「思い通りにならないこと」で埋め尽くされている、気がする
みなさん、こんばんは。今日は、私の人生、ほぼ「思い通りにならないこと」ばかりな気がする、ということについて書きたいと思います。
1 体重
私の人生、と言うとちょっと大げさですが、摂食障害真っ只中の時は「体重」だけはコントロールしたいし、絶対にコントロール出来る、と思っていました。
実際はどうだったかというと、
「昨日より痩せる」
という「無謀で、実現不可能」な頑なな野望は、非嘔吐過食の始まりにより、あっけなく崩壊しました。
そして今、当然ながらその頃の体重を維持出来ていません。
ただ、そこに絶望しているわけではなく、健康であればいいと思っていますので「思い通りにはならなかった」としても、今はその頑なな野望は捨て去ることが出来ています。
ほんの一時「手に入れた」としても、やはり維持(継続)できない「夢」や「希望」であるとすると、どこか自分自身に対して「無理」していたり「無謀で、実現不可能」なのかもしれません。
2 仕事
以前の記事でも書きましたが、摂食障害(過食嘔吐)が辛過ぎて、苦労して入った会社を辞めることとなりました。
その後「デザイナーになりたい!」という思いから、文化服装学院に通ったものの、想像以上の厳しい現実に途中で辞めてしまいました。
仕事については、これからの「希望」がありますので、その実現に向けて少しづつ進んでいきたい、とは思っています。
3 唯一「思い通りになったこと」
そのほか「思い通りにならないこと」は、細かいことを挙げればきりがないのですが、そんな人生の中でも、唯一にして最大の「思い通りになったこと」があります。
それは・・・「過食嘔吐をやめたい」
過食嘔吐をやめたくて、やめたくて、やめたくて。でもやめられなくて。死んでまでしてやめたかった「過食嘔吐」。
今ではやめられました。
あれほどまでに「やめたくてもやめられない」過食嘔吐。死ななきゃやめられない、と思い詰めて自殺未遂までしました。
それがやめられたのだから、もうそれだけで「幸せ」のはずなのに・・・
人間(私)は、欲が深いのか、忘れっぽいのか、今は今で、今「思い通りにならないこと」で悩んだりもするのです。
私も、摂食障害の一経験者として「完璧主義」的な傾向は当然あるのですが、それでも「思い通りにならないこと」ばかりな気がします。
ただ、それでも「過食嘔吐」がやめられたことは、人生おいて非常に大きな出来事でした。
それほど、精神的、肉体的、時間的、経済的、その他もろもろの負担感は、計り知れないものがありましたので。
ここまで書いてきて、何だか不思議だなぁ・・・と思います。
絶対に「思い通りにならない(やめられない)」と諦めていたことは「思い通りに」なって、そこまで追い詰められていないことは、なかなか「思い通りにならない」。
もしかしたら、絶対に「思い通りにならない(やめられない)」と諦めていた思いと、同じだけのエネルギー(思い)を持たなければ、仕事についての「希望」は実現しないのかもしれませんね。
今日もありがとうございました。
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