モナリザ

サッカーは芸術だ

 上記の画像を見て、モナリザを見たと言う人はいるだろうか。

 絵画をスマホやパソコンの画面を通して見ても、見たと言うことにならないし、これだけで友人や知人に「モナリザ見たよ!」て言う人いないですよね。それはなぜか。「リアル」で見ることに価値があるから。僕はこの”「リアル」で見ることに価値がある”という部分は、サッカーにも共通していると思っています。つまり、絵画や美術品と同じように芸術であり、さらに僕は、そうした類の芸術品よりも価値のあるものだと思っています。

モナリザとサッカー

 現在の日本では、サッカーを「リアル」で見る価値がそれほど高くありません。実際、家にいたり、電車に乗っていたり、学校や会社にいたりする時でも、サッカーは見ようと思えば見れるんです。それは、モナリザも一緒です。モナリザ見たいな〜って思ったら、”モナリザ”って検索すればたくさんモナリザの画像が出てきます。でもそれって、何か違いますし、上記で述べたように、サッカーでは「見た」と言うのに、モナリザは「見た」とは言わないんです。では、モナリザとサッカーは何が異なるのか。僕自身、感覚で何かが違うと言うことはわかっていますが、言語化はできませんでした。実は、このモナリザとサッカーを比べることは、大学1年の通学中に電車の中でふと思いついたものです。あれから3年ちょっと経っていますが、いまだに言語化できていません。多分これが言語化できたら、Jリーグにもっと観客を呼べます。

芸術としてのサッカー

 さて、モナリザとサッカーの「見た」に関する違いは言語化できませんでしたが、サッカーが芸術だということは言えると思うので書きます。

 おそらくサッカーをめちゃくちゃ見てる人って、美しいと思ったことあると思うんです。本当にサッカーって美しく、その反面残酷でもあります。今年開催されたワールドカップ。日本は決勝トーナメント一回戦で、ベルギーに終了間際に逆転負けを喫しました。これこそサッカーの醍醐味であり、美しさと残酷さの両面性が出た試合です。他にも、ドーハの悲劇・イスタンブールの奇跡・PSG戦のバルサの大逆転勝利。

 僕が、上記で芸術品よりも価値があると言ったのは、その時・その場でしか感じられないものがあり、2度と同じことは起こらないからです。このような試合を生で「見た」人と、画面越しに「見た」人とでは、「見た」の価値に明らかな差があると思います。この試合をスタジアムで「見た」人は、その時の臨場感・音・反響・鳥肌・その他色々な感じる部分が、一生モノとなります。僕が中学2年の時に見たカンプノウでのCLのアーセナル戦、以前noteに書いたの一応貼っておきます。

 これはまさに「見た」です。いや、「見た」というよりも「体験した」です。つい先日まで行われていた、J1参入プレーオフ。ここでの東京ヴェルディの快進撃も、生で見ていたサポーターにとっては、「体験した」ものになるでしょう。スタジアムでしか見れないもの・感じれないもの・体験できないもの。数多くあります。そこにサッカーを「見る」という価値と、芸術的な観点があるのかなと思っています。

これから初めてJリーグを「見る」人へ

 初めて見に行った試合が、負けてしまう試合かもしれない。ただ、それ以上の感動が生まれる試合が必ずある。だからこそ、サッカーを「見る」ことにこだわってみてください。モナリザを見に行くより費用的に抑えられるし、回数もある程度いけます。そんな場が日本にはたくさんあります。J1・J2・J3というカテゴリーは関係ありません。サポーターの数も関係ありません。友達がいるいない関係ありません。サッカーを「体験する」という感覚が得られるまで、スタジアムになんども足を運んでみてください。そこには絶対にあなたの心動かす何かがあります。サポーター仲間もできます。選手・監督に感情移入するようになります。1試合1試合に一喜一憂しましょう。試合結果ごとに笑いましょう・泣きましょう。恥ずかしいことではありません。それがサッカーなんですから。

Twitterやっています
こいつおもしろいなと思っていただけましたら、見てやってください

noteのいいねもいただけますと、今後の励みになります
左下にありますので、よろしければポチっとお願いします
シェアとか1番嬉しいです