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【同乗者たち】第6章 同情者たち【28】

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「何度聞かれても同じです」

私は冷たく言い放つ。冷たい怒りが胸の奥底から湧き上がる。それでも努めて冷静に、室長の顔から目をそらさず、じっと椅子に座っていた。室長はそろそろ局長の跡を引き継ぐと噂されているが、彼はいつもと変わらず無機質で無表情のまま、またも同じ言葉を繰り返す。

「タワーの監視カメラの細工。前世記録室の扉の解錠。強化銃の持ち出しと使用、前世の書き換え……このすべてが可能な権限と知識を持っているのは、この塔の中で君しかいない」
「なら、この塔の外の人間の仕業では? 現に貴方は世間に、ゼロイチが塔から落ちたことを『クロアナの暴走』として処理したじゃありませんか」

このやり取りにもうんざりだ。彼は私の罪を暴くことができないと分かっている。しかし私もまた、彼の疑惑が決して晴れないことは分かっているのだった。

「もうゼロイチとキュー以外にも、10人の継承者が誕生したんですよ。彼にこだわる必要がどこにあるんです」
「……そうだな」
「それじゃあ、」
「ではゼロキューに、君が過去提示した『実験』を行うことにしよう」

腰を浮かせかけた私の体が固まる。心臓を無慈悲な冷たい手で鷲掴みにされたような感覚。しぼりだすように問う。

「……どういうことです?」
「君がかつて提出しただろう。『前世記録室の全データの脳への流し込みの可能性について』」

勝ち誇ったようでもなく、きわめて淡々と室長は言葉を続けた。

「前世記録室には、走馬灯局が出来てから観測されたすべての前世記録が保存されている。それはつまり、無数の人間の『死』の記憶だ。そのすべてを脳に流し込んだ時、その被験体は、ゼロイチに課した実験と比べものにならない死を経験することになる。魂が急速に進化する可能性がある」

それは私がかつて局に提案したことのある仮説だった。かつては前世研究の天才児と呼ばれていたとはいえ、小娘の考えた世迷い言。そう処理されたはずの、忘れ去られていたはずの夢物語。

「ゼロキューは古い個体だ。あれがこの実験で壊れても、すでにスペアの継承者もたくさんいる」
「危険です」
「なにがだ」
「そんなことしたら、精神が無事でいられない……」
「だからなんだ? 何故そんなことを気にする必要がある? ここに居る子供はかつてクロアナだった罪人だ。君もそれを承知で、この研究の仮説を立ててきただろう」
「それは」
「自分自身の心に問いかけろ。あの仮説を記していた時、君はこの実験をここにいる子供で行うことを想定していた。もちろんそこにはゼロイチも、ゼロキューも含まれる。君は優れた前世研究者で、彼らは実験体、それ以上でも以下でもない。違うか?」

返せる言葉が見つからなかった。キューやイチと出会う前の自分自身を思い出す。あの時の私も、今と同じ「私」であったはず。それなのに、彼女の考えを理解する事が出来ない。
そしてきっと「彼女」も、今の私のことを理解できる事はないのだろう。

「……どうしてもやると言うならば、私が引き受けます」
「……なに?」
「その実験を行うのであれば、私を使用してください」
「……どうして、そこまで彼らに同情する。聡明だった研究者としての君は、どこにいったんだ?」
「彼女なら、もう、どこにもいません」

だからこの一瞬一瞬を懸命に生きるのだ。
絶えず現れ続ける、新たな心が思うままに。

「私は前に進んでいるんです。数秒でも、留まっていることなんてできない」


* * *


「――そして、暮日アヤノの脳内には、ここに保存されていた無数の走馬灯記憶が流し込まれた。前世監理官が生涯見る走馬灯と比べものにならないほどの、無限に思えるような人生の記憶を」

淡々とした口調で、時崎はつづけた。

「記憶が流し込まれるにつれ、暮日アヤノとしての記憶は、流し込まれた記憶と同等のもの、つまり無数に在る記憶の一つに成り下がった。ありとあらゆるの記憶が乱立して、魂に記憶されて、やがて終わりを迎えるころには『私』という存在が創発されていた」
「創発?」
「あなたたちも、同じ仕組みで出来ている。細胞という取るに足らない単位があなたの肉体を創発して、あなたの脳内ニューロンの一つ一つが集団となってあなたの思考を編み上げている。私の場合は、無数の人間の意識を一つの単位として、私という意識を創発している。言ってしまえば私は、過去に生きた人間の記憶の集合体。つまり『死んでいった全人類の亡霊』ととらえてもらって構いません。膨大な死を経験した私はもちろん継続者であり、観測者でもありますが、もはや魂の力を借りずとも、過去の人類に関するビッグデータから極めて精度の高い未来予測を行うことも可能です」
「……君だったのか」

じっと時崎を見つめながら、井坂が問う。

「暮日さんが死ぬ前日……ぼくに『未来の局長を撃て』とメッセージを残したのは。君の雰囲気、その口調は、死ぬ前の彼女と瓜二つだ」
「ええ」
「一体、なんの為に」
「『私の正体』を見破ってもらうためです」
「正体って……君が『未来の局長である』ということか?」
「いいえ、私が『これから局長になろうとしている』のは、私という存在を見つけてもらうための、目印になるからに過ぎません」
「なにが、目的なんだ」
「私は『走馬灯局』をこの世から消滅させるために動いている装置のようなもの」

その一言で、その場は凍りつく。

「そのために、新田ヨーイチが私の正体を見破ること、そしてこの世界を『書き換えてくれる』ことを想定して、行動を起こしました」

誰もが息を止めているようにその場所は静かだった。時崎はまっすぐに俺を見つめている。全く熱のない無機質な瞳を一瞬たりともぶらすことなく。
からからに乾いたのどに、俺はやっとのことで言葉を送り込む。

「……待ってくれ。走馬灯局を、消滅って」
「そのままの意味です。走馬灯局が存在していることによる世の中の歪みにより、過去の大混乱とは比べ物にならない暴動が起こることが私のシミュレートで判明しています。クロアナの団結、反社会的組織である光の会の協力、非人道的な走馬灯局の実験の漏洩、これは避けられない未来であり、その場その場で未来を変えたとしても、最終的には崩壊へと吸い寄せられてしまうのです。だからこの組織、ひいては『前世の存在』を人々の記憶から消去する必要があります。全人類の、記憶を書き換える必要が」
「つまり」

ナオキが固い口調で、彼女の言葉を引き継いだ。

「『前世が存在する』という事実をこの世から消し去らなければ……俺達は、滅びるってこと?」
「はい。そして過去の人類のいわいる『代表』であるわたしは、それを阻止するために新田ヨーイチを利用しているのです。あまねくすべての生命と同じように、過去の人類達も、自身の種が後世へと継続することを望んでいます。そしておそらく、その人類に寄生している、魂という物質も」

そう言って、時崎は俺に顔を向けた。

「あなたはゼロイチの記憶を脳内に流し込まれた際、そこで同時に起こった魂の未来観測シュミレーションで、自身の『来世』と出会った。そうですね」
「……ああ」
「あなたの魂は、きわめて正確に、あなたの来世をあたかもそこに生きているかのようにシミュレーション内で動かした。そして未来人である彼女は、『時崎ミチル』が未来の局長であることをあなたに教えることができる。この関係性を暮日アヤノの体にいたころに知った私は、『自殺』をする前、井坂マモルにあのメッセージを残した。新田ヨーイチの来世であるサキが、未来の局長になる私をブレンスキャナで撃ち抜くよう促すことで、『装置としての私』を新田ヨーイチが認知するように」
「そんなのおかしい……時系列が、存在していないじゃないか」
「ええ、存在していません」

すずしい顔で時崎は言い切る。

「私は魂を利用し、またおそらく魂は私を利用し合い、これから起こる『可能性』をパズルのようにはめることで、一つの『流れ』を編み上げました。いま、あなたたちがここにいてこの会話をしているのも、その流れの一部」

そして再び俺に向き直ると、一歩を進めて手を差し出した。そこに握られていたのは、小さなペン。時崎がいつも胸ポケットに挿していたものだ。

「新田ヨーイチ。もう一度言います。わたしはあなたに、全人類の記憶を書きかえてもらうために、今こうしてここにいます」
「……書き換えるって、どうやって」
「このコンピューターは、人が生まれて前世をスキャンされた時、彼らの『脳』と繋がった。その経路記録はまだ生きている。だからその逆を行うのです。彼らの脳内に、『前世』や『走馬灯局』がない世界の記憶を上書きしてください」

女は、抑揚のない声色で、続けた。

「あなたが、この世のすべての人間の記憶を『創作』するのです」

俺は、差し出されたペンをじっと見つめた。この床や、整列するコンピューターと同じ、真っ青な棒。なめらかそうなそれは夕日を反射して美しく光っている。

「……どうして、俺なんだ。君が、自分でやればいいのに」

それを手に取る前に、俺は言った。そうだ。彼女が自分でその書き換えを行うなら、俺の存在は必要ない。サキと俺が出会う必要も、きっとなかった。
しかし女は、静かに首を横に振る。

「私は、人間じゃありません。この決断をするのは、人間でなければならないと、私を作り上げる記憶たちは語っている。わたしはその『決断』までの道を用意することしかできない。だから貴方に自身の正体を自ら明かすこともできず、こんなに回り道をした」
「君だって、人間だろう?」
「いいえ。人間というのは常に迷い、戸惑い、もがき生きるもの。一秒一秒生まれ変わりながら。私はそういった無数の記憶たちから生まれた、一つ上の次元の存在なのです。そして、私の意識を創発している『彼ら』は言っています」

女は、そう言いながら自身の手のひらを胸に当てた。

「人間が紡ぎ上げ、作りあげた物語こそ、すべてだと」

人間には、理由が必要なのだ。
途方もなく広がる無限のグリッド上に配置されたような感覚になる。
俺達はきっと、大いなる『何か』の駒にすぎない。俺達の動きによって、何かが創発されている。物語が。ストーリーが。
ただ一つの目的のために、あとから作られた辻褄たち。
自由なんて、どこにもないよ。自身の前世の言葉が、脳内によみがえった。
あの時、彼はなんと言っていた?

「ヨーイチ……」

ペンを受け取った俺に、ナオキが静かに問う。

「良いのか、お前」
「ああ」
「前世にまつわる記憶をこの世界から消すってことは、お前の今までの生き方を、全部否定することになるんだぞ」
「分かってる。……いや、分かっていたんだ、本当は」

そうだ、本当は、分かっていたのに。

『あなたのお姉さんのこと、好きになれなかった』
『おまえとゼロイチ、ぜんぜん似てないよ』

結局俺達は、記憶の積み重ねによって、今ここに創発されている現象にすぎない。それ以上でも、以下でもない。同じ肉体の上だろうと、新しい肉体を得ようとも、関係ない。なぜなら俺を構成しているのは、この肉体でも、ましてや魂でもない。
記憶。
両親との。姉との。ナオキとの。井坂との。時崎との。キューとの。アヤノとの。そして、サキとの。
今まで生き、過ごし、感じた心の数々をまだ覚えている。喜びも、痛みも、まだ思い出せる。そうして今、俺は創発されている。積み上げられた記憶をもってして、俺はここにいる。魂の操り人形であったとしても、すべてが嘘だったとしても、俺の記憶によって生まれたこの感情だけは、心だけは、本物だ。
そして、今、このとき、ゼロイチの記憶を持ち、サキと出会った俺の心は感じている。このペンを手に取るべきだと。
俺達は、まだ滅ぶには早すぎる。きっとこれから人類は、今ここに居るが想像することも出来ない何かを作り上げる事ができるに違いない。
いや、これは建前だろう。
本当の理由はあまりにもちっぽけで、けれど俺にとっては大事なこと。

約束をしたのだ。
俺が死んだ後、遥か先に生まれる、彼女に。

「やり方を、教えてくれ。俺が、世界を書き換えるよ」

まだ、世界を滅ぼすわけにはいかない。


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