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七夕の願いごと

ビーレフェルトという街に住む友達が、「車で移動販売をしている日本のクレープ屋さんを見つけたよ」と、私に教えてくれたのは、2017年の夏頃だったと思う。
そして、Ditoと一緒に食べたいと誘ってくれた。
 
遊びに行く度に街の中を探したけれど、移動販売車はなかなか見つからない。
そんな事を繰り返して数回目に、ようやく私達はその車を見つけた。
私達が初めてそのクレープを食べたのは、2018年3月26日のことで、記念に屋台の前で写真を撮っていた。

その日にクレープを作ってくださったのは、松本さんというかただった。
私達は、屋台をずっと探していたことを伝え、ようやく食べられることを喜んだ。
 
松本さんは、幼馴染の中野さんと一緒に、夢を叶えるために料理の修業をされ、そしてこうして屋台販売が始められたという事を、クレープを焼きながらにこやかに話してくださった。
私は、そのお話の一つ一つを、友達に通訳しながら説明した。
 
温かい笑顔を浮かべる松本さんは、大変な努力家なのだと分かった。
そんな松本さんの接客を受けて、クレープの美味しさだけでなく、そのお店の成り立ちとお人柄に、私達はすっかりファンになってしまった。

しばらく経った頃、ビーレフェルトの街の中で、日本のラーメン屋さんが「COMING SOON」となっていると、友達が教えてくれた。
そのため、その前を通る度に、いつラーメンが食べられるのかと、友達と一緒に楽しみにしていた。
 
その後すぐに分かった事だが、松本さんと中野さんには更なる夢があり、それが偶然にもオープン準備中のラーメン屋さんだと知った。
私達はますます、その開店の日が楽しみになった。

こちらの写真は、当時のサイトより。

2020年6月15日。
夕方、友達から一通のメッセージが届いた。
「今日は街で大きな事故があったようで、車が渋滞して大変だったよ」との内容と共に、送られてきた地元新聞記事の見出しを見て、私は鳥肌が立ち、ゾッとした。
そこには「屋台販売の車が、広場でガス爆発を起こした」と記載されていたからだ。
 
どうか、あの屋台ではありませんようにと祈りながら、慌ててその記事の詳細を開く。
記事の写真を見て、私は体温がスッと下がって行くのを感じた。
ガスで吹き飛んだ車の色が、クレープ屋台の色と同じ明るい黄色だったからだ。

記事の内容を読み、愕然とした。
悪い予感は、的中してしまった。
 
やはり、あのクレープ屋さんの屋台だった。
イベントのために広場で準備をしていた時に、その爆発事故が起きたようだ。
車の中にお一人、そして近くにいた従業員お二人が、命に関わる程の重傷を負い、専門の病院までヘリコプター搬送されたという。
従業員以外のけが人は発生していない事だけが、不幸中の幸いだということだった。
 
すぐに友達に、あのクレープ屋さんの事故だと告げると、新聞の写真や記事詳細まではまだ読んでいなかったという友達は、こんな事は信じたくないと何度も繰り返した。
 
松本さんの容態が気になり、私達はそれからもずっと、その事故についての最新情報を探していた。
そして事故から数週間後、私達はお二人のための募金サイトを見つけた。
そのサイトにより、車内にいたのは松本さんであり、中野さんとJensさんという従業員のかたが、その近くにいたという状況を知ることができた。
 
爆発が起きた後、中野さんは松本さんの燃えている身体の火を消すために、自分の全身を使い、まさに身体を投げうって、その火を消したのだという。
私達は、それを知った時に、言葉を失った。
二人の夢の屋台が、こんな事故に遭ってしまったこと。
そして同時に、お二人の深い信頼と愛情を知り、胸が押し潰されるような気持だった。
 
中野さんとJensさんは退院されたけれど、松本さんだけはまだボーフムという街の病院に入院しているのだという。
私達はできる限り多くのかたに、この事故と募金について知って欲しいと思った。
ありがたいことに、私達の知り合いは、この事故のために全員が募金に賛同してくれた。
 
入院中や退院後に、サイトに載せられた写真やビデオメッセージは痛々しいものもあり、体中が包帯だらけのものもあった。
それでも、私達は毎日そのサイトを確認しに行き、どんな小さなことでも知りたいと思っていた。
少しずつ回復されている様子が分かり、目標募金額が達成した時には、ホッと胸を撫でおろした。
 

そして、2020年11月25日。
クレープ屋さんが、街の中心にある百貨店の一階部分に店舗を構える事が決まったと、地元ニュース紙に取り上げられた。
私達は、ビデオ通話をしながら、拍手をしてそのニュースを喜んだ。
その後も、友達は何度か店舗を見に行き、その様子を私に教えてくれた。

そして、2021年6月15日。
あの痛ましい事故から、ちょうど1年。
その日が、ラーメン屋さんの開店記念日になる事を、新聞で知った。

私達は、居ても立ってもいられなくなった。
 
ラーメンを食べに行こう!
 
私は、できる限り早いタイミングで、ビーレフェルトへ向かった。
友達と相談をして、まずはクレープ屋さんに行く。
以前と変わらないロゴを見つけ、嬉しくなる。
そこには松本さんの姿はなかったが、お店はデュッセルドルフの人気タピオカ店と提携されているようで、クレープを買い求めるかた、タピオカを注文するかたで、行列になっていた。

行列に並んでいた時に、これを覚えている?と友達が私にそっと差し出したのは、一枚のスタンプカードだった。
初めてお店を訪れた時、松本さんが作ってくださったもので、二人分のスタンプをその一枚のカードに押してもらっていたのだった。
あの事故以来、ずっと押してもらうことができなかった、スタンプカード。
友達は、お二人が必ず元気になる事を信じて、このカードを大切に部屋に飾っていたのだと話してくれた。
そしていつかまた、このカードにスタンプを押してもらえる日が来ることも信じていたのだと、どこか遠くの景色を見るかのように話してくれた。
 
クレープを注文し、そして新たなスタンプを二つ押してもらう。
友達は返却されたそのカードを、クレープが焼き終わるまで大切そうにジッと見ていた。
友達の、純粋で深い優しさが伝わってきた。

そして、いよいよラーメン屋さんへ。
こちらも、行列ができるほどの人気だ。

暑い夏の日に合う、あっさり塩ゆずラーメンを頂く。
注文を取りに来てくださったかたに、事故に遭われたかたの健康状態をお聞きすると、今はみんな元気ですと笑顔で答えて下さった。
そして今日も厨房には、中野さんがいらっしゃるという。

ラーメンも餃子も、とても美味しかった。
松本さんと中野さん、そしてスタッフのかた、そしてお店を支えようと募金をしてくださっていた、たくさんのかたの思いを感じて、胸がいっぱいになる。
ラーメンはあっさり塩味だけれども、とても深く、そして濃い味がした。
 
色々な事を考えながら食べていると、ラーメンの湯気のせいではなく、私の視界がだんだんとぼやけて滲んで行く。
悲しい涙は少ないほうがいいけれど、嬉しい涙は何度流してもいい。
 
最後のスープの一滴まで、全部残さずに頂いた。
ラーメンのスープを作るために、10時間もの時間がかかることを知った友達は、自分も最後までスープを飲むと言って、同じように飲み干していた。

海外で新しいお店を立ち上げることだけでも、大変な事だ。
開店準備を始めてからのコロナの影響は、想定外だっただろう。
更には、海外で命に関わる程の事故に遭い、怪我をされたこと。
私では想像もつかないほどの、多くの苦労をされてこられたと思う。
そして、日本にいらっしゃるご家族、ご友人は、どれほどの心配をされただろうか。
 
朗らかな笑顔でクレープを焼き、お話してくださった松本さん。
その松本さんを、自分の命をかけて助けようとされた中野さん。
お二人のお人柄が、ここまでたくさんのサポートを集めたのだと思う。
 
幼い頃からのお二人の夢が叶った事、改めて心からお祝いの言葉をお伝えしたい。
 
ビーレフェルトは少し遠いけれど、私は何度でもお店に足を運ぶだろう。
お料理が美味しいのはもちろん、お二人を心から応援しているからだ。
 
あの最初のラーメンから、約一年が過ぎ去った。
そして、今日は七夕。
短冊の代わりに、ここに願い事を書き残したい。
 
お二人の夢が、これからもどうか順調に叶いますように・・・

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