夏休みの宿題ができないからといってもどうにかなるさ。
学校での読書感想文を数年間書き上げることは、至難の技である。別に子供は困ってはいない。困っているのは母親だけだ。母親がくどくどと「感想文書いたの」と言い続けるから、子供が困るだけで「うっとうしいな」って思うのだ。
毎年毎年この繰り返しなら、親子共倒れで夏休みの後半を過ごさねばならない。帰省の後では、パパのお休みの後では、時間がない。
なぜ書けないかというと、子供が本を読んでいないからだ。
読んでいないから、書こうにも書けない。
内容を知らないから、感想もへったくれもない。
そこで提案なのだが、本は読み込めば読み込むほど面白いことがある。
有名な物語にはそれが多い。
有名な本は何十年も改訂版が出るほどだ。
小学校一年生の時に、この何度も読める本を子供に選ばせて、読ませる。
少し内容が難しいなら、読み聞かせてあげる。
(この時スマホで録音しておけば、何度も読み聞かせが可能だ。)
一年生では読書感想文は宿題に出ないだろうが、本の内容を絵にして自由研究の課題にしてしまうのも面白い。
本はいつでも子供の手に触れられるところに置いておく。
そのようにして本というものになじませることも大事だ。
感想文の宿題が出るようになれば、与えた同じ本を6年間通して題材にし、文章を書かせると良い。先生は一年前のことを覚えていないし、毎年書くのは書くわけだから、内容は少しは違うから大丈夫。もし、あまりにも低学年向きの本なら、その本に関係する書籍を選ばせてかじり読みして、ちょっと肉厚に加工することも良いだろう。
頑張ろう子どもたち。
ぼくは大学浪人するまで、本を全く読まなかった。
感想文を書いた記憶もない。
夏休みの宿題は母まかせの小学生だった。
ドリルぐらいは自分でもしたが。
先生にはバレバレだが、絵日記なども褒められた。
面倒臭がりの人間で、命令されることが大嫌いだった。
だから、今の自分がある。
今、本を読むことが苦にならないし、小説も読めるようになった。
ビジネス書に至っては面白く好んで読んでいる。
大進歩である。
本を子供の頃から読んでいたら、違う人生が待っていたかもしれないが、今の自分が好きだから、それでいい。
宿題が大嫌いでも、勝手に大人になって、自分の好きなことはできるようになるものだ。(挨拶や礼儀は身につけさせるべし)
今日はここまで。
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