『美術の物語』5.世界の征服者たち(ローマ人、ユダヤ教徒、キリスト教徒 1世紀ー4世紀) まとめ

・ローマ帝国の町ポンペイの遺品にはヘレニズム美術の影響が色濃く残っている。

・ローマ帝国で美術の仕事をしていたのは、ほとんどギリシャ人だったしローマ人が買い集めた作品も、ほとんどギリシャの巨匠のものか、そのコピーだった。

・それでも、ローマの世界征服によって、美術にある程度の変化が生じたのは確かだ。芸術家たちは新しい課題を与えられ、それに合わせて自分たちの手法を修正しなければならなかった。たとえば、ローマ人の最大の業績ともいえる土木や建築方面の課題に応える必要があった。
※ローマの円形闘技場『コロッセウム』の例示

・ローマ風の構造にギリシャの様式つまり「オーダー」(柱式)を組み合わせるというこの建築法は、後世に計り知れない影響を及ぼした。

・ローマ人が新しく作り出した建造物のなかでも、イタリア、フランス、北アフリカ、アジアと帝国の全域にわたって建てられた凱旋門ほど、長く人々の印象に残ったものはない。

・ローマ建築の特徴として何より重要なのは、アーチの使用である。

・柱と柱のあいだにアーチをかけわたして、橋や高架水道を作ることができるし、この技術をうまくつかえばヴォールト(丸天井)だって作ることができる。

・多彩なアーチの工法を駆使したヴォールトの技術においてらローマ人は大変な熟練の域に達していた。その最高の効果がパンテオンー万の神の神殿ーだ。

・ギリシャ建築から好みの箇所を取り出し、それを自分たちの必要に合わせて使うのは、ローマ人の特技だった。特に必要とされたもののひとつが、本物そっくりの立派な肖像を作ることだった。

・この習慣は、本人そっくりの像にその魂が保存されるという、古代エジプト風の信仰につながっている。後にローマが帝国となったあとでも、皇帝の胸像は宗教的崇拝の対象だった。

・ただ不思議なのは、そんなに崇高な意味をもっていた肖像なのに、それがギリシャの作品と比べて無作法なほどリアルに作られても、ローマ人はそれに異を唱えなかったことだ。

・彼らは本物そっくりの肖像を作ることに成功したが、細部にこだわって人間を見失うことはなかった。

・もうひとつ、ローマ人が彫刻家にもとめたあたらしい基準があって、それが、古代オリエントで見られた習慣を復活させることになった。ローマ人も自分たちの勝利を称え、戦いの物語を語り伝えたかったのである。
※『トラヤヌス記念柱』の例示 

・ローマ人は、戦争にいかなかった人に戦功の偉大さを印象つけようとして、細部を正確に表現することと話の筋のわかりやすさとを重視した。そしてそういう姿勢が美術の性格を変えることになった。

・美術のおもな狙いは、調和や美や劇的表現ではなくなったのだ。

・紀元後数百年のあいだに、ヘレニズム美術とローマ美術が古代オリエント王国の美術に完全に取ってかわり、かつての王国の根拠地にまで深く入り込んだ。

・(エジプト人の)墓に添えられるのはエジプト風の肖像彫刻や肖像画から、ギリシャ風の画法に熟達した職人の絵に変わった。

・ローマから遠く離れたインドでも、物語を伝えたり英雄を称えたりするローマの手法が採用された。

・インドでは、ヘレニズムの影響が及ぶはるか以前にも優れた彫刻作品がたくさん作られていた。しかし、仏陀像がレリーフ(浮彫り)として最初に現れたのは、ヘレニズムの影響を受けた辺境の地ガンダーラで、これがその後の仏教美術の規範になった。

・ギリシャ・ローマ美術は、神々や英雄を美しく視覚化することを教えてくれた。それに力を得て、インド人は救済者のイメージを作りだそうとした。

・説教用に聖なる物語を図解するようになった宗教が、もうひとつオリエントにある。ユダヤ教だ。

・ユダヤの律法は、偶像崇拝を恐れて図像(イメージ)の制作を禁止していた。それでも、当方の町ユダヤ人地区では、シナゴーグ(ユダヤ教会)の壁画を旧約聖書の絵で飾ることが多かった。

・画家の技術は確かに未熟で、だから、単純な描き方しかできなかったともいえ言える。しかし、おそらく彼は、人物をリアルに描くことにあまり関心がなかった。
※ドゥラ・エウロポスのシナゴーグ内の壁画『岩から水を湧き出させるモーセ』の例示

・作者の狙いは、神の力が示された場面を見る人に思い起こさせることにあった。シナゴーグの粗末な壁画が興味をそそるのは、のちに、キリスト教が西へと広がる過程で美術を布教に役立てようとしたとき、同じような思惑が働いて、それが美術に変化をもたらすことになるからだ。

・ユダヤ人が旧約聖書の場面をシナゴーグに描いたのは、装飾のためというより、目に見える形で聖なる物語を語るためだった。

・美術に方向転換が起こっていた。カタコンベの画家には劇的な場面をありのままに表現する気はなかった。主題とあまり関係のないものは何もない方がいい。
※ブリッシラのカタコンベ『燃える炉の中の3人のユダヤ人』の例示

・忠実な模倣という理想から、単純明快な観念の表現へと秤が傾きはじめたのだ。

・古代美術がこの時期に衰えたというのは良く聞く言いぐさで、確かに、最盛期の秘法の多くが、相次ぐ戦争と反乱と侵略のなかで失われたのは事実だ。

・しかしすでにみたように、技法の消滅だけではこの時代は語れない。肝心なのは、この時代の芸術家が、ヘレニズム期のたんなる技巧には満足できず、新しい表現効果を作り出そうとしていたことだ。

・ここに古代世界は終焉を迎えることになった。



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