(彼は1888年に亡くなっている)彼を追悼する意味を込めて建てられた。
彼は、ヴェストファーレン州の知事を務めていた事があり、彼の死後すぐにヴェストファーレン州議会で建設が決定され、この地が選ばれたそうだ。
建築とデザインについてのコンペが行われ、1892年に着工、5年の歳月をかけ1896年に完成している。
総工費は、833.000ゴールドマルク。
パッと金額が飲み込めず、気になって調べてみたところ、2790ゴールドマルクは、金1キログラムに値するそうなので、金299キログラムの価値となる。
現在、金1グラムを9700円と仮定すると、約29億円。
国を挙げての一大プロジェクトだった事が想像される。
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彼への追悼の意味と同時に、ドイツ帝国の権力の誇示、また民族意識を高める意図もあったようだ。
落成式には、皇帝ヴィルヘルム1世の孫にあたる皇帝ヴィルヘルム2世と、皇后ヴィクトリアが参列し、招待客は2万人にも及んだという。
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皇帝ヴィルヘルム1世は、孫の皇帝ヴィルヘルム2世をとても愛していたそうだ。
また皇帝ヴィルヘルム2世も、父ではなく、祖父を模範として育ったとも言われている。
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このモニュメントは、後に戦争犠牲者を弔う意味や、また愛国の象徴としても、その存在が大切にされてきているそうだ。
そのモニュメント全体の高さは88メートル。
そしてその中心に皇帝ヴィルヘルム1世の像が建っており、彼の高く掲げられた右手は、慈悲を表しているという。
像の大きさは7メートル。
(その手のあげ方が、ナチスのそれと混同される事があるようだが、全く違う意味である)
最初の原案では、この像は彼がイタチの毛皮と乗馬ブーツを履き、戦車が側にある像だったそうだ。
しかし、彼の孫によりその案は却下され、彼の生前の姿を忠実に再現し、剣を手にし、鎧とドイツ皇帝のマントを身に纏った姿に変えられたという。
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彼は、勤勉、質素倹約、質実剛健、ドイツ人のイメージそのままのような人だ。
彼は自分だけでなく、その意志を国民に啓蒙した人物でもある。
だからこそ、彼の纏っているマントは、イタチの毛皮でなく、鷲の紋章が刻まれたものの方がずっと相応しいと、彼の背中を見て納得した。
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このモニュメントの地下部分では、鉄鉱石の採掘もされており、戦時中には採掘が終わった地下の空き部分を利用し、秘密裏に軍事工場が作られていたのだそうだ。
その生産には、強制労働者達の多くの犠牲が伴った。
終戦後、イギリス軍によりその施設は爆破されたが、モニュメント自体は僅かな損傷で済んだという。
これも、ヴィルヘルムの慈悲のお陰だろうか。
見晴らしのよいレストランのテラスで食事をし、私は初めて目にするその風景を楽しんだ。
舌で味わい、目で楽しむ、とても素敵な時間を過ごした。
テラス席の食事は、食べ物をより一層美味しく感じさせるかもしれない。
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高台からの景色を見て、ここを勧めて下さった知り合いが、何故ここを好きなのか良く理解できた。
ドイツ帝国初代皇帝となったヴィルヘルム1世は、ドイツ皇帝と呼ばれることを好まなかったという。
いつまでも、プロイセン国王と呼ばれたがっていたという話を読んだ事がある。
初代皇帝という名前から連想する勇ましさや力強さ。
しかし、モニュメントは優しい眼差しをしていて、まるで微笑んでいるかのようにも見えるのだ。
そして、彼の目は寸分違わずに真東の一点を見つめている。
彼はこの標高210メールの山の上から、彼の愛したプロイセンの土地、ブランデンブルグや彼自身の生まれた街ベルリンを、これからもずっと見つめ続けるのだろう。
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ヴィルヘルム1世が暮らした街、コブレンツにも、彼の銅像が建てられている。
その他のOWL地域の街
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