『美術の物語』序章 美術とその作り手たち まとめ

アートに関心を持つ40代です。
興味と知識がアンバランスでどこに向かって漕ぎ出せば良いのか逡巡していました。

今回自分自身の手引きとして、評判の高いエルンスト・H・ゴンブリッチ著『美術の物語』を読み進め、覚書程度に要約を残していこうと思います。
もし誰かのお役に立つようなことがあればうれしく思います。

・これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。

・絵の主題として、かわいいもの、楽しいものばかりを求める気持ちは、躓きの石となりやすい。

・絵の美しさは、必ずしも描かれた対象の美しさにあるのではない。

・何が美しいのか。厄介なのは、美の好みの基準が人によって大きく違うことだ。

・美について言えることは、感情表現についても言える。実際、ある作品を好きになったり、嫌いになったりする場合、人物の表情が好き嫌いの原因になっていることが少なくない。わかりやすい表情の好きな人がいる。

・書き方は作品の言語のようなものなので、作品によって使われる言語が異なることを理解できるようになれば感情表現があからさまでない作品の方を、かえって好きになることもある。

・美術に興味を持ち始めた人がぶつかるもう一つの難問がある。彼らは、見えるとおりに書くのが画家の仕事だと考え、その腕前を賞賛したがる。彼らが何より好きなのが「本物そっくり」の絵だ。

・ゆがめて書くこと自体は、実は不思議なことでも何でもない。

・次の二点に留意しなければならない
ひとつは、画家が見た物の姿を変形するのには、それなりの理由があったのではないか、ということだ。
もう一点は、自分が正しくて画家が間違っている、と確信できないかぎり、不正確な描写だからといって作品を非難すべきでない、ということだ。

・私たちはお決まりの形や色だけを、正しいものとして受け入れがちなのだ。

・画家も、ときとして、自分がこうした探検の途上にいると感じている。新しい世界を見ようとし、肉体は肌色、リンゴは赤か黄色、といった既成の観念や先入観を捨てたいと思っているのだ。

・慣習や先入観を捨て去る気になれないのはこまったものだ。優れた作品を楽しむうえで、これほど邪魔なことはない。

・我々が「美術作品」と呼んでいるものは、なにかしら神秘的な活動によって生み出されるものではなく、人間によって人間のためにつくられたものである

・芸術家が仕事に取り掛かるときに想定していた、ある特定の状況と目的に合わせて制作されたものなのだ。

・あえて言葉にすれば、「これで決まり」かどうかが問題なのだ、と言えるかもしれない。

・自分がどんな調和を望んでいるかを正確に言葉で表すことはできない。

・形を整えたり色を配合したりすることについて、画家はいつも「小うるさく」なければならないし、さらに言えば徹底して気むずかしくなければならない。

・しかし、ひとたびかれが成功すると、私たちもこれ以上なにも付け加える必要はないと感じる。「これで決まり」と思うのだ。この不完全な世界に完全なものが出現したのだ。

・だめな作り手は法則通りにやってみても、何一つ成果を上げられなかったし、優れた芸術家は法則に反することをしても、誰も思いつかなかった新しい調和を達成できたのだ。

・声高な饒舌や決まり文句に惑わされない心が必要だ。俗物根性を助長する生半可な知識を持つくらいなら、美術についてなにも知らない方がよっぽどましだ。落とし穴はすぐそこにある。

・私の手助けしたいのは目を開くことであって、舌が回るようにすることではない。

・新鮮な目で絵をみつめ、新たな発見の旅へと乗り出すのは、ずっと骨の折れることだけど、同時にそこからは、はるかに豊かな見返りも期待できるだろう。この旅で具体的にどんな収穫が得られるのかそれを前もって言うことはできない。


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