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ビーレフェルト 都市伝説の街

先日アップしたビーレフェルトにあるラーメン屋さんとクレープ屋さんの記事を読んで下さり、更にはビーレフェルトの場所まで調べて下さったかたがいらっしゃいました。
その事がとても嬉しかったので、この街について書き残したいと思います。

Bielefeld ビーレフェルト

ビーレフェルトは、ノルトラインヴェストファーレン州(以後NRW州と省略)のうち、Ost Westfallen Lippeと呼ばれる地域に属している。(以後OWLと省略)

さて、この街には『ビーレフェルトの陰謀』と呼ばれる怪しい話がつきまとっている。
それは『ビーレフェルトという街は存在しない』という都市伝説なのだ。
それに加えて『存在しないビーレフェルトという街を、あたかも存在するかのように信じ込ませる組織が存在する』という何やら大がかりな陰謀説なのだが、正直なところこれだけを書いても全く理解できない。

これは、ビーレフェルトという街が比較的大きな街であり、名前は聞いたことがあるけれど、この街を訪れた人があまりいないという少々残念な背景がある。

私も、例えばハンブルクやハノーファーなどに向かう際にビーレフェルトを『通過』しているはずなのだが、全くその記憶がないし駅に降り立ったことすらなかった。

そのような状態を面白おかしく例えて、実はビーレフェルトというのは存在しない架空の街なのだという、そんな大掛かりなジョークが生まれたらしい。

私はこの話をパートナーから聞いたのだが、それを理解するまでにかなりの時間がかかってしまった。
陰謀と言うくらいなので、もっと面白い何かが隠されているのではないかと思い、何度も話を聞き直す必要があったほどだ。
それでもドイツ人はビーレフェルトと聞くと必ずこの話を出すので、ドイツでは面白い話だと認識されているのだろう。

こんな風にからかわれてしまう程、地味とも言える街なのかもしれないが、実際はとても美しい街だ。

Teutoburger Wald(トイトブルガーの森)と呼ばれる広大な森が街の一部を構成しており、その森の広さは1200㎢にも及ぶ。

どのくらいの大きさか丁度良い比較対象が見つからなかったのだが、淡路島の大きさが565㎢だという事が分かった。
つまり、淡路島の約二個分の面積の森がOWLには広がっている。

街の高台には、Sparrenburg シュパーレンブルクという城跡が残っており、その塔には今も登ることができ、この街の一番のシンボルとも言える場所だ。

こちらは、旧市庁舎。

また、ビーレフェルトは工業都市でもある。
森精機が地元大企業GMSを買収し、GMS Mori AGとして今もなおビーレフェルトの大企業の一つとして数えられている。
他にも、三菱製紙など日本の企業が数社進出している。

この辺りには、20世紀に織物で発展した街がいつくかあるが、ビーレフェルトもそんな街の一つ。
旧市街のニコライ教会の前には、織物業に携わるかたの記念碑が建っている。
Leineweberdenmalと呼ばれており、Jobst Heinrich Heienbrokという男性がモデルになっていて、彼は織物業に非常に貢献されたそうだ。

Seidenstickerというワイシャツをメインに扱っているメーカーは、今もなおビーレフェルトで生産を続けている。
またミシンメーカーDürkopp Adler AGやPhillipも、ここビーレフェルトの生まれだ。

私はこの街の織物業の歴史が知りたくなり、ランドリーミュージアムWäsche Museumに足を運んだ。
展示されていたこのミシンは、まだ使用可能なのだそうだ。

さてさて、この街には怪しい都市伝説や、工業や織物の他に、更に有名なものがある。
この街には『プリンの街』というあだ名があるのだ。

ドイツの企業Dr. Oetkerは日本には進出していないが世界の大企業であり、この街にその本社がある。
オッカー社は、ドイツトップの食品会社でありつつ、ビール会社、ホテル経営、数年前までは船会社まで所有していたというドイツのマンモス企業で、様々な業種の400社もの企業を抱えている。

そんなドイツを代表する企業は、この街の旧市街にある薬局がその始まりと言われている。
薬剤師だったオッカー氏が、ベーキングパウダーを発明したのはこの薬局で、今もなおその場所には薬局があり営業している。

経営にも長けていた彼は、ベーキングパウダーの小袋販売を開始。小さな会社を作り、それが今のマンモス企業にまで膨れ上がった。
ベーキングパウダーや、プリンが有名なオッカー社。
そのため、この街にこんな可愛いあだ名が付いてしまったそうだ。

オッカー社の会社見学にも訪れた事があり、そちらはここだけでは書ききれないため、また別の記事として纏めてみたいと思う。

街は、色濃くオッカー社の影響があちこちで見受けられる。
前期はブンデスリーガ1部に昇格していたアルミニア・ビーレフェルト。
堂安選手(今は移籍済)や奥川選手の活躍が楽しみで、何度かスタジアムにも足を運んだ。
数年前よりオッカー社がスポンサーになり、ファミリーゾーンが設けられるようになった。
得点票の下の部分にあたるコーナーが、そのゾーン。

オッカー氏によって建てられたRudolf-Oetker-Halleというカルチャーホール。
音響効果にこだわって作られた素晴らしいホールで、コンサートや市民の発表会など、文化活動に広く活用されているそうだ。
ホールの隣は、市民憩いの公園。

ビーレフェルトには、まだまだ魅力がたくさん詰まっている。
大きな動物園があり、近隣の街からも大勢訪れるそうだ。そして、この熊さんが動物園のメインキャラクターのAlma。
一日いても飽きないほど、楽しく過ごすことができた。

郊外には民俗資料館Bauernhaus Museumがあり、昔の生活そのままを再現している。

おばあさまが機織り機で布を織る姿に興味をそそられ、図々しくも隣に陣取ってずっと作業を見せて頂いた。
おばあさまは、そんなに面白い?と笑いながら、丁寧に機織りの構造を説明して下さった。
あまりにも説明に夢中になって、あら?少し間違えちゃったわ、とお茶目に笑ったのが何とも可愛らしかった。

隣の部屋では綿から糸を紡いでいるおばあさまがいらっしゃり、私はそこでもしばらく作業を見学させて頂いた。
紡糸の機械は見た事があったが、目の前で手で糸を紡ぐというのは初めて見た。
昔は、特に冬の時期に仕事ができない時、このような作業をしていたのだと教えて下さった。
織物の街の繁栄を支えていたのは、このような女性の力だったのだと知る事ができ感慨深い瞬間でもあった。

博物館の入口には大きな風車があり、風車の塔の内部を見学することができる。

敷地内にはレストランもあり、この地方名物のスイーツLippischer Pickertを頂く。
これはじゃがいもが入ったパンケーキのようなもので、食事として食べたり、またこのようにコケモモのジャムやバターと一緒にスイーツとして食べることもあるそうだ。
食感としては厚めのパンケーキで、とても美味しい。

また、Bethelという地域にはクリニックセンターが集中して建設されており、当時皇后だった美智子様はこのBethelを訪れたことがあるそうだ。
日独協会も活発な活動をしているようで、街の一角には日本庭園が造られている。
街の観光地図にもこの日本庭園が大きく紹介されているので、どうしても見たくて訪れてみた。
日本庭園と木組みの家のコンビネーションが見られるのは、きっとここだけだろう。

私は、今ここで断言する。

ビーレフェルトは、架空の街ではない。
トイトブルガーの森の豊かな自然と、工業によって支えられて発展してきた、美しくそして堅実な姿の街がそこにはある。

それとも、もしかして・・・
闇の怪しい組織に洗脳された私が、みなさんを陥れようと、こうしてビーレフェルトの話をコツコツと書いているのかもしれない。

みなさん、くれぐれもご用心を・・・




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