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撤退を決断できない人々

 「不要不急」という言葉を限りないほど聞かされてきた。どうしてもやる必要があるのか。必要だとしても今すぐやらないといけないのか。
物事の重要性の程度をはかりにかけるのは、判断の基本である。他の価値を無視したゆきすぎは困るが、一定のリスクがあるなら、生命や健康を優先すべきだろう。
 オリンピックの開催に、生命や健康を上回る重要な価値があるのか、どうしても今夏という緊急性があるのか。
 答えは明白なのに、中止も延期も決められない。

 この間、IOC幹部の発言で、彼らの姿勢が露わになったのは、むしろよかった。
 「東京大会を実現するために、我々はいくつかの犠牲を払わなければならない」(トーマス・バッハ会長)
 「仮に菅首相が中止を求めても、個人的な意見に過ぎない」「東京五輪を止めることができるのはアルマゲドン(最終戦争)だけだ」(最古参のディック・パウンド委員)
 大会の招致活動、施設建設、イベント運営、広報などに利権がうごめいていることは以前から指摘されていたが、IOCがこれほどふんぞりかえっているとは、驚く人が多かったのではないか。

 現在のオリンピックは興行である。開催地に巨額の財政負担をさせたうえで、主に米国のテレビ局から放映権収入を得るショービジネス。
 個人と団体の参加というのは建前だけで、表彰式で国旗を掲げ、国歌を流す。団体競技は国別チーム。国別のメダル数でもナショナリズムを刺激して関心度を高める。
 もちろんスポーツ競技者にとって五輪出場、メダル獲得は大きな目標だ。厳しい鍛錬を重ね、自分の実力を試す晴れ舞台。4年に1回のチャンスが失われるのはつらい。
 しかし今回は、練習や予選が満足にできなかったケースも多いとみられ、地域や生活環境による不公平が大きい。ウイルスの変異が相次ぐ一方、ワクチンの足りない国は多く、入国できない選手やコーチも出てくるのではないか。
 IOCはプロの参加を認めて商業化を進め、大会のブランド力を高めてきたが、今回はメダルを取っても値打ちが少し下がるだろう。
 3年後のパリを含めて順延する方法もある。大会の巨大化で開催地に立候補できる都市が減り、従来型の五輪は行き詰まりつつある。今でも夏と冬があるのだから、より細かく分ける方法もある。

 それにしても、撤退を決められない日本の首相、都知事はどうなのか。決断と責任こそ政治ではないのか。
 昭和の戦争の指導部になぞらえる論評が増えた。客観的な国力差、科学、補給を無視して精神論で突き進む。失敗しても成功と言い張る。いつまでも撤退を検討せず、兵士と民衆に犠牲を強いる。
 たとえ無観客でも約10万人の選手、関係者、報道陣が海外から入って来て、日本側を含めて人の移動と集まりが増える。医療の人と資源も動員される。もともと懸念されていた猛暑もやってくる。
 開催を強行して大変な事態を招いたら・・・。誰も責任を取ろうとしないことだけは、はっきりしている。

(2021年6月10日発行、京都保険医新聞コラム「鈍考急考19」として掲載予定)

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