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【同乗者たち】第6章 同情者たち【27】

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俺は、目をあけた。

冷たいクッションの白色と、場違いに鮮やかなスニーカーの色彩が目に入る。目線を上げれば、そこにはナオキの顔があった。背後から差し込む光が、彼の瞳を照らしている。
虚構の中で死んだ友人は今、生きている。あの時、確かに撃たれ、俺の腕の中で静かに息絶えた友人が。

「何かみえたか」

頭上から言葉が降ってくる。まるで動画をリピートしたかのような言葉。巻き戻った場面に、俺は再び存在していた。
しかし、足りない。決定的に、足りないものがある。
俺は、あたりを見回した。見慣れた少女の姿はどこにもいない。

「……サキ」

彼女は、最初から、この世界に存在などしていなかったのだ。


一体どこからが、虚構だったのか。
長い夢から覚めた時とよく似た要領で、徐々に『現実の記憶』が、鈍い思考の中に蘇ってきた。


クロアナを取り逃がし、初めて走馬灯に溺れた、すべての始まりの日。
あれは、よく「晴れた」日だったはず。
ビルの屋上で1時間待たされて、俺は「汗だく」になって、不機嫌になっていた。

前世管理センターでのリハビリ最終日。
俺は普通に定時に退社をし、奇妙な少女に「出会うことはなかった」。
普通にナオキと一緒に、山小屋で酒を飲んで帰宅した。

クロアナのアジトに乗り込んだ日。
俺は何事もなく、ピックアップ場所へ戻った。
憔悴した少女に「出くわすことなどなかった」。

アンチクロアナチップを携えてクロアナ街に戻った日。
俺は「一人で」写真館にいる男を見つけた。
誰かの手を借りることはなかった。

そしてこの部屋……かつてイチとキューが暮らしていた、この白い部屋にやってきた時。ナオキに、頭に銃を押しつけられたそのときまで、ずっと。


あの少女は、「どこにも存在していなかった」。


そして『俺』は、そのままナオキに頭を撃ち抜かれる。ゼロイチの記憶が流れ込み……そこから、新たな「魂のシミュレーション」が始まった。生き残りのための、魂の未来観測。すべては彼らの思惑通りに。

しかしそれはゼロイチの時のように、単純に未来を観測するものではなかった。
「俺、つまり新田ヨーイチという人間が自身の来世と出会ったとき、どういう行動をするか」という、極めて正確なシミュレーションだ。
魂がこんな突拍子もない筋書きにしたのは、「これから分かる、ある一つの事実」を、俺に伝える為に他ならない。けれど、それが分かるのは、俺が死んだ後のこと……未来のことだ。もちろん、俺はそんなものを信じない。「すぐに」は、信じられるわけがない。

だから魂は、「物語」を用意した。

自分の来世と出会う。
一緒に、真実を知る為にもがき、あがき、力を合わせる。
そこに辿り着くまでの紆余曲折、まっすぐじゃない混沌としている何か。人間の心を納得させられる唯一のファクターであり、必要な、辻褄合わせを。
サキは、俺の為に用意された、辻褄合わせだった。


「……お前の言う通りだったよ、ナオキ」
「ヨーイチ、なにか……見えたのか」
「これからなにが起こるか、知りたいんだろ」

俺が小さく呟くと、ナオキが顔色を変えた。しかし、今は急がなければならない。俺は膝を立てて立ち上がる。とてつもなく長い間そこにひざまづいていた気がするのに、意に反して軽々と体は動く。
シミュレーションのはじまりと終わり。あの雨のビルの屋上から、今このときまで。あの虚構の記憶が再生されていたのは、現実世界では一瞬だったのだろう。

「とりあえず、今すぐ移動した方が良い。数分後、井坂さんが死ぬ」
「は」

気の抜けた声を出したのは、井坂本人だった。その声を聞いた瞬間、喉が締め付けられるように痛んだ。すべてが虚構だった。ナオキも、井坂も、生きている。今はまだ。
全員を引き連れて部屋から脱出しながら、俺は振り返って指示をだした。

「緊急エレベーターを使って最上階へ行く。ユータかナナシは、管理室のカメラを頼む。ただ、制御ロボットに手を出すな」
「俺が行きます」

ユータがそう言って、すぐに踵を返した。その横で惚けていたナオキを指差し、続ける。

「ナオキ、お前も数分後に死んだ。ロボットの目に気をつけろ」
「マジか、最悪」

悪態を吐きながらも、なんとかナオキと井坂、ナナシの4人でエレベーターに乗り込む。移動が早かったからか、システムロボットが追ってくるモーター音は聞こえてはこなかった。ひとまず安心して息をつくと、ふいに視線を感じる。見上げると、ナオキと目が合った。

「……なんだ」
「なんで俺のこと、助けたんだ? てっきりブチ切れて、それこそ……俺のことなんて、見殺しにでもしそうなのに」
「怒ってるよ。嘘をつかれていたことは」
「じゃあなんで」
「友達だろ」

俺はナオキをまっすぐ見つめて言った。

「お前が、そう言ったんだよ。違う世界の、未来で」

惚けた顔のナオキの口元が、ゆっくりと上がっていく。それは、俺のよく知っている、いつもの笑みだった。

「本当に見えたんだな……未来が」
「ああ。お前は、俺をかばって死んだ」
「あー……ありえそう」

苦笑いをして、ナオキは続ける。

「助けてくれてありがとな、ヨーイチ」

最上階へ着いたことを知らせるチャイムが鳴り、音もなく扉が左右に開く。果たして、がらんとしたホールの向こうにある前世管理室の扉は、シミュレーション通り左右いっぱいに開いていた。
背後で小さく息を飲む音がする。振り返ると、井坂がじっとその青い箱を見つめていた。

「……井坂さん、時間が無いので簡潔に聞いても良いですか」
「……なんだい」
「暮日アヤノは、俺の前世記憶を書き換えた後……死んだんですか?」

井坂はゆっくりとヨーイチの方に顔を向けると、小さくうなずいた。

「前世管理室の制御に、監視カメラの操作、前世記憶の書き換え……それを行う技術と必要な権限をもっている職員と言えば、あの時代には天才と呼ばれていた彼女しかいなかった。彼女は何度も局長に呼び出されて尋問を受けていたよ。しかし彼女がやったという証拠はついに出なかった。あの日のことを、僕は誰にも言っていない。どうあがいても、彼女が犯人であるなんて露見するはずがなかった……なのにある日、彼女は自ら命を絶った」

井坂はほとんど囁くように、小さな声で続けた。

「僕には……まだ、わからないんだ。どうして彼女が自殺したのか。そんなこと、するような人ではなかったのに。ただ、最後に会った日、様子がおかしかったことだけ覚えているよ。彼女が死ぬ、前日のことだ。ゼロイチの次の転生先と、彼へのメッセージを僕に伝えた時……彼女はまるで」
「別人みたいだった?」

ナオキがその言葉を引き取り、驚いた様子の井坂はゆっくりうなずく。ナオキはやっぱりね、と小さく呟いた。

「キューだった俺が、今の『九条ナオキ』の体に移ったとき、前世確認をしてくれたのもアヤノだった。ぼんやりと覚えてる。彼女、様子が変だった。まるで知らない人みたいだった」

俺たちは、ゆっくりと前世管理室へと足を踏み出した。シミュレーションで見た光景と同じく、窓の投影は取り払われ、俺達の住む見慣れた世界がそこにジオラマのように広がっている。モニターを見ると、機械が廊下を走り回っているのが見えた。しかしユータの細工が間に合ったのか、無闇矢鱈に攻撃をしなかった成果か、一台一台ずつその動きが鈍くなっているのが確認できる。
そろそろだろうか。ヨーイチは振り返って、ホールの向こう、エレベーターに目をやった。
小さな機械音が近づいてくる。だれかが、ここに上ってくる。
扉が開き、予想通りに時崎が姿を現した。トキちゃん、と隣で井坂つぶやく。しかし時崎は返事をせず、ゆっくりとこちらに歩みを進める。
まっすぐに、俺の方を見つめながら。
ヒールのないパンプスが、冷たい床を踏む音が響いた。真っ青な床に、彼女の姿が反射している。
彼女はついに俺の前まできたところで、足を止めた。
じっと、俺の顔を見上げて言葉を待っている。

「……シミュレーションの中で、君の前世の走馬灯をみた」

俺はその冷たい瞳をまっすぐに見つめ返しながら、言葉を続けた。

「君の前世は『暮日アヤノ』」
「はい」
「そして君はこの先の未来で『局長となる人間』」
「はい」
「つまり君が前世で俺に告げた内容はこうだ。『私を撃ってくれ』」

すっと、時崎の唇が笑みを形作る。まるで機械のような動きに見えた。彼女は、一体どんな人だっただろうか。よく知っているはずだったのに、霧がかったようにその輪郭がぼやける。
魂のシュミレーションの中。
この塔のてっぺんから落ちながら、サキが紡いだ言葉を思い出す。

『あの人、わたしの生きてる時代の局長だよ』

サキは落ちながら、塔を見上げた。

『若い頃の写真も、メディアに良く出ていた。間違いないよ』

俺はじっと彼女の瞳の奥に「時崎ミチル」か、あるいは「暮日アヤノ」を探そうとした。しかしその能面のような表情に、俺の知っている温度はどこにもない。

「君は、誰だ」
「あなたはもう、わかっているはず」
「君の口から聞きたい」
「……私は、過去すべての走馬灯記憶から創発した、ただの『意識』です」

時崎は、感情のない声で続けた。

「だから私はもう、今では、誰でもありません」

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