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『美術の物語』8.るつぼの中の西欧美術 (ヨーロッパ 6世紀-11世紀) まとめ

初期キリスト教時代につづく、ローマ帝国崩壊後のこの時代は、一般には「暗黒時代」という不名誉な呼び方で知られている。「暗黒」というのは、民族移動と戦争と動乱の時代を生きる人びとが、暗闇のなかに追いやられ、導きとなる知識をほとんど持たなかったという意味だ。 何より興味深いのは、この時代、全体を統一する明確な様式が現れず、数多くの異なる様式がせめぎあっていたことだ。 この時代はただ暗黒だったわけではなく、多くの民族や階級が多種多様に入り乱れた、つぎはぎだらけの時代だった。 そ

    • 『美術の物語』7.東方を見てみると(イスラム、中国 2-13世紀) まとめ

      数世紀にわたる混乱期に東方の世界で起こったことを、少しは見ておかなければならない。 キリスト教以外の2大宗教、イスラム教と仏教は図像にどう対応したのだろうか。これは実に興味をそそる問題だ。 イスラム教は、図像についてキリスト教よりはるかに厳格だった。そもそも図像の制作が禁じられていたのだ。しかし、美術というものはそう簡単に抑えられるものではない。事実、人物像を作ることが許されなかった当方の職人たちは、模様や図形に想像力の捌け口を見出した。 そもそもの由来を尋ねてゆくと、

      • 『美術の物語』6.歴史の分かれ道(ローマとビザンティン 5世紀-13世紀) まとめ

        紀元311年、ローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教会を帝国内の一勢力として認めた。しかしそれとともに、教会は大きな問題に直面することになった。 国家の最大勢力になったことで、キリスト教と美術の関係は根本から考えなおされねばならなくなった。 キリスト教の教会では、儀式に参集する信者を全て収容できる広い空間を必要としていた。そこで、異教の神殿ではなく、古典古代の社会で「バシリカ」と呼ばれていた、大きな集会所が教会のモデルとなった。 キリスト教会にとっては、バシリカをど

        • 『美術の物語』5.世界の征服者たち(ローマ人、ユダヤ教徒、キリスト教徒 1世紀ー4世紀) まとめ

          ・ローマ帝国の町ポンペイの遺品にはヘレニズム美術の影響が色濃く残っている。 ・ローマ帝国で美術の仕事をしていたのは、ほとんどギリシャ人だったしローマ人が買い集めた作品も、ほとんどギリシャの巨匠のものか、そのコピーだった。 ・それでも、ローマの世界征服によって、美術にある程度の変化が生じたのは確かだ。芸術家たちは新しい課題を与えられ、それに合わせて自分たちの手法を修正しなければならなかった。たとえば、ローマ人の最大の業績ともいえる土木や建築方面の課題に応える必要があった。

        『美術の物語』8.るつぼの中の西欧美術 (ヨーロッパ 6世紀-11世紀) まとめ

        • 『美術の物語』7.東方を見てみると(イスラム、中国 2-13世紀) まとめ

        • 『美術の物語』6.歴史の分かれ道(ローマとビザンティン 5世紀-13世紀) まとめ

        • 『美術の物語』5.世界の征服者たち(ローマ人、ユダヤ教徒、キリスト教徒 1世紀ー4世紀) まとめ

          『美術の物語』4.美の王国(ギリシャとそのひろがり 前4世紀ー後1世紀) まとめ

          ・大いなる目ざめのときが来た。美術が自由な表現に向けて大きく動きだしたのだ。それはおよそ紀元前520年から420年までの100年のことだった。紀元前5世紀の終わりまでに、美術の作り手たちは自分の力と技に十分に革新を持ち、人々もそのことを認めるようになった。 ・ひとびとは「流派」の優劣を論じはじめた。 ・比べられ、競い合うことによって、作り手たちがいっそう努力するようになったことはまちがいない。 ・優雅で心地よいという性格は、当時の彫刻と絵画にも当てはまる。時代と しては

          『美術の物語』4.美の王国(ギリシャとそのひろがり 前4世紀ー後1世紀) まとめ

          『美術の物語』3.大いなる目覚め(ギリシャ 前7世紀-前5世紀) まとめ

          ・紀元前1000年頃には、ヨーロッパからやってきた戦闘的な部族が、岩だらけのギリシャ半島や小アジアの海岸に次々と押しよせ、先住民と戦ってこれを打ち負かした。 ・この新来の部族のなかに、ギリシャ民族として歴史に名を留めることになる部族がいたのだった。 ・彼らがギリシャを支配するようになってからの数百年間は、まだその美術は粗野で未熟なものだった。彼らの作るものは、クレタ様式の軽やかな動きが見られず、むしろ、エジプト美術以上に固いものだった。 ・単純明快な構成が、このころギリ

          『美術の物語』3.大いなる目覚め(ギリシャ 前7世紀-前5世紀) まとめ

          『美術の物語』2.永遠を求めて(エジプト、メソポタミア、クレタ) まとめ

          ・人類の連続する営みとして美術を語るには、南フランスの洞窟や北アメリカのインディアンの美術を出発点とするわけにはいかない。前章で見た不思議な始まりと現代を直接つなぐ伝統がないのだ。 ・しかし、約5000年前のナイル川流域の美術は、現代の美術までつながっている。 ・ギリシャの名匠たちは、いわばエジプト美術の学校へ通った。そしてわたしたちはみんな、そのギリシャ人の生徒だといってもいい。だからエジプト美術は私たちにとって特別に重要な存在である。 ・エジプト人は、霊魂があの世で

          『美術の物語』2.永遠を求めて(エジプト、メソポタミア、クレタ) まとめ

          『美術の物語』1.不思議な始まり(先史、未開の人びと、そしてアメリカ大陸の旧文化) まとめ

          ・美術がどのように始まったのか。その問いは、言語がどのように始まったのか、という問いと同じで、私たちには答えられない。 ・絵も彫刻もたんなる美術作品ではなく、一定の役割を持つものと考えられてきた。建物が何のために建てられたのかを知らないで、意見を言えるわけがない。それと同じように、昔の美術が何のために作られたのか、その目的を知らなければ、理解は始まらない。 ・原始的な人たちにとっては、建物を建てることも、何らかの像(イメージ)を作ることも、実用という点では、まったく同じだ

          『美術の物語』1.不思議な始まり(先史、未開の人びと、そしてアメリカ大陸の旧文化) まとめ

          『美術の物語』序章 美術とその作り手たち まとめ

          アートに関心を持つ40代です。 興味と知識がアンバランスでどこに向かって漕ぎ出せば良いのか逡巡していました。 今回自分自身の手引きとして、評判の高いエルンスト・H・ゴンブリッチ著『美術の物語』を読み進め、覚書程度に要約を残していこうと思います。 もし誰かのお役に立つようなことがあればうれしく思います。 ・これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。 ・絵の主題として、かわいいもの、楽しいものばかりを求める気持ちは、躓きの石となりやすい。

          『美術の物語』序章 美術とその作り手たち まとめ